〈名神高速で154kmの渋滞〉普段は10分の道が、5時間かけてもたどり着かない…“日本史上最悪の渋滞”はなぜ起きた?
2025年5月3日(土)7時0分 文春オンライン
〈 「通過には135分を要する見込み」の場合“下道”を走るのが正解? 不正解? 渋滞に見舞われたときの“正しい対応”とは 〉から続く
ゴールデンウィークにお盆、年末年始と、長期休暇と切っても切れない関係にあるのが高速道路の大渋滞だ。いかに覚悟していようと、30kmを超えるような渋滞に巻き込まれれば、「一体どこまで続くのか」と気が滅入ってしまうものだろう。
しかし歴史を遡ってみれば、この程度の渋滞などまだ序の口に過ぎないことがわかる。何しろ日本史上最長の渋滞は、滋賀から愛知まで「154km」にもわたる絶望的な長さだったのだから……。
渋滞の予兆は…
日本史上最長となる渋滞が起きたのは、1995年12月27日。名神高速の下り線、秦荘PA付近(滋賀県、現在の湖東三山PA)を先頭に、東名高速の赤塚PA付近(愛知県)まで150km超の長大な渋滞が発生した。
時期的に年末の帰省ラッシュが原因のように思われるが、この年の仕事納めは28日。もともと渋滞のピークとして予想されていたのは、30日と31日なのだ。一体この日、名神・東名高速で何が起きていたのか。
現在、この渋滞の原因は「豪雪による通行止め」とされている。しかし当時の報道を追ってみると、事態はもう少し複雑だ。そもそもこの恐るべき渋滞の前兆は、同年のクリスマスから始まっていたのである。

この年、クリスマスの日本列島は、きわめて強い寒波に襲われていた。25日の明け方ごろから西日本各地で大雪警報が発令され、とくに三重県北部地方では、27日の朝まで丸2日間にわたって警報が続いた。
三重県四日市市では26日、当時観測史上最大となる積雪量53cmを記録。朝日新聞名古屋本社版27日朝刊は、四日市市内にある商店街のアーケード崩落事故や、同市で宿泊行事中だった小学5、6年生たちが帰宅困難に陥っている状況など、多方面に大雪の影響が生じていたことを伝えている。
連日の大雪は交通機関にも多大な影響を及ぼし、中部・近畿・中国地方の高速道路では各地で通行止めが発生し、寸断状態に。東海道・山陽新幹線でも徐行運転による遅れが生じ、在来線においても運休や遅れが相次いだ。
待ちわびた晴れ間と通行止め解除、しかし…
問題の名神高速でも、25日から26日にかけて通行規制が実施され、26日午前中にはほぼ全区間が通行止めとなる。通行止めが全面的に解除されたのは、晴れ間の見えた27日、午前8時30分になってからのことだった。
しかし当然、年の瀬に連日通行止めが続いたのだから、西日本から中日本の物流はすでに大混乱に陥っている。高速道路のIC付近には、何時間も前から開通を待つトラックが列をなし、規制解除とともに各ICから大量の車列が流入していく。
結果として名神高速は上下線とも大規模な混雑に見舞われ、昼ごろの上り線では滋賀県の栗東ICを先頭に、大阪府の吹田ICにかけて60kmの渋滞が生じていた。
下り線でも、昼前の段階で岐阜羽島ICを先頭に愛知県の音羽蒲郡ICまで77kmの渋滞。さらに夕方ごろになると、滋賀県の彦根ICを先頭に、愛知県の豊川ICまで渋滞区間は延びていき、150km規模にまで拡大する。
日付が変わって28日の午前1時を過ぎても、滋賀県の八日市ICから音羽蒲郡ICまで、150kmの渋滞が続いていたことが報告されている。
混雑はその後も解消されず、28日午前中の下り線も、愛知県の春日井IC付近で65km、栗東IC付近で20kmと、大雪の影響は長く尾を引いた。29日の段階で渋滞は20km規模まで縮小するが、とうとう完全には解消されないまま、帰省ラッシュのピークを迎えることになった。
一般道や高速出入り口も大混乱
連日の通行止めは、迂回路となる国道にも多大な影響を及ぼす。27日、国道1号の下りでは、四日市〜名古屋市熱田区で約100kmの渋滞、国道23号の下りでも四日市〜名古屋市緑区で約70kmの渋滞が発生する。
読売新聞中部支社版の27日朝刊には、大阪市から四日市市まで15時間かかったと話す大型トラック運転手の声が紹介されている。恐ろしいことに、彼はまだ静岡の浜松に向かう途中なのだという。
物流への影響もさることながら、個々のドライバーの肉体的・精神的な負担は計り知れないものだっただろう。
高速道路上で通行止めの範囲が随時縮小・拡大されていたことも、混乱に拍車をかけた。通行止め区間の縮小にともなう急激な車列の流入により、名神高速上り線では26日、京都東ICから豊中ICまで47kmにわたる渋滞が発生。読売新聞大阪本社版の27日朝刊には、当時の様子が克明に記されている。
長時間動かない車列のなかに閉じ込められる人々に、トイレを探して歩き回る人たちの姿。その後の通行止め区間の延長にともない、一般道へと吐き出されていく車列が立ち往生に巻き込まれていく様子。
一般道の路側帯で停車したまま、運転手が睡眠に入ってしまったトラックや、普段は10分程度の道なのに5時間経っても目的地に着かないという乗用車のドライバーの声も紹介されている。
市民生活への影響が…
慣れない大雪に、一般道では各地でスリップ事故も多発した。読売新聞中部支社版の27日朝刊では、四日市市内の踏切内における脱輪事故や、同じく踏切内での大型車による立ち往生が報告されており、連日の雪を原因とする事故が東海三県で1000件を超えたことも伝えられている。
物流の動脈がマヒ状態に陥ったことで、西日本〜中日本の流通はみるみる滞っていく。市場の入荷量は激減し、朝日新聞名古屋本社版27日夕刊によれば、名古屋中央卸売市場における同日の野菜の入荷量は普段の半分に。魚市場のせりも機能不全に陥った。
小売店への搬入も大幅に遅れ、28日の毎日新聞京都版によれば、市内のコンビニへの配送が大幅に遅れた結果、届いた食品が間もなく賞味期限を迎えたため廃棄せざるをえないケースが相次いだという。
ホンダやトヨタ、マツダや三菱といった大手の自動車メーカーも、工場への部品供給が滞り、操業停止を余儀なくされた。
混乱のなか、運送業者のなかには陸路を諦め、フェリー利用に転じるドライバーが激増する。27日、愛知県の渥美半島先端にある伊良湖岬のフェリー乗り場には普段の10倍ものトラックが押し寄せ、乗り場へと続く2本の国道でそれぞれ約2kmにわたる渋滞が生じた。
時代を感じさせるのが、郵便局をめぐる混乱だ。年賀状の配達に遅れが生じる懸念が高まり、普段は配送業務に携わらない背広組が応援に駆けつけ、夜通し仕分け作業に取り組む姿を読売新聞中部支社版が29日の朝刊で報告している。
なお同じく29日の朝日新聞名古屋本社版朝刊では、年賀状の業務が通常に戻り、25日までに投函された年賀状はつつがなく元日に到着する予定と伝えられている。
このように、今でこそ「154kmの大渋滞」という記録として語られる出来事だが、これだけの大混乱の背後には想像を絶する極限状況が各地で繰り広げられていた。ここで取り上げた事柄も、当時個々人の身に起きた労苦のごく断片に過ぎないことを思うと、なんとも途方もない気持ちになる。
なおこの渋滞の翌年には道路交通情報通信システム(VICS)がサービスの提供を開始し、2001年にはETCサービスが始まる。新名神・新東名の開設や、チェーン規制の明確化など、インフラ面や制度面の充実を考えると、現在この規模の渋滞が発生するとは考えにくい。
これからどんな渋滞に遭遇しようと、「154kmに比べればマシ」と思えば、少しは気分が軽くなるかもしれない。もちろん人間、それほど都合よくできてはいないわけなのだが。
(鹿間 羊市)