毎日バチバチ「つぶしてやる」「やられてたまるか」…つけ麺発祥の旧東池袋「大勝軒」修行志願者200人の弱肉強食
2025年3月28日(金)10時15分 プレジデント社
旧東池袋大勝軒にて(左:山岸一雄さん、右:田内川真介さん) - 画像=プレスリリースより
※本稿は、北尾トロ『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
画像=プレスリリースより
旧東池袋大勝軒にて(左:山岸一雄さん、右:田内川真介さん) - 画像=プレスリリースより
■「僕はいい下っ端になれるんですよ」
【田内川真介(「お茶の水、大勝軒」代表、以下、真介)】「のれん分けした店でもいいので、どこか働かせてくれる店はないですか」って頼んでみたら、江戸川橋「大勝軒」に電話をしてくれて、二〇〇五年の春から三カ月間の約束で受け入れてもらえることになりました。
【北尾トロ(以下、北尾)】期間限定の“預かり”でかろうじて滑り込んだんだ。(東池袋店にいた)柴木さんにとっては、真介さんに教える手間がかからなくて都合がよかったんでしょうね。
【真介】僕としても、肩慣らしを兼ねて江戸川橋に入って、基礎を学んだ上で、(療養中の)マスターが復帰したときに東池袋に戻れればちょうどいい。そのときは江戸川橋に入れて幸運だったと思ってました。修業を終えた研修生が三人でやっていて、やる気もあって雰囲気もよかったんです。
【北尾】変則的な形ではあったけど、江戸川橋の手伝いスタッフとして修業生活が始まった。でも、気ままなフリーター生活からいきなりタテ社会に入って戸惑うことはなかった?
【真介】まったく平気でしたね。それまでも、サバゲーのチームや勝浦のバナナボート屋とかで、規模は小さいながらも組織的にやっていましたから。
【北尾】でもそれまでは、自分で立ち上げたチームだからトップの役割だったでしょう。今度はいちばん下っ端からやらなければならない。
【真介】それが、じつは僕はいい下っ端になれるんですよ。トップをやったことがある人は、下が何をしてくれたら嬉しいかわかるじゃないですか。指示を出される前に先読みしてやっておくとか。ところが、トップを経験したことがない人は、その場の状況を俯瞰して見られないから場当たり的にやりがちなんです。僕は上の考えていることが想像できた。とにかく結果を出さなければならないので必死にやりましたよ。
撮影=堀隆弘
左が田内川さん、右が北尾さん - 撮影=堀隆弘
■弟子入りした研修生はアルバイトよりも給料が安い
【北尾】江戸川橋に来たのは柴木さんの一存だから、使えないヤツだと報告されたら東池袋に戻れる保証はなかったんですね。
【真介】そうです。朝から晩まで働いて月給五万円でした。勉強させてもらっている身分とはいえ、研修生の給料はアルバイトよりも安い。
【北尾】二年間アルバイトしていたから、その三カ月間で勘は取り戻せましたか。
【真介】すぐに仕込みの手伝いをするようになり、短期間で一通りの手順は覚えました。
私は、真介には二つの性質が同居していると思う。バナナボートで稼いだときの「いまが楽しければそれでいい」という刹那的な面がある一方で、深夜のコンビニで働いたときには、自分の将来について悩み抜き、慎重に忍耐強く将来のビジョンを探ろうとしていた。修業に入ると前者は影をひそめ、後者の辛抱強さが前に出てきた感じがする。コンビニのときは目標がなかったけれど、今回は独立というゴールがあったからだ。この男に目標を与えたらとことんやろうとするのはバナナボート屋で実証済み。この先の展開が楽しみになってくる。
【真介】江戸川橋では、いざ東池袋に戻るというときに備えてがんばっていたんですけど、誤算もありました。やる気があって基礎的なこともできて、安く使える便利な人材を手放したくないから、江戸川橋の店主が柴木さんに「アイツは使えない」と嘘の報告をしていたんです。
【北尾】そんなことをされたらたまったもんじゃない。入店した時には雰囲気がいい店だったなんて言ってましたけど、とんでもない仕打ちですね。
北尾トロ『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』(文藝春秋)
【真介】下手したらこのまま延々と“見習い研修生”をやらされてしまう。幸いにも、その対応を見かねた兄弟子が柴木さんのところへ連れて行ってくれて、「真介は仕事ができないと聞いているだろうけど違います」と証言してくれた。それで、その日のうちにマスターの住むマンションに挨拶に行くことができました。
【北尾】ようやく山岸さんに会えたんですね。
【真介】マスターは僕が弟子入りを志願していたことさえ知らなくて、どうして僕が柴木さんに連れられてきたのかわからず驚いていましたね。経緯を話すと、すぐに東池袋へ戻ってきなさいと言われました。
■最強の弟子になるための心得
【北尾】でも、東池袋に戻ったらまた一番下っ端からのスタートになったんでしょう。いつも店には弟子がたくさんいたみたいだし。
【真介】マスターは志願者をほぼ無条件に受け入れていたので、僕が弟子入りした二〇〇五年当時の東池袋には全国から集まった弟子が、常時十人はいました。マスターの方針は、来る者拒まず去る者は追わず。修業して出店した弟子は百人以上と言われていますが、修業に来たのはその倍以上いたはずです。そんなラーメン屋、聞いたことがないですよ。
【北尾】いろんな事情を抱えた弟子入り希望者がいそうですね。
【真介】マスターはどんな経歴の志願者にもチャンスを与える人でした。修業期間も何年もかかる人がいるかと思えば、半年で独立していく人もいる。一週間で逃げていく人もいました。店では修業中の弟子のことを研修生と呼ぶんですが、レベルの差が大きかった。できる人、やる気のある人はどんどん伸びるけど、弟子になることだけで満足して消えていくような人も結構いたなぁ。
【北尾】入門料や指導料を取らないこともあって本気度がまちまちなんですね。
【真介】ただ、たくさんの弟子がいても、厨房内で働けるのはせいぜい三、四人。大事な仕事は店のスタッフがやるから研修生はなかなかやらせてもらえない。それ以外の人が何をするかといえば、製麺やフロアを担当できればいいほうで、残りは外で行列の整理です。
【北尾】十六席の狭い店ですからそうなりますよね。
【真介】僕は研修生は弱肉強食の世界だと思ってたんです。いくら行列の整理がうまくなっても、アイツはがんばっているから厨房に入れてやろうとはなりません。早く厨房に入るためにはどうしたらいいのか。自分の武器を作ることだ。じゃあ、自分の武器って何なんだろうと、江戸川橋にいたときからいつも考えてました。
【北尾】そうでもしないと埋没しかねない。
【真介】そうなんです。研修生の仕事は、そばを打つ製麺、チャーシューを煮る、スープの仕込み、接客やレジ、掃除まで、いろいろとありますが、人数が多いので待っていたら仕事が回ってこないし、言われたことだけやっていても仕事を覚えられない。だから自分で探してやるか、教わって、先輩より良いものを作っていかないと研修期間が延びるだけなんです。そこで、まず僕は仕込みのときに存在感を示しました。
【北尾】江戸川橋で一通りやっていたから、ブロックごとに肉をさばくのも、麺を打つのも、一人前にできるようになっていたんですね。
【真介】そうです。普通は厨房に入れてもらうまで二、三カ月はかかるんですけど僕は早かった。というのも、柴木さんが「代打、田内川」とかって無茶振りするからなんですけど。
【北尾】柴木さんも、なんだかんだ言って認めてくれていたんだ。
【真介】いや、僕のことをつぶしてやろうと思っていたんじゃないですかね。そこで失敗したら当分チャンスは巡ってきませんから、慣れないうちにやらせてつぶそうと考えていたと思います。ところが、できるもんだから、ますます憎たらしい。柴木さんとはいまでこそ親しくさせてもらい、やる気とガッツのある研修生を、短期間で独立させる手段だったことが理解できるようになりましたが、修業中はもういつもバチバチ。「つぶしてやる」「やられてたまるか」の毎日でしたよ。
写真提供=お茶の水、大勝軒
4/1〜4/15まで「お茶の水、大勝軒」で“ラーメンの神様”山岸一雄氏のかつてのレシピそのままの「復刻版もりそば」を期間限定で販売中 - 写真提供=お茶の水、大勝軒
■僕は優しくて内気なほうで闘争心が強いどころか、泣き虫だった
【北尾】柴木さんは「愛のあるしごき」のつもりだったんだろうけど、やられる側にしたら時代遅れの徒弟制度でしかない。ただ、実力主義の世界で遠慮していたら話にならないのはわかるけど、真介さんも鼻っ柱が強いね。
【真介】うーん、自分で言うのもおかしいけど、もともと僕は優しくて内気なほうで、闘争心が強いどころか、泣き虫だったんですよ。性格も、ずぼらで甘ったれ。ただ、言い出したら聞かないとか、約束したことは絶対に守りたいところがあって、それが負けず嫌いにつながっていったのかなぁ。
真介が修業に打ち込む姿はやがて周囲を動かすことになる。東池袋ヘ戻る直前に、「独立して店を持つなら二つの職業は選べない」と、フィアンセのみや子が美容室を退職。仕事の流れを覚えるために洗い物やフロアを担当するアルバイトとして江戸川橋店で働くことになったのだ。夜も独立資金を稼ぐために神楽坂の割烹料理屋で働き、全力でサポートを買って出た。
ここまでされて意気に感じないはずがない。一日も早く、使える男であることを証明すべく、真介はチャンスをうかがうことになった。
【真介】江戸川橋での三カ月のお試し期間が終わる前にみや子がアルバイトで入って、何週間か一緒に働いたことがあったんですが、こうして一緒にいられるだけで幸せだと素直に思いましたよ。ふたりで小さな店を切り盛りして食べていけたらそれでもいいな、なんてね。
撮影=堀隆弘
「お茶の水、大勝軒」の厨房内 - 撮影=堀隆弘
【北尾】独立して一発当ててやろうっていう野心はどこへ行ったの?
【真介】いや、それはそうなんですけど……。
この話を聞いて、私はちょっと驚いていた。弟子入りしたときは、みや子の存在がプレッシャーになっていたのに、江戸川橋にいる間にそれが消えていたからだ。修業に手ごたえを感じていなかったら、フィアンセにそこまでされるのは重荷になり、一緒にいられるだけで幸せなんて呑気なことは言っていられないだろう。ところが、真介はそれを追い風と受け止めて自信を深め、素直に流れに乗っていく。
私から見れば、いい風を自分のものにしてしまうこの独特の嗅覚のようなものこそが、現在に至るまでたびたび発揮される真介ならではの才能に思えるのだ。
【北尾】ところで、独立を目指すにあたって先立つものはどれくらいあったの?
【真介】それが……まったくなかった。バナナボートで稼いだ金を貯めておけばラクだったのに使い果たしちゃって。バカですよね。コンビニでアルバイトした微々たる貯金はあったけど、研修生の給料ではとても食っていけないのでたちまちすっからかん。あの時期はみや子に支えてもらってました。
【北尾】頭が上がらないね。
【真介】独立資金を貯めようとする気持ちはあって、節約しなくちゃと思っていたからデートもろくにできなくて。定休日の水曜日は、疲れ果てて夕方まで爆睡。その後にちょっと会うくらいだったかな。修業のことで頭がいっぱいだから、遊びに行く気分にもなれなかったんです。彼女にはつらい思いをさせていたと思います。
【北尾】修業中の写真を見ると目つきが険しくて、やつれている感じがするよね。
【真介】柴木さんからの圧力に耐えながら真剣に修業していた証拠です。でも、つらいことばかりでもなかったですよ。何だろうな、人生が始まったという喜びはありました。長い学生時代とフリーター時代を経て、“ごっこ”ではないリアルな時間が手に入ったんですから。(以下、後編へ続く)
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北尾 トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家
主な著書に『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』『裁判長! おもいっきり悩んでもいいすか』などの「裁判長!」シリーズ(文春文庫)、『なぜ元公務員はいっぺんにおにぎり35個を万引きしたのか』(プレジデント社)、『町中華探検隊がゆく!』(共著・交通新聞社)など。最新刊は『人生上等! 未来なら変えられる』(集英社インターナショナル)。
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(ノンフィクション作家 北尾 トロ)