「きれいに掃き清めた門前に落ち葉が舞い落ちたらあなたはもう一度掃くか」禅僧が教える幸せになる人の回答

2025年4月11日(金)16時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SerhiiBobyk

恐怖心を取り去るにはどうすればいいか。禅僧の枡野俊明さんは「現代人は万能感の高さがプレッシャーとなり、恐怖心を強くしてしまう。やるだけのことをやったなら、あとはもう天にお任せ、仏さまにお任せすればいい」という——。

※本稿は、枡野俊明『「し過ぎない」練習』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/SerhiiBobyk
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■「こうあるべきだ」に憑りつかれてはいけない


頑張り過ぎる人の多くは、完璧主義者のようです。


中途半端では納得がいかず、完璧にしなければ前に進めない。そのため、頑張り過ぎてしまいます。


仕事、学業、家事、趣味……何であれ、完璧を目指すのはよいことです。しかし、そのすべてにおいて完璧にできる人はいないでしょう。何か一つでも完璧にこなせるならば、その才能はもちろん、努力や集中力が備わっている人といえます。


人は環境などの影響を受けて感情や体調に左右されやすく、どれほど才能に恵まれていても、どんなに努力しても、常に完璧な結果を出すことは難しいものです。


ですから、完璧に近づこうとする姿勢はよいのですが、完璧にできなければ自分が許せなくなるようでは本末転倒です。


こんな例はいかがでしょう。


お客さまが来訪されるので門前の落ち葉を掃きました。きれいになって、自分も清々しい気持ちになりますね。お客さまもきっと清々しい気持ちになるでしょう。


ところが来訪直前、フワッと風が吹き、また落ち葉が舞い落ちてしまいました。


あなたなら、落ち葉をもう一度掃きますか?


「せっかくきれいに掃き清めたのに」と、掃かなければ居ても立ってもいられない気持ちになる人は完璧主義者といえるでしょう。そうして箒を持ったまま、お客さまを迎えたならば、お客さまは早く来過ぎたかと気まずい思いをされるかもしれません。


いっぽう、お客さまを迎えるためにやることはやったのだからと、自分を許すことができる心に余裕のある人は、来訪されたお客さまにお茶を出しながら「たった今、ひと風吹いてしまいましたが、落ち葉も素敵ですね」と笑顔で言えるはずです。


どちらも、きれいに掃き清められた場所にお客さまを迎えたいという気持ちは変わりません。ここで大切なのは、お客さまを気持ちよくお迎えするためには、今、どうしたらよいかということです。


■固執してしまうと、柔軟心がなくなる


「柔軟心」という禅の考え方があります。


先入観や固定観念、思い込みにとらわれない心の状態を意味します。


「やわらかく、しなやかな心で生きなさい」という教えであり、自分の価値観のなかだけで、ものごとを見るのではなく、高く広い視野で考えることが大切です。


現代語の「柔軟」も、かたよらず、さまざまなものに対して素直に対処できる様子を意味する言葉ですから同様にとらえてかまわないでしょう。


「こうあるべきだ」「こうあらねばならぬ」と、一つのことに固執してしまうと、柔軟心はなくなります。


完璧を求める人は「こうあるべきだ」に縛られていますから、状況や相手に応じて自由自在に変わっていくことに対して、どうしても否定的になります。いろいろな場面で、一つのことに縛られて、いつも気が休まりません。


柔軟でいることは、状況に流されて自分を甘やかすことや弱さではありません。


変化に対応する自由さは、むしろ強さであり、結果として成功や幸福感につながるものです。


■どれだけ準備しても不安な人に足りない視点


前ページで「完璧主義を捨てましょう」というお話をしましたが、失敗するのが怖くていくら準備しても不安な人も多いようです。


準備をし過ぎて疲れてしまうような人です。


人はなぜ、不安になるのでしょうか——。不安にはいくつかの理由があります。


未来が見えない不確実性が人を不安にさせます。この先どうなるかわからず、失敗するかもしれないという恐れが心をざわつかせます。


また、過去にうまくいかなかった経験があると、また失敗するのではないかと心配になることもあります。


写真=iStock.com/PonyWang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PonyWang

あるいは、周りの人をがっかりさせたくないという気持ちが強いと、失敗が怖くなります。自分はできるはずだ、自分に失望したくないという気持ちも同様でしょう。


そして前ページのように完璧を求め過ぎると、小さなミスや失敗が大きな問題のように感じられてしまいます。


しかし、どうでしょう。あらゆるものごとにおいて、自分の力だけで完璧に達成できるということはありません。社会状況や周りの人の助け、さまざまなものが関係してきますから、自分がどんなに努力しても、結果としてうまくいかない場合もあるものです。


■現代人は万能感が高まっている


準備をし過ぎて疲れてしまう人が多くなったのは、現代人は万能感が高まっているからではないかと私は感じています。


現代社会は、テクノロジーが急速に進化しました。たとえば、インターネットは、ほぼすべての情報に対して即座にアクセスを可能にしました。これまで非常に時間がかかっていた作業も、人工知能(AI)によって瞬時にできるようになりました。


テクノロジーの進化のおかげで生活や仕事における多くの課題が簡単に解決できるようになり、「自分は何でもできる」という万能感が生まれたように思います。


あるいは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)には、他者の成功や充実した生活ぶりが頻繁に投稿されます。それを見て「自分も同じようにできるはずだ」という焦りが助長されていきます。


こうした万能感や焦りがプレッシャーとなり、「期待に応えなければいけない」「失敗できない」と恐怖心を強くしているのではないでしょうか。


人間は万能ではありません。先般の新型コロナ感染症によるパンデミックや、地球温暖化による自然災害などは、人間の行為によるものであり、受け入れざるを得ないのです。


あるいは、突然の事故や病気も同様です。もちろん、わが身にふりかからないための用心はしますが、起こってしまったら受け入れざるを得ません。



枡野俊明『「し過ぎない」練習』(クロスメディア・パブリッシング)

人は、行為の結果をすべてコントロールできるわけではないのです。


準備をし過ぎて疲れてしまう人は、自分が準備できるのはどこまでなのか、ゴールを明確にすることが大切です。


「ここまで準備したら、明日に備えて休もう」と決めてしまうのです。そうすれば、「もっとやらなきゃ」という不安を抑えることができます。


「人事を尽くして天命を待つ」ということわざを出すまでもなく、やるだけのことをやったなら、あとはもう天にお任せ、仏さまにお任せすればいいのです。


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枡野 俊明(ますの・しゅんみょう)
曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー
1953年、神奈川県生まれ。多摩美術大学環境デザイン学科教授。玉川大学農学部卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行ない、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。また、2006年『ニューズウィーク』誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。
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(曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー 枡野 俊明)

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