だから「学校に行きたくない」子供が増えている…"一日も休まない子"をクラスで褒め称える学校は正しいのか
2025年4月16日(水)17時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_
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■「これくらいできないと困るのはきみだよ」
【武田】今回、「これくらいできないと」というテーマを聞いて一番に思い浮かんだのは「挨拶」でした。
挨拶は「だれでもできるでしょ」と思われがちです。
声を出すだけ、目を見て笑顔ではきはき言えばいいだけ。「『おはようございます』『さようなら』の一瞬くらい、元気に振る舞えるでしょう?」と。
でも実際は、それがとても緊張してドキドキしてしまうんだという子や、プレッシャーになってつらいという子もいるわけです。「これくらい」と思われていて、特にできやすさに差が大きいのが挨拶だと思います。
【勅使川原】なるほど。中高時代から、挨拶の声が小さいのと目を合わせたがらないことを先生にやんやん言われていた身なものでさっそく興味津々です。
■その正しさに「正当性」はあるか
【武田】いま一緒に学校DE&I〔Diversity, Equity & Inclusion。多様性を前提に組織やコミュニティのあり方を見直し、差別や排除をなくしていくための視点〕を広める活動をしている仲間と、「学校の正しさカード」というものを作っています。今の学校で良きこととされているいろいろなこと、それこそ挨拶や服装、姿勢などの「正しさ」を一つひとつカードにしています。
「学校の正しさカード」とマトリクス 出典=『「これくらいできないと困るのは君だよ」?』(東洋館出版社)
まだ開発中なのですが、「その正しさの“強固さ”」と「その正しさの“正当性”」という2軸で、マトリクスの上にカードを配置していってもらうというワークをしようかと考えています。
カードを裏返すと、その正しさ・“常識”を苦しいと感じている子どもの声が書かれています。それを踏まえて、「この正しさってどうなんだろう?」と立ち止まって考え、より暴力性の低くなる対応を考えてみよう、というものです。
■「学校行きたくない」を生むもの
【勅使川原】この対談の事前打ち合わせで見せていただいたときから、とても印象に残っていて。今、小学6年生の息子に見せたら、生意気で恐縮なのですが、「この人、わかってんじゃん」と言っていたんですけれども(笑)。
息子もまさに学校で日々、「規範に合わせなさい」と、協調的に動くようとがめられがちな人間なのでめちゃくちゃ刺さっていたというか、「こんなおとながいるんだ……」と驚嘆した様子でした。「これくらいできないと……」という観念とひもづけて、今日はぜひ詳しくお聞きしたいと思っています。
【武田】息子さんにお褒めいただき光栄です(笑)。
一緒に「正しさカード」を作っている人は、小学生のお子さんがいるお母さんなんですけど、ご自身も人前で話すのがすごく苦手だったし、お子さんもとても苦手で、「元気にハキハキと」言わないといけないのと、定型文をやたらと言わされるのがとてもしんどいと。
例えば学校って、おうちの人に書いてもらって提出するものがあるじゃないですか。小1のお子さんは、「教室に入るのも緊張する……」という状態で、そういう提出物を先生に出すときに言葉が出せず無言で差し出したところ、「“お母さんから預かってきました”は?」と言い直しを求められたんだそうです。しばらく沈黙状態になり、最終的に受け取ってもらえたものの、翌日からも毎日そういうやりとりがあり、「学校行きたくない」となってしまったと。
■「できるけどしんどい」が許されない
その先生としては、たぶん社会化の練習として課したんですよね。別に意地悪しようと思ったわけではないと思います。でも、そういうのでしんどくなる子もいるんですよね……。
【勅使川原】何か、気持ちがすごくわかる。昔って、切符は券売所で声に出して、行き先を言って買っていたんですよ。当時、自動券売機というものがなく(笑)。在来線に乗ってどこへ行くにも、「どこどこまで、子ども1枚」とかって。私はあれが言えなくて。やっと言って手渡された切符は、手汗でしなしなになる始末。それをすぐに思い出した。
【武田】私は挨拶は苦になりませんが、電話が苦手ですね。かけるのもとるのも。誰が出るかがわからない場合は特に、めっちゃ緊張します。必要なときは仕方なくしますが、なるべく避けたいことの一つです。
■「HSPだから」の問題点
【勅使川原】「お母さんから預かってきました」と言うのが難しくて渡せなくなるというと、最近はそれをハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)だから、みたいに言ったりもしますよね? ただ悩ましいのは「HSPなんです」と言った先だと思っていて、そのあたりはいかがですか?
【武田】そうですね、HSP概念にしても、発達障害にしても、基本的に困りごとの原因を個人に帰するベクトルで使われがちなのが気になってしまいます。「この子が特殊に、こういう性質だから仕方ないよね」みたいな。
【勅使川原】ですね。あたかも「配慮」「特別対応」「思いやり」かのようですが、そもそもベクトルが個人に向いている。それでは問題が個人化する一方ということですね。
■「わがまま」なのか、「本当に無理」なのか
【武田】「こういう子だから特別に」に付きまとうものとして、「『本当に無理なのか』問題」というのがあると思っています。つまり、「頑張ったらできるのか、本当に無理なのか」とか「わがままやサボりではなく、本当に対応してあげないといけない案件なのか」という問いです。
【勅使川原】ナッツアレルギーなのか、ただの好き嫌いなのか。
【武田】そうそう。アレルギーは医学的に診断できるからまだわかりやすいですけれども。児童精神科医の吉川徹さんが、「『できる』と『できない』の間には、『できるけど疲れる』ことがたくさんある」とおっしゃっていて。白黒つくわけじゃなくて、グラデーションなんですよね。
写真=iStock.com/Milatas
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Milatas
【勅使川原】いいこと言う。本当にそうですね。
■ベクトルを「環境」に向けてみる
【武田】「それな!」となりました。
結局そこをジャッジしたがっちゃうんですよね。コッチなのか、ソッチなのか。でも、それは困った状況の原因を個人に帰そうとするからそうなるのであり、環境のほうに矢印を向けると、取れる選択肢はきっともっと増えると思うんですよね。
【勅使川原】そのとおりだよね。まさに障害の「医学モデル」ではなく「社会モデル」の考えですね。
【武田】ただ、「学校の正しさカード」についてもそうなんですけど、すでにある「善し悪し」の価値観は、全部取り払わないといけないのかというと別にそうでもないと思うんです。それは実際難しいし、世の中の“アタリマエ”をすべて相対化してしまったら、それはそれで不便で不安になる……ということもあるだろうと思います。「挨拶なんてしなくていいじゃないか」と単純に言いたいわけでもないんですね。
■「どっちか」に振り切らなくていい
いろいろな人がいるなかで、「この人はこれがしんどい」「あの人はあれがしんどい」ということは多様にあるわけです。挨拶の話も、挨拶が緊張してこわい子もいれば、挨拶が返ってこないことで悲しい気持ちになる子もいる。
私も個人的には自然な挨拶が飛び交う空間のほうが心地いいです。「でも、挨拶しなきゃ……という状況がしんどいと感じてる子もいるのだけれども、どうしようか」とみんなで考えることが大事なんだと思います。
どっちかに振りきるんじゃなくて、“いろいろ”を持ち寄って対話することで誰かのしんどさを軽減したり、“正しさ”や“あたりまえ”が生み出す暴力性を下げることはできる。
例えば挨拶のバリエーションをみんなで考えてみることで、「挨拶は『ヨッ』でも、ハイタッチでも、ペコッと会釈でもいいよね」となったら楽になるかも、とか、そういう話もあるじゃないですか。
【勅使川原】あるある。
■だから「これくらいできないと」が蔓延する
【武田】「これぐらいできないと……」には「社会は所与のもの、既存のもの」という社会観が大きく影響していると感じるんですよね。
「社会がこうだから、これぐらいできるようにさせてあげないと」と、先に規定されている、揺るぎない「社会」というものがあって、それが大前提だから「これぐらいできないと」となるわけですよね。「だってこの子が困るでしょ」と。
意地悪してるわけじゃなくて、本当に善意なんです。挨拶はわかりやすい例です。でも、その善意自体はわかりますが、本当は社会だって場所によるし。
【勅使川原】そうなんですよね。ある種、そこで呼んでいる「社会」というのが、変わりそうもない魔物で、個人というのはその魔物に服従するほかないかの存在になっていますね。
【武田】一口に「社会」って言っても、カタい職場もゆるい職場もあります。自分に合う場所を探すことも選ぶこともできるし、同じ場所であっても変わっていきうる。もっと「変わっていくもの、変えていけるもの」という、可変的な社会観を広げていきたいです。
■なぜ「1日も休まなかったこと」が表彰されるのか
【勅使川原】学校って何事も「全力」でやらないと駄目ですよね。
【武田】全力というと?
【勅使川原】本当に全力でやってみたのか、挑戦したのかどうかみたいな。「できるけれども、とても疲れる」が許されないのは、「疲れたぐらいでは駄目」なわけじゃないですか。不能に陥った、なんなら倒れる寸前ぐらいじゃないと駄目という、これは何なんですか。マッチョ全力問題。
【武田】ああ……それしんどいですよね。でも、自分も結構、その価値観を吸収してきてしまっているなとも思います。
【勅使川原】でも、そうもなりますよね。私の学生時代は、皆勤がバキバキに奨励されていました。
写真=iStock.com/andrei_r
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【武田】皆勤賞を表彰している学校、まだそれなりにあるようですね。
【勅使川原】減ってはいるとか。皆勤じゃないとダメなのか? は学問的にも問われてきていますよね。保坂亨さんの『学校と日本社会と「休むこと」:「不登校問題」から「働き方改革」まで』(東京大学出版会、2024年)など。
【武田】全力イズムはありますよね。
■「聞いているか」よりも「聞く姿勢」
【勅使川原】疲れたぐらいじゃ駄目なんですよね。「疲れた」って言ったら、すごく怒られたじゃないですか。
【武田】ああ、わかります。「疲れた」って言うと「簡単に言うな」みたいな感じって、ありますね。
【勅使川原】私、冒頭でも言いましたが、元気はつらつ! という感じでは昔からなかったので、声とか目線とかよく注意されていたのですが、歩き方まで言われたことがあって。「覇気がない。女子中学生らしく歩け」と、校門に立たれている先生に怒られたことも(笑)。「子どもらしく」していないといけない。
【武田】私は、小学生のときによく、机に腕を伸ばしてそこに頭をのせてだらっと授業を聞いていて怒られました。
【勅使川原】教科書のかたい角でたたかれるパターン(笑)。
【武田】これは結構、繰り返し怒られましたね。ちゃんと聞いてたんですけどね(笑)。
【勅使川原】聞いているかどうかじゃなくて、「聞く姿勢」が問題なんですね。あるある。なぜこうも全身全霊、全力を求めるんでしょう。
2024年の大ヒット書籍である三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)でも、半身で働けないと書かれていますよね。でも学校で、「半身でいい」だなんて認められた試しがない。
学校の先生も、それぐらい全身全霊で働いているということなのかな。
■いつも「全身全霊」では死んでしまう
【武田】全身全霊で働かねば……と頑張ってる・踏ん張ってる先生はきっとたくさんいると思います。全身全霊が悪いとは思わないし、すごいことだなって思うんです。
勅使川原 真衣、武田緑『「これくらいできないと困るのは君だよ」?』(東洋館出版社)
でも、本来それは、自分が「これを全身全霊で頑張りたい!」と思ったものにすることであって、他人が強いるようなものではないと思うんです。
それに、自ら「これだ!」とコミットしたことであっても、別に常に全身全霊でなくてもいいよなとも思います。
【勅使川原】たしかに。全方位的に全力でやったら死んじゃう。
全身全霊でないと「不真面目」「やる気がない」「手抜き」「要領だけはいい」……これはしんどい価値観の一つですね。ただここまで染み渡った価値観をどこからどう変えればいいのか、いまいちわからずにいる私としては、武田さんのおっしゃる「学校の正しさカード」は、そういうところの改革にもつながっているような気がして、わくわくします。
【武田】そうなったらうれしいですね。
(後編につづく)
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勅使川原 真衣(てしがわら・まい)
組織開発者
東京大学大学院教育学研究科修了。BCGやヘイグループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社、紀伊國屋書店じんぶん大賞2024 第8位)、『働くということ』(集英社新書、新書大賞2025 第5位、紀伊國屋書店じんぶん大賞2025 第11位)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、『格差の“格”ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版)などがある。
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武田 緑(たけだ・みどり)
学校DE&Iコンサルタント・Demo代表
学校における【DE&I(多様性・公正・包摂)】をテーマに、研修・講演・執筆、ワークショップやイベントの企画運営、学校現場や教職員への伴走サポート、教育運動づくり等に取り組む。朝日新聞デジタル「コメントプラス」のコメンテーター。著書に『読んで旅する、日本と世界の色とりどりの教育』(教育開発研究所)がある。フリーランスとしての活動のほか、学校DE&Iの実現のためには学校現場のエンパワメントが必要との思いから、全国の教職員らと共にNPO法人 School Voice Projectを立ち上げ、現在は理事兼事務局長として活動に従事している。
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(組織開発者 勅使川原 真衣、学校DE&Iコンサルタント・Demo代表 武田 緑)