『べらぼう』鳥山検校役の市原隼人 白濁したレンズを装着、ほぼ見えない状態で挑んだ難役。瀬川・小芝風花には「芝居のファンです」
2025年4月6日(日)20時45分 婦人公論.jp
(『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』/(c)NHK)
江戸のメディア王として、日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築いた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎(横浜流星)の生涯を描く大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。盲目の大富豪、鳥山検校を演じるのが市原隼人さんです。幕府の許可を得て高利貸しを営み、莫大な資産を築いた人物。洞察力が鋭く、相手の心を見透かしているような言動で登場する度に視聴者に強烈なインパクトを残しました。花魁の瀬川(後の瀬以)を身請けしたものの、蔦重を思う瀬川の本心に気づき葛藤します。幕府からの手入れが入ったことで、4月6日放送の第14回「蔦重瀬川夫婦道中」では瀬川を離縁しました。難役に挑んだ市原さんは「迷いながら演じてきました。一生忘れられない役です」と語りました。
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視覚障害者を取材
大河ドラマの出演は3回目。毎回、オファーをお受けした役の資料を読ませていただいたり、血がつながっている方に会いにいかせていただくのですが、鳥山検校は資料も少なく、謎に包まれていてとても難しかったです。私が演じることで、鳥山検校という人物を知っていただくきっかけになればありがたいなという気持ちでした。
検校の役を掴むために、視覚障害者の方の生活を支援する施設(東京視覚障害者生活支援センター)に伺って、実際に目が見えない方や支援される方のお話を伺いました。印象的だったのが、「今度結婚される」という方のお言葉です。「相手のお顔を見たことはないけれどすごく素敵な方」とお話しされていました。「形あるものはいつか壊れるかもしれない。でも、形がないものはいつまでも自分のなかで壊れずに大切にしていける」という新たな思いを見出すことができました。
また、純度100%の暗闇を体験できるイベントにも参加し、目の見えない方が私が今まで感じたこともない世界で孤独と寄り添っていることに気づきました。誰かが相槌や返事をしてくれないと、だれもいないのと同じ。声を聴こうとしたり、風を感じようとしたり、自分から何かを得ようとしないと何もないに等しいと感じました。
検校もその痛みがわかるからこそ、逆に相手の隙に入ることもできる。それはいい方向に向かうこともできれば、悪事にも使うことができてしまうのが恐ろしいです。
希望の光が瀬川
孤独な人生を送ってきた検校が、希望を見いだせたのが瀬川でした。初めて検校が吉原で瀬川に会ったとき、本来なら初会の花魁はただ座っているだけのはずでした。でも、瀬川はそのルールを破って、目の見えない検校のために本を読んでくれた。ともに共犯者になれたような気持ちになったと思います。検校は、寄り添う覚悟をもってくれた瀬川に惹かれたのだと。検校は常に孤独で、人と通じ合えない部分が常にあった。その中で出会った瀬川に、計り知れない思いが沸いたのではないでしょうか。
瀬川を身請けして妻にしたものの、蔦重を思い続ける瀬川を自分のものにできず、検校の心は乱れていきます。
蔦重に嫉妬したのではなく、瀬川を自分のものにできない自分の境遇への憤りを自分に向けていたと解釈していました。自分の人生のもどかしさ、瀬川へ当たり前のようにしてやりたいこともできないくやしさ、自分への憎悪です。
瀬川に惚れた腫れたというだけではなく、もちろん女性としてずっと寄り添っていきたい相手ではあるのですが、瀬川の人間愛に惹かれた形だと感じています。
視覚障害の方にお話を聞いたら、目が見えない分、ほかのいろんなところが優れていくそうです。衣擦れの音や声のトーン、すべてで人の感情が読めてしまう検校だからこそ、日々逃げ場のない様々な感情が交錯するスパイラルにはまってしまった。生きていくことすら苦痛になっていくような人生だったかもしれません。そこに初めて見えた、かけがえのない一筋の光が瀬川だった。だからこそ、瀬川が自分を向いていない状況に苦しみを感じてしまったのではないでしょうか。
白濁したレンズを提案
目が見えない役を考慮し、演出の方には、「早くは動きたくないです」とはお伝えしました。丁寧に状況を把握し裏の裏をかく様を通して視聴者の皆様にも検校の謎に包まれた本音を想像していただく余韻を作る為にモーションはとにかくゆっくりにしました。
私の提案で、白濁したコンタクトレンズを入れました。視界がいつもの20%くらいしか見えません。輪郭は何となくわかるけれど、横から光が入ると反射で視界がゼロになる。なので、テストでは入れず、本番だけ装着しました。
早めに先に現場に入って、念入りに動きの確認をしていました。目が見えない状態なので、普段とは全く違う芝居になりました。まばたきもしないようにしていました。
検校のすべてを見透かしているような、実は目が見えているんじゃないかと思わせるような所作は難しかったですが、どうすればいいのかと悩み続けることが役作りであり、その迷いが芝居に出ればいいなと思っていました。
瀬川との距離感に迷い
いちばん迷ったのは、瀬川との距離です。「瀬川を信じられない」という心を持ちながら、それでも寄り添いたいという矛盾した思いがあった。自分の殻を壊そうとしながら瀬川に近づいていったと思うので、そのぎこちない距離感が出るように心がけました。
(『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』/(c)NHK)
幕府の手入れが入り、検校は捕まってしまいますが、自分の行いをすべて理解していて高利貸しをしていたと考えています。どこかうしろめたさがあったから、最後、瀬川を離縁することができた。
「どこまでいっても女郎と客」という検校のせりふがありましたが、どこまでいっても取り繕った2人だったかもしれない。でも瀬川と過ごした時間は、あの日、あの時、あの場所に戻りたいと思う、燃えるような時間であったのかもしれません。「お前が望むことはすべてかなえてやる、私の妻だからな」というせりふは、検校の本心、純粋な気持ちだったと思っています。
ただ、離縁が本当に検校の本心かわからないところが、検校の美しさでもある。振り回された瀬川もいた。そのすべてが美しいし、歯がゆさと切なさを感じる関係性が素敵でした。
(高利貸しの結果、多くの人を不幸にした)検校の行いを背負っていくのは検校だけでなく、瀬川もです。離縁して終わらせるのではなく、それまでの行いを常に背負い続ける道を選ばせる。それが人間としての成長につながる。森下さんの描いた人間愛というものが美しいと思いました。
小芝風花に「尊敬しています」
瀬川を演じた小芝風花さんとのシーンが多かったのですが、尊敬しています。(現場では)瀬川として生きていらっしゃる。一緒に芝居できることが幸せだと感じる女優さんでした。
ちょっとした声でも動きでも、その場の空気をすべて自分のほうに向ける魅力がある。最後に「あなたのお芝居のファンです」と伝えました。風花ちゃんが演じたから、瀬川の繊細な人間愛の部分や『べらぼう』という作品の空気感ができあがった。作品に期待を持たせてくれる、かけがえのない存在でした。
鳥山検校は、一生忘れられない役になりました。どんなに自分が寄り添おうと思っても、寄り添えない役がある。私が鳥山検校の役に寄り添おうと思っても境遇が違う。私自身、人の気持ちは100%は理解することは難しいと思っています。検校の気持ちも100%は理解できない。ですが、寄り添おうとする気持ちのはじめの1%を持とうとすることが、役者としての仕事は大事だと感じました。
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