「スタッフ、キャストが、監督が何を分からないと言っているのかが分かること」緒方明監督が考える「映画作りで大事なこと」
2025年4月25日(金)7時20分 文春オンライン
〈 『爆裂都市』の現場で助監督・緒方明が石井聰亙(岳龍)監督を面罵した理由「映画監督というのは撮りたいものをただ撮りたいと言っているだけでいいわけ?」 〉から続く
30歳代はテレビ『驚きももの木20世紀』などのディレクターを務めていた緒方明監督。そこから自然と映画の企画が立ち上がってきた。40歳での商業映画監督デビュー作となる『独立少年合唱団』(2000年)はこうして始まった。(全4回の4回目/ 最初から読む )
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40歳で商業映画監督デビュー
——映画の企画はどのように始まったんですか?

緒方 『驚きももの木20世紀』というのは、20世紀に起きたいろんな出来事や事件や人物を検証していくという番組なんですよね。それで時代を描くということにだんだん興味が出てきた時に、ノンフィクションだけじゃ描けないということに気づくわけです。それはなぜかというと、時代の先端にいた人ではなく、時代の後ろにいた人たちも時代を作っているだろうと。戦争を始めた人だけではなく、戦争に駆り出された人たちもいるわけだし、映画ならその人を主役に作れるだろうという発想なんです。だから、70年代というもの、何回も『驚きももの木』でやった時代、学生運動があったり、ベトナム戦争があったり、フラワームーブメントがあったりという時代を、自分のことと重ね合わせて、当時中学生だった人間たちは何を感じていたんだろう、みたいなことを青木研次と話し始めて、「それは映画じゃないとできないよね」と始まったのが、『独立少年合唱団』なんです。
——その内容から映画だったんですね。
緒方 そうですね。「映画を作ろう」ではなくて、「僕たちは何をやるべきなのか」みたいなことで。仕事を休んで2人でシナハンとして北海道の外れにある全寮制の学校を見に行ったりしてました。青木さんは日大芸術学部の脚本コースですから、そういう脚本を書くのには飢えていたと思うので、それがうまくはまったということでしょうね。その脚本が上がって石井(聰亙)さんに相談したら、「じゃあ、仙頭を紹介するよ」と当時イケイケだった仙頭武則(注1)を紹介してくれて、「この条件ぐらいだったらできるんじゃない?」と。まあ、ちょっと予算的に大幅にカットしなきゃいけない部分はあったんですけど、「これでやってみる? 緒方さん」となって。「喜んで」という。
——当時WOWOWが映画を作り始めていて、石井さんも何本かやっていたというタイミングだったんですよね。
緒方 そうですね。だから1本映画を作れればいいや、みたいな感じでしたけどね。またテレビのほうに戻ってくればいいと。でも、映画で結構売れちゃってというか、いろいろ賞とかたくさんもらったので、そうするとテレビのほうに戻れなくなるというのはありますよね。
合唱という競技に惹かれて生まれた『独立少年合唱団』
——『独立少年合唱団』なんですけれども、タイトルからして合唱団の話かなと思って見ていると、学生運動とか社会のムーブメントの話だったと最後に感じます。先ほどの話を聞いて腑に落ちました。吃音の少年という設定も、子どもを描くためにというよりも、当時の若者を描くためだったのかなと。後半で吃音でも人の言葉だったらどもらずに話せるという話になってくる。歌だとどもらないのは、歌詞が決まっているから。自分の考えではなく人の考えならば雄弁という設定は、学生運動と重なっているんじゃないかなと思ったんですけど。
緒方 ああ、なるほどね。その辺は青木さんなんですけれども。吃音とか合唱は最後に決まったんですよね。70年代の少年たちを全寮制の中で描こうというのはわりと早く決まったんですけど、じゃあ、この人たちは何をしているんだというのが分からなくて。新聞部かなとかね。8ミリとか撮ってるのはまだその頃はあんまりいなかったよなとか。いろいろやっているうちに、たまたま青木さんが大阪の淀川工業高校という合唱が強いところがあるんですけど、そこのドキュメントを見て、「これだ」と。合唱というものが70年代を象徴している。もともとコーラスというのは左翼的な活動にも使われてましたし、みんな同じ方向を向いていて、すごく不自由感がある競技なんですね。僕が見た全国で何位に入るような強豪校は、本当にスパルタです。ビックリしますよね。今、たぶんああいうことはできないんじゃないかな。そういう、時代に対して逆行しているようなことをやっているなというのがあって。吃音というのは、青木がたどり着いたことなんです。あれが大きいですよね。吃音の子も歌は歌えるんです。
——やっぱりそういうものなんですか。
緒方 そうなんです。
——面白いですね。
緒方 面白いですね。それはどこかで調べてきたんでしょうね。それで取り入れたと思うんですけど。その辺がうまく表現できない少年というのにはまったのかもしれません。
——主人公は緒方さんと同年代設定ですか?
緒方 いや、僕より上ですね。そういうふうにしてます。
ひとつ上の世代が熱狂した学生運動とは何だったのか
——そもそも学生運動を描きたいと思ったのはどうしてですか?
緒方 僕は中学が長崎大学教育学部付属中学というところなんです。小学校の時から受験しているんですけれども。大学のすぐ横に中学校があるんです。72年にあさま山荘事件が起こっているんですけれども、いわゆるスチューデントパワーみたいなことで、60年代から70年代、世の中をにぎわしている頃って、僕は小学校高学年ぐらいなんです。その頃にデモとか見るんですよ。大学が近いから。若者たちがやっていて、当然その上の親の世代、あるいは教師の世代は、「バカなことをやって」と言う。これはバカなことなのか正しいことなのかが分からない。でも、なんか皆さん楽しそうだと。フォークソングでは岡林信康さんとか、そういう歌もいっぱいあって、ムーブメントになりましたから。それが思春期。青春期じゃなくてね。青春期の人たちはそれを実際にやっているわけじゃないですか。それは団塊の世代だと思うけど、思春期にそれを見たというのが、自分の中では大きいですね。だから70年代、中学生ぐらいの時に出会った映画、僕の場合はスピルバーグだったし、それから音楽、それから文学なんかも含めて、時代のにおいみたいなもの。あれは何だったんだろうというのをね。肯定も否定もできない自分を探ってみたいと思ったんでしょうね。
——先ほど楽しそうに見えたとおっしゃいましたけど、何となく分かります。あれは何だったんだろうなとずっと思っているんですね。
緒方 いろいろ調べたり、そういう人たちに会って取材したりしていく中で、時代の麻疹みたいなものだったのかなと今は思うようになりましたけれども。
映画監督の役割とは?
緒方 この前、新作を撮って、単身赴任で京都で1人ウィークリーマンションにいて、大体僕は撮影は早いので、夕方5時には自分の部屋にいるんですけど、翌日のコンテの予習みたいなことをやるじゃないですか。監督ならみんなやると思うんですけど。その時に、「俺は何を撮るんだろう」みたいなことを考えるのが面白くて。分かっていることを撮ることはつまらないんじゃないかとか、いろいろ考えたりするんです。「どう撮るか」じゃなくて「なにを撮るか」なんですけどね。監督が分かって撮ってしまうと、一番映画はつまらなくなるだろうな、みたいなことを思うんですよね。「これは分からん。分からんまま現場へ行こう」といって。
——あまり予習しすぎて全部分かっちゃうよりいい?
緒方 解答を出すということがつまらないということで。京都は面白いところで、例えばセットが9時開始だとすると、9時に来る人なんか誰もいなくて、8時ぐらいにみんな来ちゃうから、8時過ぎにセットに入ったらみんな仕事をしているんですよね。それで、「ちょっと今日撮るところ難しいんだけど、よく分からないんだよ。ちょっと一回助監督さん集合」とか言って、「ちょっと動いてみて。それ言ってみて」って、「ああ、そういうことか。じゃあこっちから撮るのかな」とかなんか言ったら、みんな集まってくるんですよね。そうこうするうちに、俳優もみんなやってくるんです。佐々木蔵之介とかみんな。で、「やります、やります」とかいって。で、リハーサルが始まっちゃうんです。みんないろいろ考え始めるんですよ。そうしたらこっちのものですよね。9時開始で、9時5分ぐらいには「ちょっと一回、回してみます? これ」みたいなことになっていって。それは面白かったですね。
——監督の頭の中だけで考えるよりも、現場でみんなとやりながら、共同作業として作るほうが面白い。
緒方 それが映画のダイナミズムなんでしょうね。つまり、そこで大事なことは、スタッフ、キャストが、監督が何を分からないと言っているのかが分かることなんです。これが大事なことだと思うんですよ。
——大事ですね。
緒方 すっごい大事。監督が分からないことを表明させるのも大事なんですけど、じゃあ何が分からないのかということを、「それは監督、こういうことですかね」「いやいや、そこじゃないんだよ」って。
——みんな方向性が違うことを言いだしたらまとまらないですもんね。
緒方 そうそう。だから、それは勘違いしてほしくないんだけど、俺がやりたいことを探ってるんじゃないからなと。映画さまの言うことを探っているんだからねと。映画として何が一番伝わりやすいのか、何を伝えるべきなのかということを探っているんだよ、みたいな。みんなそうすると、俳優は俳優で、佐々木蔵之介なんか「これ、奥でこの芝居をやればいいんじゃないですかね」みたいなことを。「なるほど。一回それでやってみようか」みたいなね。
——映画が求めている正解というのは、台本なりがあって、このシーンに求められているものとかを理解するということですか?
緒方 いや、もっと崇高なものですよ。これはインタビューで言うと変な人と思われるけど、「映画さま」というのがこの辺(頭の上を指す)にあるような気がしているんです。それに沿ってやっているだけであって。世の中に何百万本という映画があって、その決まりごとがあるんですよ。それを僕らは提示しているだけであって。
注釈
仙頭武則 プロデューサー。代表作:『Helpless』『リング』『五条霊戦記 GOJOE』『接吻』など。
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緒方明監督の新作
『幕末ヒポクラテスたち』
動乱の京都で疫病に立ち向かう蘭方医と漢方医たちの成長と悲哀。故大森一樹監督の企画を緒方明監督が受け継いで制作。2026年公開予定。
(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)