「伸びしろはあるんですかね…」46歳で順位戦昇級を果たした佐藤和俊七段が語る“AI時代の40代の戦い方”とは

2025年5月7日(水)12時0分 文春オンライン

〈 「プロ入り後も上がれない夢を見ました」苦労人・佐藤和俊七段(46)が振り返る、ハードすぎる“三段リーグという名の戦場” 〉から続く


 順位戦C級1組からB級2組への昇級を果たした佐藤和俊七段(46)。「ベテラン」と呼ばれる域にさしかかる年齢でなぜ結果を出すことができたのか。インタビュー後編では、振り飛車党としての矜持、AI研究との付き合い方についても話を聞いた。



佐藤和俊七段


振り飛車から雁木へと転換した理由


——佐藤さんの指す将棋の戦型についてお聞きします。プロデビューからしばらくは振り飛車党として知られていましたが、ここ数年では居飛車の雁木もよく指されています。昨年の升田幸三賞選考委員会では、佐藤さんの雁木を升田賞に推す声もありました。


佐藤 雁木は歴史がある戦法ですし、もっと上手い方がいる中で私が雁木で受賞となったら、さすがに辞退したいのですが(笑)。


 振り飛車という戦法について言うと、時代時代の波が大きいです。振り飛車党にとっていい時代もあればつらい時代もあります。現在はAIの影響もあって冬の時代ですが、いい時代は振り飛車党全体が星を伸ばしていました。奨励会時代は三段に上がるまでは振り飛車穴熊一本槍でしたね。そして、三段時代は藤井システムの黎明期から全盛期ということもあって、穴熊以外の振り飛車全般を指すようになりました。


——藤井システムはその名の通り、藤井猛九段が開発した対居飛車穴熊の革命戦法とも呼ばれる作戦です。当時の藤井システムは、棋士及び奨励会員からどのように見られていたのでしょうか。


佐藤 振り飛車という戦法がある意味でマンネリ化していた時代でしたが、それをがらりと変えたのが大きかったですね。それまでの振り飛車は受け身の作戦とされていましたが、そうではなく自ら攻めることができる振り飛車というのは一線を画すものでした。自分には合っていたので、だいぶお世話になったというか、かなり使った作戦です。藤井システムの他にも振り飛車はいろいろ指しましたが、30を超えて成績が伸びなくなり、それが続いた時に考えて、幅広く戦法を持った方が戦略的にいいのかと思いました。雁木を指すようになったのはその一環ですね。


AIの強みをどう生かすかが難しい


——将棋の戦法、序盤作戦について、現在ではAI研究とは切っても切れない関係にあります。佐藤さんはAIをどのように活用されているのでしょうか。


佐藤 今はほとんどの棋士がAIを使った研究を取り入れていますよね。その中で自分は比較的早くから導入したほうです。具体的にいうと2016年の暮れ頃でしょうか。AI研究が多数派になったのはその1〜2年後くらいに感じるので、この微妙な差が大きかったと今では思います。昔から自分で考え、他からアドバイスを受けることはあまりない世界ですからね。


 AIを使った研究の重要性は感じていますし、効率化もできていると思いますが、そのことがどこまで自分の力になっているかというと難しいですね。結局のところみんな使っているわけですから。AIの強みをどう生かすかが難しいというのはあります。自分の使い方としては課題としている局面を研究することになりますが、その結果としてせっかくの先手番で飛車を振って、AIの評価値では不利になる局面に進めるのも、ちょっとアレかなと思う面はあります(笑)。


——雁木におけるAI研究はどうでしょうか。


佐藤 AIを研究に取り入れてからは、比較的早めに着目して雁木を使っていました。その優秀性はAIを使っていると気づきやすいんです。振り飛車と違うのは自らの玉が薄いことで、これは実戦的に逆転負けのしやすさにつながる面はありますが、玉の薄さはあっても、局面全体のバランスが取れているので、ハッキリ弱点と言えるような急所はありません。どちらかというと雁木側にいい手が多い局面が出現しやすい傾向があります。


 人間の視点では雁木の攻めは基本的に軽そうに見えるんですよ。例えば雁木vs矢倉で桂馬を早めにポンと飛ぶのは腰が入っていないようだなと。ですがそこから今までに見たことがないような攻め筋があって、いろいろな発見はありました。


飲み会で相槌を打ったら「幹事を引き受けて下さるそうで」と電話が…


——佐藤さんはトーナメントプロの他に、棋士としての仕事で、2020年から今年の3月まで、5年間にわたって関東奨励会幹事を務められました。


佐藤 自分の奨励会時代については先ほど語りましたけど、大変な世界というのは当時から変わっていませんね。当時よりも奨励会員も増えていて競争率もさらに上がってきています。いろいろと時代が変化していくなか、この先もずっと奨励会制度を続けていくのがいいのかと思うことはあります。


——幹事として心掛けていたこととは?


佐藤 今言ったように、自分の時代から変わってきた部分も当然ありますから、自分の価値観を強く押し付けるのはしないようにと気を付けていました。


——幹事を務められたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。


佐藤 実は、もう少し若い時に頼まれたことがあって、その時はお断りしました。当然ながら幹事は責任の大きな職務です。棋士にとって自分の成績以外に責任を持つのは大変ですから、自分としては1つの決断でしたね。


 自分の奨励会時代は幹事が2人でしたが、その後3人体制になって、それからまた2人に。5年前は小倉さん(久史八段)と近藤さん(正和七段)が幹事で、2人体制では大変だと当時の理事だった西尾さんから、飲みの席で話を聞いて相槌を打っていたら、それから間もなく、やはり理事で総務担当の森下さん(卓九段)から電話で「幹事を引き受けて下さるそうで」と。そんなこと一言も言ってないのに、と思いましたよ(笑)。


——(笑)。佐藤さんが就任されたあとも幹事は入れ替わりがあって、25年の3月までは佐藤さん、黒沢怜生六段、渡辺大夢六段の3人体制でした。4月からは佐藤さんに代わって村中秀史七段が就任されるそうですね。佐藤さんの幹事時代というのは、いわゆる藤井(聡太竜王・名人)ブームの影響を受けて、プロ棋士を目指そうと入ってきた会員が多いのではないかと拝察します。


佐藤 その辺りは何とも言えませんね。実は以前と比較して関東ではここ数年の受験者が増えているわけでもありません。自分の入会時と比べて情報量がけた違いになっていますから、奨励会の厳しさもより知られているという事情もありそうです。年間でいうと入会者は15人くらいですかね。ただここ数年で北海道、東北、九州と研修会が増えたので、研修会から奨励会に編入するケースは多くなっています。


——新入会員について気をかけることはありますか。


佐藤 入会後、1〜2年はフワリとしている子も多いですが、そのことで特に注意するということはないですね。私もそうだったというのもありますが、ほっておいても皆、自然と戦う顔になってきますし、そうでないと話になりませんから。


——奨励会時代の佐藤さんに、佐藤幹事が声をかけることはありますか。


佐藤 難しいですね。もう少し勉強した方がよかったとは言うのでしょうが、今と時代は違います。今のほうが勉強方法が多い分、迷ってしまいそうですね。


ピークを過ぎた40代での自身の伸びしろ


——再び、順位戦に関してうかがいます。46歳での昇級となったわけですが、40代でのご自身の伸びしろはどのようにお考えでしょうか。


佐藤 伸びしろはあるんですかね……。正直、プロになってからは今が一番弱いような(笑)。少なくとも四段昇段直後のほうが指す将棋に勢いはありましたね。私に限らず、棋士は25歳から30歳くらいまでが一番強いというのが自然かと。ただ現在、単純にそうとも言えないのはやはりAIの影響がありますよね。突然現れたツールで、もちろん簡単ではないですが、年齢を問わず誰しも力を伸ばす可能性のあるものだと思っています。


 先ほどは戦術面について話しましたが、自分はAIによって大局観をアップデートできたのも大きかった。年齢を重ねて成長が頭打ちになる中では革命的な出来事でした。自分にとってそれが一番はまったのが30代後半のことですが、その時が一番強かったかというと、また難しいですね。


——20代のころと比べて、衰えたことがあるとするなら、どのようなものでしょうか。


佐藤 少なくとも成績は30になってからガクッと落ちています。成績が落ちた理由としては終盤で踏み込みを欠いた、勢いのない手を指すようになったというのはありますが、なぜそうなったのかというと説明が難しい。ただ、間違いなく記憶力は落ちていますね。デビューから数年は指した将棋の棋譜が相当に頭に入っていましたが、それをだんだん引き出せなくなりまして、今では直近で指した将棋も危ないです(笑)。


 指し手の読みの精度は落ちているというより、精度を維持するための集中力を引き出すのにより苦労する感じで、集中さえできればそれなりに読めているので、読みの力そのものが大きく落ちているとは思いません。たまにとは言え、自分が十分に満足できる将棋を指せているので、そこは希望になっています。


後悔する一手、会心の一局は?


——これまでの将棋を振り返って、後悔する一手のようなものはありますか。


佐藤 やり直させてもらえるなら数えきれないほどありますが、それをいってもしょうがないですから。もちろんいろいろと後悔はありますけど、それを含めて人生だから「ない」としておきたいです(笑)。


——対してご自身にとっての会心譜とは?


佐藤 会心譜をどうとらえるかが難しいですよね。パッとは浮かばないというのが正直なところです。やっぱり最初の順位戦昇級を決めたC級2組での一局が、初めて結果を出せたということでも、今振り返ってもうれしいですね。


——C級2組は10回戦のリーグですが、その期をトータルでみるといかがですか。


佐藤 2回戦で八代さん(弥七段)と指した将棋が、いい内容だったとは思います。私の後手番三間飛車で、事前に研究して、それを生かしきれはしませんでしたが、積極策が功を奏してリードを奪い、終盤もうまくまとめることができました。


「やはりもう1つ上がるのを第一に臨みたいです」


——改めて、初参加となるB級2組への抱負をお願いします。


佐藤 前期の結果を見ると5勝はしないといけないのはきついですよね。降級点を心配するほうが現実的なのでしょうが、やはりもう1つ上がるのを第一に臨みたいです。このクラスは実績のある方が多いので、自分がどのくらいやれるのかと、本音を言うと不安ばかりです。前回、C2からC1に上がった時は自分にも手応えがありました。それまでのスタイルを変えて、AI研究も活用してと。40歳を前に成長を感じられたことで前向きになり、順位戦以外での成績もよかったです。


 今回は下り坂の感があって、正直、なぜ昇級できたのか、理由は今でもわかりません。ただ他棋戦も含めて、指した将棋の内容としては勢いのある若手と、最後は負かされたとはいえ、それなりに戦えたという印象もあります。この1年で少しは勝率も上がったのですが、努力して実を結びましたとは正直言えません。ただ順位戦については最後、自力でプレッシャーのかかる中、昇級をつかんだことは評価できると思っています。


——将棋界全体の今後についてはいかがでしょうか。


佐藤 ここ数年は藤井聡太さんがずっと引っ張ってきて、それがこの先も続くのか、他の棋士が巻き返すのか、はたまた新たな新星が現れるのか、ということになりますよね。上の動向については自分が蚊帳の外でしょうがないんですけど、棋士である以上は自分が一生懸命やることで、全体のレベルを上げることにつながると思いますし、そのことが使命だと思ってやっていきたいですね。藤井さんとはまだ対戦したことがないので、それがモチベーションにはなっています。


写真=釜谷洋史/文藝春秋


(相崎 修司)

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