YOSHIKI・鈴木敏夫・ダルビッシュ有・本田圭佑ら賛同の「能登復興支援サブスク」サービス始動!
2025年5月24日(土)10時15分 ジェイタメ
2ちゃんねる創始者(現・5ちゃんねる)の1人で、株式会社made in Japan (石川県鹿島郡中能登町)代表取締役社長の西村博之(以下、ひろゆき)が、“能登・北陸を支える新しい支援の形”として、食品サブスクリプションサービス「能登復興支援サブスク」を開始。5月23日(金)に「能登復興支援サブスク」サービス発表会を開催し、ひろゆき自ら、サービス立ち上げの背景や思いを語った。
株式会社made in Japanは、ひろゆきが「日本には世界にまだ知られていないすごい職人がいることを知ってもらいたい」という思いから2024年に立ち上げた会社。プロジェクト第1弾として、2024年11月に「Mo,de in Japan(モードインジャパン)」という、アラミド繊維で作った”燃えにくく切れにくい”パーカーやTシャツのアパレルブランドをローンチ。
今回の「能登復興支援サブスク」は、同社の第2弾プロジェクトとしてローンチしたサービスで、ひろゆき曰く「毎月お金を払ってもらうと、能登の地震で被災した新潟県や富山県、石川県などの食品が届くサービス」。2024年1月に能登半島地震で被災した能登・北陸の経済活動を、地域特産品を楽しみながら持続的に支援する「企業応援型サブスク」で、月額4,300円+送料1,200円(いずれも税込)の6ヶ月一括前払い制。能登・北陸支援をしながら日本の美味しいものが食べられ、寄付金による従来の支援方法とは異なり、消費を通じて支援先に直接貢献できる新しい復興支援の形となっている。
ひろゆきは、同サービス立ち上げ背景を「もし道路や水道などインフラが元に戻ったとしても、そこに人が住み続けるためには仕事があってお金が回って、家庭を作って子どもを学校に行かせるってことを続けないと、元通りにはならない。工場が戻ったとしても『本当に商売は成り立つの?人が少なくなったら働く人もいなくなるよね』ってことで、経済面が課題。インフラは政府によって直せますが、商店さんやお店、工場などを直すための費用まで満遍なく払うことはできない。被災した地域の商品を、東京に住んでいる僕らが『何ヶ月後にこれだけの商品作ってください』と買い取ることで、そのために工場を直して、働く人には給料を出して…と、仕事が作れる。その結果、復興復旧がうまくいけばいいんじゃないかな、と思ってのサービスです」と明かした。
また、この日は、丸井織物株式会社 代表取締役副社長であり、株式会社made in Japan 取締役の宮本智行、株式会社GUILD(ギルド)代表取締役であり、株式会社made in Japan 取締役の高橋将一も登壇し、トークセッションを実施。冒頭でひろゆきは「今回の取り組みについて、最初に大事なことを伝えさせてください」と改まり、「僕たちは、このサービスで利益を出そうとしているわけではありません。むしろ、こういう活動は『被災地を利用して金儲けするな』みたいな批判をされやすいです。実際、ネットでも現地でも、厳しい目で見られるのはわかっています。本気で金儲けをしたいなら、こんなに難しくて誤解されやすいビジネスは選ばない。ある意味“儲からない偽善のビジネス”です。偽善と言われてやる企業はそんなにないと思うので、だからこそやる価値があると(思いました)。応援してくれる人がいて、少しでも誰かの力になれるなら、それは“意味があること”じゃないかと思ってやっています。」と語った。
これまでさまざまなビジネスに取り組んできた高橋は同サービスと従来のビジネスを比較し「今までのビジネスは、安く仕入れて、高くお客さまに提供するところで利益を出していますが、ちゃんとした高い金額で能登の商品を買って、お客様に最低限の値段で提供しようとすると、利益を抜くところがない。ひろゆきさんがYouTubeをやられていることもあり広告費はかけていませんが、絶対に儲からないと思いました」と利益目的ではないことを強調した。
本プロジェクトには、多くの著名人も賛同を表明(以下のコメントは一部抜粋)。
高校時代を石川県で過ごした本田圭佑は「石川には思い出が沢山ありますし、復興にはまだまだ時間がかかると聞いています。少しでも力になれると嬉しいです」とコメント。ダルビッシュ有は「復興にはたくさんの時間や労力がかかると思いますが共に力を合わせて復興を目指しましょう。自分も皆様が笑顔、力になるように野球を頑張りたいと思います」、北川悦吏子は「心はあるのに、一歩が踏み出せない私に機会をくれたひろゆきに感謝します。北陸の皆さんを応援します」、鈴木敏夫は「ゆっくりでいい。その一歩を信じて」、武井壮さんは「今回、少しでも皆さんの支えになればと現地の美味しいものを取り寄せさせて頂きます。そして、1日も早い復興を心からお祈り申し上げます」、岩井俊二は「一刻も早い復興を願いながら、ひろゆきさんが立ち上げたこの愛すべきプロジェクトを僕も微力ながら応援したいと思います」、成田悠輔は「好感度回復に余念のないひろゆきさんが、北陸復興支援チャリティで売名行為をしようとしているという噂を耳にしました。驚きのあまり、能登や加賀の食べ物を冷蔵庫が溢れるほど注文してしまいました。大変遺憾な散財です。」、益若つばさは「まだまだ課題のある日々は続くと思いますが、愛のこもった味が全国の皆さんに届き、1日でも早い「復興、笑顔」に繋がりますよう心から願っております」、サヘル・ローズは「純粋に美味しくて、そして見た目も美しい支援品を通して自分が支援を通して新しく知った能登の魅力もたくさんありました。長年守られてきた伝統を途絶えさせない。遠くにいても、心は一つです」、HIKAKINは「支援を届けたり、声を上げたり、現地の状況を発信することで少しでも力になれたらと思っています。一人ひとりの思いが、誰かの支えになると信じています。被災された皆さんが、一日も早く安心して過ごせる日々を取り戻せますよう、これからも応援しています。能登地域にまた、たくさんの笑顔があふれることを、心から祈っています」、石川県の馳浩知事は「『能登復興支援サブスク』の取組は、まさに応援消費の形で、能登の生産者や事業者への継続的なご支援につながるものと大いに期待しております」とそれぞれの言葉で、協力に至った思いをコメントしている。
また、YOSHIKIはビデオメッセージで「能登半島震災で被災されてしまった皆様、心よりお見舞い申し上げます。ひろゆきさんからこういったお話をいただいて、微力ながらこれからも支援を続けていきたいと思います。一緒に頑張りましょう」と励ましの言葉を送っていた。
ひろゆきは「僕の知り合いや、丸井織物のツテを使って声をかけさせていただきました」と自ら連絡を取り支援協力者を募ったことを明かしました。高橋は「多くの著名人に直で連絡をして、利益が出ないのにサービスを押し切ったのは、ひろゆきさんの思いが強いからです。善人です」と姿勢を称賛していた。
また、取引先企業の選定については、どれくらいの申込みがあるかわからないため、現状は大手企業に発注をしているとのこと。将来的には、中小企業にも発注したい思いはあるというが、ひろゆきは「個数がわからないので半年後くらいでお願いしたいです。僕らも手探りの状況なので」と、安定したタイミングで中小企業との取り組みも考えている様子。さらに「『6月には〇〇が届きます』と言っていても、状況によっては届かない可能性もあります。到着日がズレたり、内容物が変更することもあるのと思うので、その辺を生温かく見守ってくれる人に申し込んでいただきたいです!」と呼びかけていた。
高橋から「メリットがないサービスをなぜやろうと思ったのか」と振られたひろゆきは「復興して卸ができるようになれば、このサービスは必要がなくなる。その時 終わればよくて、歯切れがいいなと思ったからです。目標会員数は、0です。」ときっぱり。
つづいて、第1弾配送予定商品は、株式会社スギヨの「本物のカニを超えたかにかま『香り箱 極』」と「うな蒲ちゃん」、第2弾配送予定商品は株式会社 中田屋の「きんつば・能登大納言きんつば 10個入り詰合せ」であることを発表。
第1弾商品の支援企業・株式会社スギヨからは、代表取締役社長 杉野哲也さん、管理部 マーケティング・広報 SNS担当の田畑梨杏里さんがステージに登壇。株式会社スギヨは1972年、世界初のカニカマとなるカニ風味かまぼこ「かにあし」を開発した企業。杉野さんは、同サービスが立ち上がったことを「石川県の食品協会の会長を務めているのですが、大変な企業がたくさんあります。サブスクで応援してくださるということで、ありがたいと思いました」と感謝していた。
会場で実際に用意された「香り箱 極」を口にしたひろゆきは「何度も食べていますが、味はカニに近いですが、食感はカニカマですね」と忖度のない食レポ。続けて「うな蒲ちゃん」を食べると「おいしい!」と絶賛し、高橋も「ご飯も食べたくなるしお酒にもめっちゃ合いそう!」と様々な愉しみ方を提案していた。
第2弾商品の支援企業・株式会社中田屋からは、中田竜也さんが登壇。通常は北海道産のあずきを使用しているというが、今回の商品には「能登大納言あずき」を使用。2種類セットは同サービス限定の特別仕様となっている。きんつばを試食したひろゆきは「衣がめちゃくちゃ薄いですね」と驚いており、これに中田さんは「特徴なんです。刷毛で一つひとつ塗って焼いています。支援のつもりで頑張ってやってまいりますので、どうぞよろしくお願いします」と意気込んだ。
さらには、能登半島地震以来、長期休業を強いられ、9月21日の能登豪雨により大きな被害があった道の駅すず塩田村(すずえんでんむら)の駅長・神谷健司さん、奥能登で味噌作りをしている新出商店(しんでしょうてん)の新出浩二さんという、震災後の現状を詳しく知るお二人も駆けつけた。
「揚げ浜塩田 浜士の塩」を手掛ける神谷さんは、被災時の写真を見せながら「豪雨災害の後、土砂が塩田に入ってしまい塩作りができなくなりました。しかし、大学生ボランティア約200人ほどのお力により、550トンの土砂をほとんど人力で撤去していただきました。そのおかげで、4月から塩作りが再開できました。でも、職人さんが足りておらず、現状ではネット販売もできていません。生業を継続することが厳しい状況となっています」と吐露。苦しい状況から脱するために「塩そのものは足りませんが、塩を使った加工品、飲料水、他社とのコラボ商品などを出していけたら大変ありがたいです」と頭を下げた。しかし、道の駅の営業再開にはまだ期間がかかりそうで、水道が通ったのも今年の1月、川の水を汲んできて使ったり、お風呂は自衛隊のお風呂や銭湯に通っていたようだ。
「奥能登 ごまみそ」を製造する新出さんも、地震により工場の前の道が隆起したり、工場の中に地割れができたりとさまざまな被害に遭われたと言います。「去年の1年間はたくさんご支援いただき、なんとかやってこられました。今から本格的に物作りをやっていこうってタイミングで、ひろゆきさんがサービスを立ち上げてくれて、非常に心強くありがたく思っています。これからよろしくお願いします」と笑顔を見せました。また、味噌は発酵させるのに時間がかかるため、生産量も以前のようには戻っておらず、半年から1年で1000個ほどしか作れない、と話すとひろゆきは「そんな方々こそ、僕らのサービスで何かできることをしたい」と思いを明かしていた。
続いての質問「立ち上げることを決めたきっかけ」に対し、ひろゆきは「輪島の支援をされている人と話したとき、その人は阪神(・淡路大震災)の支援もされていたんです。阪神の復興は早かったが、能登はなんで遅いのかとなったとき、関西の人は文句を言うのが早い。それに対して、能登の人は文句を言わないで我慢し続けるらしいんです。例えば、被災したおばあちゃんが避難所から自宅に戻って、『普通に暮らせてるんだ』と思っていたら、そのおばあちゃん家、水が出ていなかったらしいんですよ。水が出てなくても言わないんですよ。だから、我慢し続ける体質の人が結構多い地域なんだな〜と思って。そういう体質の人が多いので、なかなか手を差し伸べてもらえない状況があると思います。でも、実際には早急に助けが必要な状況で、誰かがやらないといけない。それに、もし能登が復興しなかった場合、次の被災地も見放されるかもしれない。日本を守るためにやらないといけないと思って、仕方なくやることにしました」と日本全体を考えた上での決断だということを打ち明けていた。
「現在の日本社会に感じていることがあるのか」と尋ねられたひろゆきは「震災直後に財務省が”コンパクトシティ”と言い出したりして、当初は『復興しなくていい』という意見が強かったと思います。でも、復旧せず過疎化が進むと、東京もきつくなります。地方から上がってくる商品、地方で育った人たちが東京の大学に行って東京の企業に勤めている。過疎地域に住んでいる人たちが東京で働いている。東京は全体の上澄みを使っているので、”東京だから関係ないよね”じゃなくて、東京だからこそ地方に目を向けるべきでは、と。そうしないと、日本全体として持続可能じゃないのかなって思います」と持論を展開した。
最後に、宮本、高橋、ひろゆきより同サービスにかける思いが語られた。宮本は「能登支援は自分ごとでもあるので、うれしいです。みんなで支援やっていけたらいいなって思います」とコメントし、高橋は「ひろゆきさんがアラミド繊維のパーカーを作ったときも、日本の技術者の方々が脚光を浴びるようにという思いがありました。根本的なサービスの理念は変わらないのかなと思っています。これからやっていくサービスでも、日本のためになることをこのメンバーで着手していければいいなと思っているので、会社として未熟な部分あるかと思いますが、これからもよろしくお願いします」と述べました。そして、ひろゆきは「災害が起こる地域があったとき、そこを見捨てない社会のほうがいいですよね。被災地を見捨てない社会のほうがいいなって思う方は、支援してほしいなって思います。よろしくお願いします」と呼びかけ、発表会を締めくくった。