昭和のいるさん死去 88歳、肺炎 こいるさん「ヘーヘー、ホーホー」と脱力漫才 長年幅広い世代に愛され
2025年5月27日(火)4時45分 スポーツニッポン
漫才コンビ「昭和のいる・こいる」の昭和のいる(しょうわ・のいる、本名岡田弘=おかだ・ひろし)さんが24日午後7時45分、肺炎のため東京都北区の病院で死去した。88歳。石川県出身。お別れの会を開く予定はないという。
妻の安紀子さんによると11年ほど前に脳出血で倒れてからは入退院を繰り返していたといい、舞台に上がることはなかった。特に最近は離床困難な状態が続き、介護認定で最も区分の高い「要介護5」と認定されていた。演芸番組などを見ることも減っていたという。亡くなった日は午後6時30分ごろ容体が急変し搬送。最愛の妻と息子が見守る中、静かに息を引き取った。
のいるさんは国士舘大卒業後、1966年に獅子てんや・瀬戸わんやに入門。66年に浅草松竹演芸場で初舞台を踏んだ。ツッコミののいるさんが話題を振り、ボケの昭和こいるさんが「へーへー、ホーホー」「しょうがねぇ、しょうがねぇ」など適当に受け流す芸風などで、人気を博した。76年にはNHK漫才コンクールで最優秀賞を受賞。長年テレビのお笑い番組や東京の寄席で活躍した。所属する漫才協会では後進の育成にも努めた。
99年には高田文夫氏の勧めで出演したフジテレビ「初詣!爆笑ヒットパレード」で再注目。同局「めちゃ×2イケてるッ!」などで、若者からの人気も獲得した。ただ、13年にのいるさんが倒れてからはこいるさん一人で活動することが増えた。21年にはこいるさんが前立腺がんのため77歳でこの世を去った。それから4年。昭和の輝きがまた一つ消えていった。
昭和 のいる(しょうわ・のいる、本名岡田弘=おかだ・ひろし)1936年(昭11)7月23日生まれ、石川県出身。66年に獅子てんや・瀬戸わんやに入門。84年に漫才協会の真打ち昇進。85年に「一気酒」「のろけ節」、01年には高田文夫作詞、玉置浩二作曲の「そんなもんだよ しょうがない」などの楽曲も発売している。
▼ナイツ塙宣之(漫才協会会長)びっくりしましたね。スベっているところを見たことなかった。本当にウケてた。面白かったもんなあ。分かってても笑っちゃうもんね。(ニッポン放送「ナイツ ザ・ラジオショー」で)
▼松村 邦洋 高田文夫先生とのご縁で、とてもよくしていただきました。初めて漫才を見た時はあまりの面白さに驚いたことを覚えています。2005年の「昭和のいる・こいるへーへーほーほー40周年」の舞台でご一緒できたのは光栄でした。散歩をしていると偶然お会いすることがあり、そんな時も、いろいろと気遣いをしていただきました。心よりご冥福をお祈りいたします。
◇昭和のいるさん葬儀日程
【通夜】27日午後6時
【葬儀・告別式】28日午前11時30分
【場所】東京都板橋区板橋1の48の13、新板橋駅前ホール
【喪主】妻安紀子(あきこ)さん