変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第12回 もうひとつの独自路線からの転換、オフコンがサーバーになった日
2025年2月4日(火)12時0分 マイナビニュース
NECは、中堅中小企業の基幹システムや、大手企業の部門システムとしての利用を目的としたオフィスコンピュータ(オフコン)においても、圧倒的な強みを発揮した。
トップシェアを誇ったNEC「オフコン」の歴史
オフコンは、事務処理を主業務とする小型および超小型と呼ばれるコンピュータで、伝票発行や元帳処理などのシステムを、プログラマ不在で導入および運用ができる点が特徴となっていた。1975年に業界団体である日本電子工業振興協会(現在の電子情報技術産業協会)が、オフコンの名称と役割を定義。日本固有のコンピュータ製品として、その名称が広く使われるようになっていった。
NECは、1961年にオフコンの先駆けとなるパラメトロン方式のNEAC-1200シリーズを発売し、累計で2000台以上を販売した実績を誇っており、こうした経験をもとに、1973年にはNEACシステム100を発売。これが、日本独自のオフコン市場を確立することに貢献した。
NEACシステム100は、中央処理装置を全面的にIC化し、コンパクトで信頼性が高い製品として登場。メインフレームのように、温湿度を調節した特別なコンピュータ室が必要なく、さらに初心者でも簡単にプログラムを作ることができる「アプリカ」を提供。広範囲の業務に適用が可能であるほか、公衆通信回線を利用したデータ処理ができる点が注目を集めた。そして、最小構成では月額9万円からのリース価格を設定し、低コストであることも市場から評価された。
従来のコンピュータの概念を打ち破ったNEACシステム100は、発売1カ月で360台を販売するという記録的な実績を達成。その後、同社のオフコンの販売台数は、右肩あがりで増加していった。同社の資料によると、1979年3月までの同社オフコンの受注台数は6133台、出荷台数は5217台に達し、オフコン市場においては圧倒的なシェアを獲得した。
1981年には、オフコンの新ファミリー「NECシステムシリーズ」を発売。システム20/25をはじめとして、5機種で構成される製品群で、同一のソフトウェア体系を採用しながら、PCの上位領域から小型コンピュータの下位領域までを幅広くカバー。それまで専用キーボードであったオフコンに、PCに採用されていた標準型キーボードを採用したほか、ワンタッチで項目入力ができるタッチキーボードを装備するなど、PC領域への浸透も目指した製品だった。
一方、1974年には特約店制度を強化し、1県1ディーラー制度による展開を皮切りに、異業種との連携や、他社販売店のNECへの系列化などを積極的に推進。1974年には7社だった全国の販売店網は、1984年には全国205社の体制へと拡大。これが、オフコン市場でのトップシェア獲得を下支えする原動力になった。
当時、オフコン市場で、NECと熾烈なシェア争いを繰り広げていたのが富士通である。全国の支店や営業所では、新規顧客獲得やリプレースに向けた施策が展開されており、その激しさは、NECの「マルヒ作戦」と、富士通の「Z作戦」というネーミングの施策に象徴されていたともいえよう。NECの「マルヒ作戦」は、富士通の頭文字である「F」をひっくり返すとカタカナの「ヒ」になることから命名。富士通の「Z作戦」は、NECの「N」を横に倒すと「Z」になるという意味を込めていた。オフコン市場ではまさに一騎打ちという状況にあったのだ。
「オフコン」から「オフプロ」へ、国産ワークステーションへの道
NECでは、1985年に発売したVSシリーズから、オフコンという名称を用いずに、「オフィスプロセッサ」という独自の名称を用いた。オフコンの概念の変化や、ニーズの変化を捉えたもので、「オフプロ」と略されることもあった。
実は、NECでは、オフィスプロセッサの原型となるOAプロセッサの名称を、1983年に発表したメインフレーム「ACOS システム410」で初めて使用している。同製品では、伝票や書類、ファイルなど、多種類の機能を取り込み、コンピュータのなかに、仮想のオフィスを構築すると説明。端末装置を介して、多様な情報処理と情報通信を容易に行えるように設計し、データ処理はもとより、意思決定や事務処理、他部門とのコミュニケーションといった機能をひとまとめにした統合OAシステムを構築するのに適したコンピュータと位置づけていた。
1985年に発売したVSシリーズも、これと同様のコンセプトを実現するコンピュータとして、「オフィスプロセッサ」と命名され、すべての業務をカバーする統合オフィスシステムとしての役割を果たすことができた。
ちなみに、のちに富士通も、オフィスプロセッサの名称を用いたコンピュータを投入している。
また、NECでは、1993年に発売したシステム7200シリーズで、新たに「オフィスサーバー」の名称を採用。1994年に発売したExpress5800シリーズでは、「IA(インテルアーキテクチャー)サーバー」や「ワークステーションサーバー」、「PCサーバー」といった名称を用いた。
オフィスプロセッサ向けの端末機として開発されたのが、1981年7月に発売した16ビット機「パーソナルターミナル N5200/05」である。
分散処理コンピュータの端末としての機能と、PCの機能の両方を持っており、世界初の16ビット端末機であった。1982年には、名称を「パーソナルコンピュータ」に改めており、同年に発売されたPC-9800シリーズとはアーキテクチャーが異なるもうひとつのNECブランドのPCと位置づけられた。1992年8月までの約11年間で、100万台の累計出荷を達成。PC-9800シリーズの大成功の陰に隠れた存在ではあったが、同製品用に開発されたアプリケーションソフト「LANシリーズ」の評価も高く、多くの導入実績を誇っていた。
また、1986年には、国産初のエンジニアリングワークステーションとして、EWS4800シリーズを発売。CADなどの用途に活用されたが、それだけに留まらず、文字や図形、イメージ、映像、音声などの情報を統合的に扱える点が評価され、国産ワークステーションとしてトップシェアを獲得する売れ行きをみせた。
独自アーキテクチャーからウィンテルへ、オープン化への決断
さらに、1990年代にNECは、ネットワーク化とオープン化の進展に伴い、ソリューションビジネスに重点を置いた戦略を打ち出した。
1992年4月に、クライアント/サーバー時代に対応したシステム提供を体系化した「Solution21」を発表。各種ソリューションの提案を加速していった。ここでは、NEC本社ビルで導入したOAシステム「スーパーアラジン」をベースに開発したグループウェア「スターオフィス」や、インターネットなどの電子商取引に対応したソリューション「スターコマース」、企業情報システム構築用ソフトウェア体系「スターエンタープライズ」、分散アプリケーション統合ミドルウェア「オープンDiosa」などを発売。さらに、システム構築体系である「Web Computing Framework」に基づいた広範なソリューションパッケージの提供も開始していった。
1994年7月、NECは、コンピュータ事業グループを新設し、オープン化と低価格化を目指し、インテルのアーキテクチャーと、マイクロソフトのWindows NTを採用した企業向けワークステーションサーバー「Express 5800シリーズ」を発表した。
それまでの独自アーキテクチャーのオフィスプロセッサを投入していたNECが、オープンシステム市場への参入を本格化させるきっかけになると同時に、その後に国内市場に広がるオープン系サーバーのリーディングマシンと位置づけられる製品となった。
Express 5800シリーズは、NECにとって、重要な経営判断が求められる製品であったことは間違いない。
国内パソコン市場では、1992年に、米コンパックが投入した低価格パソコンによる「コンパックショック」が話題を集めていたが、実はこのとき、コンパックが日本市場に大きな影響を与えていたのがサーバーであった。同社はこの分野でトップシェアを獲得。従来のオフィスプロセッサでは限界があったネットワーク化、オープン化、ダウンサイジング、マルチメディア化において、一気に先行したのだった。
NECでは、様々な施策を打っていたものの、結果に結びつかない状態が続いていた。そんなとき、1994年1月に米マイクロソフトがサーバー向けOSである Windows NT 3.1に関する発表を日本で行うことを決定。これを聞いたNECの担当者は、記者会見の前に時間を少しもらい、その概要について説明を受けた。そこでは、近い将来、オフコンやメインフレーム、UNIXサーバーに代わり、Windows NTが市場を制覇するという説明が行われ、NECの担当者もその可能性があるOSであると実感したという。
しかし、この時点ではWindows NTはまだ開発途上であり、機能面でも、完成度でも不十分だった。そこで、NECは、このOSの将来を確実なものにするため、約30人のエンジニアを米マイクロソフトに派遣し、開発作業に協力することにしたのだ。
そして、1994年11月、NECは、Windows NTを搭載したIBM PC/AT互換サーバーを発表。これが、Express 5800シリーズであった。先行して1994年12月に発売したExpress 5800/200は、NEC製のMIPS系マイクロプロセッサを搭載したが、1995年1月に発売したExpress 5800/100では、インテルのx86プロセッサを採用。それまで、オフプロ領域では、CPUからOSまで、すべてを自社で生産してきた同社が、インテルアーキテクチャーとマイクロソフトのWindowsの組み合わせによるオープン指向へと大きく舵を切ることになったのだ。
当時、オープンアーキテクチャーの製品を出すことに、社内でも相当な議論があったという。しかし、オープン化の潮流から目を背けていては、顧客が望む価値を提供し続けることはできないと判断し、将来を見据え、インテルとマイクロソフトのプラットフォームを採用することに決定したのだ。ニュースリリースでは、「新シリーズは、中小企業のホストコンピュータや大企業の部門システムとして利用されている他社のオフィスコンピュータの代替システムとして、あるいはパソコンを統合した中規模・大規模な新規システムとして、基幹業務処理を行う製品である」と位置づけ、新たな顧客獲得のための製品に位置づけていたが、もちろん、NECのオフプロから移行という流れを捉えていたのは明らかだ。
ローカル5Gや生成AIも、今もNECを支えるExpress 5800シリーズ
NECがこの分野において、オープンアーキテクチャーを採用したことは、NEC社内だけでなく、社外からも大きな注目を集めた。
それを象徴するエピソードがある。1994年8月、日本経済新聞が「NEC、国内でIBM互換機」の見出しを立てて報じた記事では、NECがサーバー分野において独自路線を見直し、IBM PC/AT互換のサーバーを発売することが明らかにされた。
独自のオフプロをやめ、オープン路線にシフトするという同社の判断への関心が高かったことに加えて、圧倒的シェアを誇っていたPC-9800シリーズを展開していたパソコン事業で、IBM PC/AT互換にシフトすると勘違いした記者もいて、業界内は騒然。当日の午後3時から、東京・田町のNEC本社において、コンピュータ事業を統括していた小林亮専務取締役(当時)が出席して、緊急会見が開かれるほどの関心事だった。
NECでは、記事の内容については否定せず、発売時期や価格などは未定としながらも、オフプロやワークステーションを担当するC&Cシステムグループが、サーバーのひとつとして、CPUにインテル、OSにWindows NTを搭載した製品の投入を検討していることに言及。その一方で、NECがIBM PC/AT互換のパソコンを発売することは今後もありえないと断言してみせた。このとき、NECでパソコンを担当するパーソナルC&Cグループでは、PC-9800シリーズのアーキテクチャーを採用したPCサーバー「SV-98」を発売していただけに、この領域からIBM PC/AT互換に踏み出すのではないかという憶測が先行したが、この点については真っ向から否定したのだ。
この会見で明確にした製品が、その後に発売されるExpress 5800シリーズであった。Express 5800は、緊急会見という異例の形で世の中に公表されることになったのだ。
公式な製品発表が行われたのは、1994年11月。ここでは、今後2年間で1万8000台を販売するという目標が掲げられた。
オープンアーキテクチャーによるサーバー製品を、国内メーカーとして、いち早く市場に投入したExpress 5800シリーズは、高い評価を受け、当時、国内で約50%のシェアを占めていたコンパックを逆転。初年度から首位に躍り出ただけでなく、2017年までの22年連続で、国内サーバー市場において、トップシェアを維持しつづけた。
長年に渡り、トップシェアを維持しつづけた背景には、市場環境の変化に対応したモノづくりや、BTO(Built to Order)によって、顧客のニーズにきめ細かく応えてきたこと、短期間に納品するための受注、生産、出荷管理システムを構築したこと、迅速で丁寧なサポート体制によって常に顧客の課題解決に貢献してきたことなどがあげられる。
たとえば、Express 5800シリーズでは、スリム型サーバーという新たなスタイルの製品を投入したほか、静音性を追求した水冷サーバー、メインフレームの技術を応用して可用性を高めたft(フォールトトレラント)サーバーなどを投入。さらに、クラウド時代の到来にあわせて、ブレードサーバーを製品化。さらには、省スペース化、省電力性能を重視したラックマウントサーバーのiモデルでは、1U分のラックスペースに背中合わせで2台のサーバーを収納できるハーフサーバーを用意。室温が40℃でも動作する機種も投入し、データセンターの電力消費の大幅削減を可能にした。
なかには、オフィスラックサーバーと呼ばれるユニークな製品も発売していた。防塵および静音設計としているのに加えて、ラック前面には鍵付のフロントシャッターを採用。情報漏えい対策におけるセキュリティ面にも考慮したという。
また、Express 5800シリーズは、山梨県甲府市のNECプラットフォームズ 甲府事業所で生産。10万通り以上のバリエーションに対応し、受注から4営業日で出荷する体制を2005年からスタート。NECならではの国内生産の強みを生かした。
現在では、年間停止時間約3秒となる99.99999%のシステム可用性を実現しているほか、NECが得意とするローカル5Gへの対応や、生成AIをはじめとして、画像処理や映像処理、高速演算などにも対応したGPU搭載サーバーなどもラインアップしている。
このように、IAサーバーのコモディティ化が進展するなかでも、他社にはない付加価値を加えることで差別化を図ってきたのが、Express 5800シリーズであった。
Express 5800シリーズは、2008年3月には累計出荷100万台を達成。2024年12月には発売30周年を迎え、NECのコンピュータ事業を支えるロングセラー製品となっている。