小嶺忠敏氏に哀悼の意…JFAの田嶋会長「高校サッカー発展の大功労者」

2022年1月7日(金)17時49分 サッカーキング

JFAの田嶋会長が、逝去した小嶺氏に追悼のコメント [写真]=山口剛生

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 日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長は7日、同日に76歳で逝去した小嶺忠敏氏に哀悼の意を表した。

 JFAの公式サイトで掲載された、田嶋会長のコメントは以下のとおり。

「小嶺先生の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます」

「小嶺先生は、島原商業高校サッカー部を強化するために、高校サッカーの強豪校との対戦を日常的に行う必要性を感じ、自らマイクロバスを運転して全国各地への遠征を続けられました。そういった並々ならぬご努力が実り、島原商業は1977年のインターハイで優勝、1984年には九州勢として初めて全国高校サッカー選手権を制覇しました。国見高校の監督になってからも高校選手権で何度も優勝に導かれました。それまで優勝校は限られた地域のチームがその多くを占めていましたが、その後、全国各地から優勝校が出てくるようになりました。まさに高校サッカー発展の大功労者でした。U−17日本代表監督としては、1993年に日本で開催したFIFA U-17世界選手権でチームをベスト8に導くとともに、後のSAMURAI BLUE(日本代表)の中核を担う中田英寿さん、宮本恒靖さんらを育てられました」

「高校サッカー部の監督としてS級ライセンスを取得されるなど、名監督と言われながらも常に学ぶことをやめないその謙虚な姿勢に私も深い感銘を受けました。小嶺先生に倣い、多くの高校サッカーの指導者がS級ライセンスを取得するなど、全国の指導者をリードしてこられました。小嶺先生が蒔かれた種が日本各地で実り、多くの日本代表選手が生まれることにつながったと思います」

「小嶺先生はサッカーに人生の全てを捧げた方でした。心から哀悼の意を表します。そして、ありがとうございました。 公益財団法人日本サッカー協会 会長 田嶋幸三」

 小嶺氏は、全国高校サッカー選手権で長崎県立国見高等学校を6度の優勝に導くだけでなく、長崎などで監督を務めた高木琢也氏、J1通算最多得点記録を持つ大久保嘉人氏ら、後に日本代表で活躍することになる選手たちを育て上げた。また、1993年にはU−17世界選手権でU−17日本代表を率いてベスト8に進出している。長崎県立国見高等学校を退職後は、一般社団法人長崎県サッカー協会の会長やV・ファーレン長崎の代表取締役社長などを務め、2015年9月からは長崎総合科学大学附属高等学校サッカー部の監督を務めていた。

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