故アントニオ猪木さん「X」で90歳で亡くなった新間寿さんを追悼…「心よりご冥福をお祈り申し上げます」
2025年4月24日(木)10時44分 スポーツ報知
新間寿さん
2022年10月1日に亡くなった国民的プロレスラーのアントニオ猪木さん(享年79)の公式「X」(旧ツイッター)は23日、今月21日に90歳で亡くなった“過激な仕掛け人”とうたわれ猪木さんと共に昭和の新日本プロレスで黄金時代を築いたストロングスタイルプロレス会長の新間寿さんを追悼した。
「X」には、新日本プロレスの専務取締役営業本部長時代に新間さんが猪木さんら選手を前にしてリング上でマイクを持ちあいさつする写真をアップし「新間寿さんのご訃報に接し謹んでお悔やみを申し上げますとともに心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。
新間さんは、中大を卒業後に化粧品会社に就職したが、1966年10月に親交があった豊登さんが旗揚げした東京プロレスに入社しフロントとしてプロレス界に飛び込んだ。同団体はわずか3か月で崩壊。猪木さんと訴訟合戦となるなど確執が生まれたが、和解し1972年秋には、猪木さんが同年3月に旗揚げしたばかりの新日本プロレスに入社した。
以来、猪木さんのマネジャーとして当時は「禁断」と呼ばれたストロング小林、大木金太郎との大物日本人同士の対決、ムハマド・アリとの「格闘技世界一決定戦」を頂点とする異種格闘技戦、全世界のベルトを統一する「IWGP」などロマンあふれる企画で猪木さんをプロデュースした。
89年夏には参院選に出馬した猪木さんが結成した「スポーツ平和党」の幹事長として政治家「アントニオ猪木」を支えた。その後、猪木さんとは決別したが、プロレスに情熱をささげ、二人三脚で昭和の新日本プロレスを牽引(けんいん)しファンを熱狂させた輝きは永遠に失せることはない。