ホームランを打って一塁で王さんの顔を、三塁で長嶋さんの顔を見る この優越感といったら…田淵幸一さんの「喜」

2025年4月29日(火)6時0分 スポーツ報知

73年4月26日、巨人戦で1試合3本塁打を放った阪神・田淵。一塁手の王(左)が見つめる中、ダイヤモンドを一周した

 巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第4回は強打の捕手として阪神、西武で通算474本塁打を放った希代のホームラン・アーティスト、田淵幸一さん(78)の登場だ。巨人に憧れを抱きながら、ドラフトで宿敵・阪神に入団。高々と舞い上がる美しい本塁打でファンを魅了し、トレードされた西武で悲願の日本一を手にした。ドラマチックな野球人生の「喜怒哀楽」を振り返る。(取材・構成=太田 倫、湯浅 佳典)

 * * * *

 強い巨人を倒すこと、ONを倒すことが生きがいだった。阪神時代の10年間で2位が5度。常に巨人が前にいて、その大きな山を崩せなかった。

 巨人戦の思い出は多いね。特に最終戦の直接対決で負けてV9を許した1973年。巨人戦だけで16発打って、4月から5月にかけては7打数連続本塁打もあった【注1】。

 ホームランを打って、ONの前を走りすぎる。こんなに心地よいことはなかった。一塁で王さんの顔を、三塁で長嶋さんの顔を見る。この優越感といったら…。

 そばを通るとき、2人の反応は全然違う。王さんは下を向いて、目線を合わせない。長嶋さんでよく覚えているのは、73年4月26日の後楽園でプロ入り初めて3打席連続本塁打を打ったときだ。左翼のジャンボスタンドにたたき込んで、ベース一周。すると長嶋さんは帽子を取って、「うん、田淵君、よく打ったね〜」ってあの甲高い声で言ってくれた。わざわざ敵の選手を褒めるなんてなかなかできないよ。そこが長嶋さんのすごさだと思う。

 オレの打法は、ONの打ち方を合体させたものなんだ。大学時代はすり足。王さんの一本足打法を見て、なぜ足を上げるのかな、じゃあオレもやってみようって、マネするようになった。それがプロ入り2年目くらいだったかな。そしたら打球が飛び出した。もちろん右打者と左打者では違うから、自分なりにアレンジした。4年目に34発打って、タイトル争いでも王さんの背中が見えるようになってきた。

 長嶋さんには呼吸法を教わった。球宴で一緒になったときに、聞いてみたんだ。「いつも打席で深呼吸しているのはなんでですか?」。教えてくれたのは、投手がモーションに入ったときに吸って、ボールを捉える瞬間に一気に吐いて力を入れるというやり方だった。

 プロってのは自己顕示欲が強くなきゃダメなんだ。巨人戦はテレビ中継がある。お客さんも入る。ここで打てば給料が上がると思って、対戦することは喜びだった。前日なんて興奮して寝られない。あふれるほどのファンの前で試合できるなんて、幸せだよ。巨人戦はほんとうに特別だった。

 【注1】4月26日(後楽園)の第3打席から3、4、5号と3連発。次の対戦となった5月9日(甲子園)は第2打席の死球を挟みまた3発。同10日(同)の初回にも打って、3試合にまたがり計7打数連発とした。

 ◆田淵 幸一(たぶち・こういち)1946年9月24日、東京都生まれ。78歳。法大で通算22本塁打を放ち、当時の東京六大学リーグ記録を樹立。68年ドラフト1位で阪神入り。69年に22本塁打で新人王。75年には本塁打王。78年オフに西武にトレードで移籍し、82、83年の連続日本一に貢献。83年は正力賞を受賞した。84年に現役引退。引退後はダイエー監督、阪神チーフ打撃コーチ、北京五輪日本代表ヘッド兼打撃コーチ、楽天ヘッドコーチを歴任。2020年に野球殿堂入り。

スポーツ報知

「ホームラン」をもっと詳しく

「ホームラン」のニュース

「ホームラン」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ