巨人・川上哲治監督から「背番号2を用意」と言われたのに阪神が指名 ショックでロダンの「考える人」状態…田淵幸一さんの「怒」

2025年4月29日(火)6時5分 スポーツ報知

法大時代から長距離砲で注目された田淵

 巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第4回は強打の捕手として阪神、西武で通算474本塁打を放った希代のホームラン・アーティスト、田淵幸一さん(78)の登場だ。巨人に憧れを抱きながら、ドラフトで宿敵・阪神に入団。高々と舞い上がる美しい本塁打でファンを魅了し、トレードされた西武で悲願の日本一を手にした。ドラマチックな野球人生の「喜怒哀楽」を振り返る。(取材・構成=太田 倫、湯浅 佳典)

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 生まれも育ちも東京で、テレビで見るのも巨人戦。「巨人、大鵬、卵焼き」の時代に、他のチームでプロ野球選手になるなんて考えたこともなかった。

 法大では22本塁打を打ち、当時の六大学記録を塗り替えて迎えた1968年のドラフトだった。もう時効だけど、ドラフトの前に巨人の川上哲治監督と会った。赤坂のふぐ料理店だったかな。「田淵君、待っているよ」と。「背番号2を用意している」とまで言ってくれてね。そりゃ、巨人に行けると思うじゃないですか。

 ところが11月12日のドラフトで交渉権を得たのは、指名順が3番目の阪神だった【注2】。あのときテレビ中継はなかったから、電話でNPBから「田淵さん、あなたは阪神タイガースに指名されました」と連絡が来た。「え? もう一回言ってください」って聞き直したよ。目白の自宅の応接間にマスコミやカメラマンが集まっていたけど、その前でロダンの彫刻「考える人」みたいなポーズになって…。ショックだったね。

 阪神入団を正式に決めたのは11月30日。それまでに巨人が三角トレードを申し入れたとかいろんな報道があった。入団の決め手になったのは、こんな出来事だった。ドラフトからしばらくたって、明大から巨人に入った六大学の先輩・高田繁さんから電話があった。「巨人の人が会いたいって言っている」というので、11月27日にホテルニューオータニに行った。ところがそこには大勢のマスコミやカメラマン。同じ場所で大洋の桑田武さんと、巨人の大橋勲さんのトレードの話し合いが行われていたんだよ。

 案の定、巨人のスカウトと会っていたのが公になって「巨人が横やりを入れようとしている」と騒がれた。ルールを守らなければたたかれるのもよく分かった。これは仕方ない、阪神に行こう、と腹をくくった。ウチの親父(綾男さん)は毎日新聞の社員。巨人はライバル会社の球団だったから、もしオレが巨人に入団したら、辞めるつもりで辞表を用意していたらしい。

 引退後に、ゴルフコンペで一緒になった川上さんに聞いたことがあるよ。「あの時、もしトレードだったらどの選手だったんですか?」って。「忘れた」って言ってたけどね(笑)。

 【注2】68年11月12日に行われたドラフトは、一斉入札ではなく、変則のウェーバー制で実施。12球団が予備抽選を行った上で、奇数の1、3、5位などは予備抽選の1番→12番の順で、偶数の2、4、6位などは12番→1番にさかのぼる形で指名する。阪神は予備で3番、巨人は8番だった。

 ◆田淵 幸一(たぶち・こういち)1946年9月24日、東京都生まれ。78歳。法大で通算22本塁打を放ち、当時の東京六大学リーグ記録を樹立。68年ドラフト1位で阪神入り。69年に22本塁打で新人王。75年には本塁打王。78年オフに西武にトレードで移籍し、82、83年の連続日本一に貢献。83年は正力賞を受賞した。84年に現役引退。引退後はダイエー監督、阪神チーフ打撃コーチ、北京五輪日本代表ヘッド兼打撃コーチ、楽天ヘッドコーチを歴任。2020年に野球殿堂入り。

スポーツ報知

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