91歳の明大レジェンドが始球式 元大洋捕手の土井淳さん 島岡御大に「最初は『優しいおっさんだなあ』と思って…」
2025年5月10日(土)10時57分 スポーツ報知
東京六大学野球のレジェンド始球式に登場した明大OBの土井淳さん(カメラ・加藤 弘士)
◆東京六大学野球春季リーグ戦 第5週第1日▽明大—立大(10日・神宮)
試合前に東京六大学野球連盟の創設100周年を記念するレジェンド始球式が行われ、明大OBで長らく大洋(現DeNA)の捕手として活躍し、大洋の監督も務めた土井淳(きよし)さん(91)が登板。ワンバウンドながら堂々の投球を見せた。
右腕をグルグル回し、マウンドの数歩前から第1投。小雨が降り注ぐ中、両校のナインや客席から温かい拍手が送られた。
「久しぶりに『Meiji』のユニホームを着て、やっぱり緊張したね。このスペルがいいんだよね。本当はプレートの上から投げようと思ったんだけど、ちょっと遠かったかな」
年齢を感じさせない、はつらつとした表情で振り返った。
「私の野球人生は東京六大学がスタート。原点だと思う」。岡山東では同世代の秋山登とのバッテリーで1951年夏の甲子園に出場。1回戦で中西太を擁する高松一高と対戦したが、3−12で敗れた。秋山−土井はともに明大に進学。東京六大学、プロでもバッテリーを組んだ。
「開校以来、初めての甲子園だったんです。あがっちゃってね。力が発揮できなかった。秋山が中西に打たれてね。明治では1年からレギュラーに抜てきされたんだけど、岡山から出てきて、東京六大学で野球ができるので、『ここで頑張らなきゃ』と思ったね。そこでの成功が、その後の野球人生につながったんだ。秋山に負けないようにという気持ちでやっていたのが、よかったんだろうね」
「御大」と呼ばれた島岡吉郎監督が、まだ若くてバリバリだった頃の話である。
「最初は『優しいおっさんだなあ』と思って、実際に野球部に入ったら、こんなに怖い人がいたのかと…。相当、鍛えられました。精神野球ですよね。『なんとかせい』『死ぬ気でやれ』と。だから、死ぬ気でやりました。人間力が身について、後の人生に生きているよね」
91歳。元気の秘訣に「若いフリをしている(笑)。できるだけ歩こうと思っている。トレーニングはやらない(笑)。うまいものを食って、よく寝て、おいしい酒を飲んで」。連盟創設100周年には「今、91歳でしょ。そんなに前じゃないんだよね」と笑顔。「未来永劫…このMeijiの素晴らしいマークが何百年も続くように、後輩たちも頑張ってほしいね」と若者たちにエールを送った。(加藤 弘士)