DeNA・宮城 小学6年で「大人の決断」した男が母に恩返しのうれしいプロ初勝利

2025年5月17日(土)4時1分 スポーツニッポン

 ◇セ・リーグ DeNA8—6ヤクルト(2025年5月16日 神宮)

 【記者フリートーク】24歳のDeNA・宮城滝太は、弟、妹との3人きょうだい。その「滝太兄ちゃん」が、沖縄・嘉手納(かでな)で生活していた小学6年生時に下した「大人の決断」は、涙なしには語れない。

 宮城家は、小学生低学年のときには家庭の事情もあり「母子家庭」となった。母・さとみさんは若くして長男・滝太を出産。宮城が小学校に入学するころには、20歳代なかばで子供たち3人を養う苦労と戦っていた。

 宮城は「まわりの家庭と比べてうちは貧しい。でもお母さんは、貧しいように感じさせない生活をさせてくれていた。僕の知らないところで相当我慢して、僕らにいろいろ(生活資金を)まわしていたと思う」と当時を振り返る。

 だからこそだった。野球少年だった宮城は、中学に進学するタイミニングで、自身の能力を認めてくれた近隣の読谷村にある硬式野球・ボーイズリーグ「読谷ボーイズ」に進んだ。

 中学校のクラブ活動と比べれば、月額活動費、野球用具費、遠征費などの負担は大きい。それでも宮城は「将来お母さんを楽させたい。今は野球代を負担してもらうかもしれない。でも、その分、絶対(野球で)有名になってお母さんを楽させるんだ」と、中学でも「おんぶにだっこ」になる決断をした。

 「自分は性格的にも中学校の部活だと周囲の友達に流されてしまう。だから僕1人だけ、小学生の仲間とは違うチームに進んだ。平日も自転車をこいで、ボーイズに通っていた」。母の負担を継続させる辛さを心にしまい込んだ「大人の決断」。苦労を知っていたら、簡単にできるものではない。

 高校は滋賀県の強豪、滋賀学園に進学した。「僕が県外に進学した方が、お母さんの負担も減る。少しでも将来につながる高校に進みたかった」と沖縄を離れても、心には常にさとみさんへの思いがあった。

 育成契約から支配下契約をつかみ、プロ7年目で初勝利。記者は今季、宮城と顔を合わすたびに「今日こそ初勝利」と声をかけ続けた。その日が25年5月16日、神宮でついに訪れた。

 沖縄で吉報を耳にしたさとみさんには、記念球を送る。今季12試合14回2/3を防御率0.00は完璧な内容。「滝太兄ちゃん」が小学6年生で下した決断の未来は、まずは「初勝利」までたどりついた。

 記者も心から「おめでとう」を送りたい。そして、最後に宮城の好きな言葉を記す。「誰かがどっかで必ず見ていてくれる」。野球の神様は、宮城の努力をずっと見続けてくれている。(DeNA担当 大木 穂高)

スポーツニッポン

「宮城」をもっと詳しく

「宮城」のニュース

「宮城」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ