山本浩二さんが元祖ヘディング!?中日・宇野よりも4か月先に「ただただ恥ずかしかった」…巨人が恐れた男たち「哀」
2025年5月27日(火)6時20分 スポーツ報知
81年4月、中畑の飛球を追いかけて頭に当てた山本を報じる、当時の本紙紙面
巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第5回は“ミスター赤ヘル”こと元広島監督の山本浩二さん(78)が「喜怒哀楽」を語る。1970〜80年代の広島黄金時代に絶対的な4番打者として君臨し、通算536本塁打は歴代4位。鉄人・衣笠祥雄との“YK砲”は脅威で、巨人戦通算100本塁打の大台は2人だけだ。現役18年間の濃密な記憶を掘り起こした。(取材・構成=太田 倫)
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悔やまれるのは初優勝の翌年、1976年や。シーズン最後は10月22日、川崎での大洋とのダブルヘッダー。もう3位と決まっていたし、古葉さんが「どうする?」と言うから、「もういいです」って第1試合だけ“ズル休み”してしまった。あれがなければ75年から82年まで8年連続フル出場。衣笠の2215試合連続出場には追いつけんけど、代打でも出ればよかったと今でも悔やんでいる。
腰痛との闘いは大変やった。これは大学の時に上級生にやられた“ケツバット”の後遺症でもあったんや。疲れてくると、(尾骨の上にある)仙骨のあたりがフニャッとなって、力が入らなくなる。若い頃は、シーズン中に必ず動けなくなるときがあった。移動日のたびに治療したり、予防はずいぶんやった。バスの真ん中の通路に寝そべらせてもらったり、地方遠征では、用具を運ぶトラックの、運転席の後ろにあるベッドに寝て移動しとった。そこが一番楽やったからな。
75年8月7日のヤクルト戦(神宮)。朝起きたら腰が痛くて動けん。試合前にやっと歩けるようになって、もうダメやと思ったら、ちゃんと4番でスタメン。古葉さんは、お客さんが一人でも見に来てくれるならレギュラーである以上は出なきゃいかん、という考えの持ち主やったからな。7—7の8回1死三塁で打順が回ってきた。そしたら古葉さんが「スクイズするか?」って聞いてきた。「スクイズします」って言うわけないやろ。結果は右翼席に決勝2ランやった。
守備には自信があったが、実は“ヘディング”をやらかしたことがある。あれは81年4月19日の巨人戦(後楽園)。7回2死で、中畑清が左中間の一番深いところにフライを打ってきた。カウントは3ボールだったから、まさか打つわけないやろ、と思って油断していた。慌てて追いかけたせいで、視界がぐらんぐらん。パッと振り向いたらボールが3つくらいに見えた。ボールが帽子のひさしに当たってから、おでこにゴン。記録は三塁打やったが、痛くも何ともなく、ただただ恥ずかしかった。
ところが4か月後に起きたのが、かの有名な中日・宇野勝のヘディング事件や【注4】。あれで元祖?のわしの方は全く話題から消えてくれて助かった。宇野には本当にありがとう、と言いたいよ(笑)。
【注4】81年8月26日の巨人—中日戦(後楽園)の7回2死二塁、巨人・山本功児の飛球を中日の遊撃・宇野が捕り損ねて見事なヘディング。二塁走者が生還した。巨人は前年から159試合連続得点中で、完封を狙っていた投手の星野仙一はグラブを地面にたたきつけるなど怒った。
◆山本 浩二(やまもと・こうじ)1946年10月25日、広島市生まれ。78歳。廿日市高を経て進学した法大ではスラッガーとして田淵幸一、富田勝と「法政三羽ガラス」と呼ばれ、68年のドラフト1位で広島入団。18年間で本塁打王4回、最優秀選手2回などタイトル多数。86年に引退後は広島監督を計2回、通算10年務め、91年にはリーグ優勝。2008年に殿堂入り。13年WBCでは日本代表監督として4強入り。右投右打。