東京マラソンで日本人トップの市山翼、スーパーに週4勤務、大学入学時は同期25人中後ろから3番目の男の大躍進の軌跡
2025年3月7日(金)6時0分 JBpress
(スポーツライター:酒井 政人)
とにかくリズムを崩さないように
約3万8000人が駆け抜けた東京マラソン2025。それぞれのランナーにドラマがあるなかで“特別な一日”になったのが市山翼(サンベルクス)だろう。ほぼノーマークだったにもかかわらず、有力選手を抑えて“日本人トップ”に輝いたからだ。
市山は第3集団でレースを進めて、中間点を1時間02分44秒、30kmを1時間29分13秒で通過。ペースメーカーが離脱すると、大都会を力強く駆け抜けた。
「下りが得意ではないので、前半はうまく動かすことができませんでした。でも下りが終わってからリズムを取り戻せたことで、後半の走りにつながったかなと思います」
井上大仁(三菱重工)らを引き離すと、第2集団でレースを進めた日本人選手に急接近する。まずは赤﨑暁(九電工)と浦野雄平(富士通)を抜き去り、39.8kmで池田耀平(Kao)を逆転。40kmまでの5kmを15分03秒で突っ走り、日本人トップを奪ったのだ。
「日本人選手を抜くことより、前にいた外国人に離されないことを意識していました。タイムもあまり意識していなくて、とにかくリズムを崩さないように走ったんです。我慢強さと根性。他のことを気にしている余裕はないので、我慢、我慢の積み重ねで30km以降は走りました」
市山は日本歴代9位となる2時間06分00秒の10位でフィニッシュ。東京世界選手権の参加標準記録(2時間06分30秒)も突破した。
「まだ先に日本人選手がいると思って走っていたので、レース後に日本人トップだと知りました」と驚いたが、市山は自信を胸に秘めていた。
「これまでのマラソンは練習を完全に消化できたことがなかったんですけど、今回は練習をすべて消化しました。調子がいい状態で臨めたのが、タイムや順位につながったのかなと思います。特に後半の粘りが功を奏したと思いますね。東京世界陸上を目標にしていたので、どうなるかはわかりませんが、選ばれるのであれば、もう一度活躍したいなと思います」
自己ベストを1分41秒も更新した市山。今回の快走で今年9月に開催される東京世界陸上の代表候補に名乗りを挙げたことになる。
元バスケ部で現在はスーパーに週4回勤務
東京マラソンで上位に入る選手は、日本長距離界のエリートといえる存在だ。高校時代から全国大会に出場して、箱根駅伝でも活躍。実業団の強豪チームの場合、一般業務はほとんど免除というケースも少なくない。
一方、市山は独自のキャリアを積み上げてきた。
中学時代はバスケ部で大宮東高から陸上競技を開始する。「中学時代は体力をつけるために走る練習がピカ一速かったんです。高校はダンス部にでも入ろうと思ったんですけど、短距離の先輩に『長距離向いているよ』と言われて、その先輩のおかげですね」と“運命の出会い”を果たす。しかし、すぐに才能が開花したわけではなかった。
進学した中央学大では25人いた同期のなかで5000m自己ベストが下から3番目。そこから這い上がってきた。箱根駅伝に到達したのは最終学年になってから。花の2区(区間17位)を任されると、卒業時にはハーフマラソンのタイムでチームナンバー1になっていた。
大学卒業後は、「走るのが仕事になるのなら」と実業団の道へ。埼玉医大グループ、小森コーポレーションを経て、2023年4月にサンベルクスへ移籍した。
マラソンは2021年2月のびわ湖毎日で2時間07分41秒の自己ベストをマーク。2023年は2月の別府大分毎日で3位(2時間07分44秒)に食い込むと、10月のMGCでは13位に入っている。
現在はスーパーマーケット「ベルクス」の草加青柳店グロサリー部に所属。火、水、木、土の週4日勤務して、発注や品出しを担当している。8時から13時まで働いた後、トレーニングを積んできた。なお東京マラソン前は少しシフトを減らしてもらったという。
「働きながら走ることへの不満はありません。自分以上にもっと働いている人はいますから。それに会社の人やお店に来る方が応援してくれる。その声も力になっています。またペットボトル飲料の入ったダンボールを積むことがあるんですけど、うまくカラダを動かさないとギックリ腰になったりします。ちょっとスクワット気味に上げたり、腹筋を意識して上げるなど、少しでも競技につながるように工夫しています」
市山は与えられた環境のなかで自分を高めてきた。今年は「あまり調子が良くなかった」という2月9日の全日本実業団ハーフマラソンを自己ベストの1時間00分22秒で優勝。自信をつけて、東京マラソンに臨んだ。
ゴールは男子5000mと10000mで世界記録を保持するジョシュア・チェプテゲイ(ウガンダ)と1秒差。世界の超エリートに肉薄して、笑顔を見せた。
「自分の目標は他の競技者、市民ランナーの方々の目標や憧れになることです。好タイムを出すより、熱いレースをするのが自分の成功だと思うので、今回はうまく走れたかなと思います」
市山の人生ストーリーを知ると、今回の走りがさらにカッコよく見えてくる。
筆者:酒井 政人