「人を殺すのが好きなんだ」「去年も子供たちを殺したよ」30人以上の被害者を生んだ全米最大の未解決事件“ゾディアック”犯行の瞬間
2025年5月11日(日)7時0分 文春オンライン
「私は人を殺すのが好きなんだ。とても楽しいから。森で野生動物を殺すよりも楽しい。人間はあらゆる動物の中で最も危険な生き物だからだ」
快楽殺人を犯しているとも取れるような恐ろしい手紙が、1969年8月1日、北カリフォルニアの新聞社に届いた。送り主の名前はゾディアック。1968年〜1969年、サンフランシスコを中心としたベイエリアと呼ばれる地域を震撼させた4件の連続殺傷事件で5人を死に至らしめた殺人犯だ。もっとも、ゾディアックの関与の可能性がある殺人事件は他にも多数あると指摘されており、本人は被害者は37人いると示唆している。ゾディアックは犯行声明文の他に、奇妙な暗号文を警察や新聞社に送り付け、暗号を解読せよと挑発したことでも注目された。
事件から57年。その間、数多くの被疑者が捜査線上には浮上したものの、未だ、犯人は特定されていない。これまで何度も書籍化されたり映画化されたりするなどして、米国でも大きな未解決事件の一つとされている「ゾディアック事件」を振り返る。(全2回の前編/ 続きを読む )

◆◆◆
「ゾディアック事件」の幕開けは被害者が高校生の惨劇
クリスマスが近づいた1968年12月20日午後11時過ぎ、カリフォルニア州サンフランシスコ北東部ソラノ郡のレイク・ハーマン・ロードという人気のない道で、通りかかったドライバーが若い男女が倒れているのを発見した。この道は、恋人たちがキスしたりハグしたりしてイチャつく、米国では「ラバーズ・レーン(恋人たちの小道)」と呼ばれる場所として知られていた。
2人はベティ・ルー・ジェンセン(16歳)とデイビッド・アーサー・ファラデー(17歳)。デイビッドはヴァレホ高校のイーグルスカウトに所属し、レスリングチームで活躍するプレーヤー、ベティはホーガン高校に通う物静かな優等生として知られていた。勉強熱心な2人は2週間前に知り合った後、なかなかデートをする時間を作れないでいたが、クリスマスが近づいたこの日、初デートに出かけた。2人は共通の友人を訪ねた後、ホーガン高校で開かれたクリスマスコンサートを楽しむ。惨劇が起きたのはその帰り道のことである。
通りかかったドライバーの通報で警官が現場に駆けつけた時、ベティはすでに死亡していた。受けていた銃弾は7発。そのうち5発は背中に当たっていたことから、ベティは銃撃犯から逃げようとしていたところを、背後から撃たれたと推測された。デイビッドは発見当時まだ息はあったものの、頭部に銃弾を受けていたことから、病院に搬送される途中で死亡した。
この高校生男女の銃殺事件が「ゾディアック事件」の幕開けとなった。
被害者のウエイトレスは犯人と付き合っていた?
ベティとデイビッドが射殺されてから半年が過ぎた1969年7月4日の独立記念日、またも、同じソラノ郡にあるブルー・ロック・スプリングス公園の駐車場で車中にいた若い男女が銃撃される。この公園は最初の事件が起きた場所からわずか約3キロのところにあり、ここもまた「ラバーズ・レーン」と呼ばれていた。撃たれたのは、19歳のマイケル・ルノー・マギューと22歳のウエイトレス、ダーリーン・フェリン。ダーリーンは既婚者だったが、この日、マイケルとデートしていた。ダーリーンは亡くなったが、マイケルはサバイブし、事件が起きた時のことを捜査官にこう話している。
「ダーリーンと車の中にいた時、1台の車が駐車場に入ってきたんだけど、すぐにどこかに行ってしまった。しかし、少しして、同じ車が戻ってきて、僕らの車の後ろに駐車した。その車から、銃と懐中電灯を手にした男が出てきて、車の助手席の窓に向けて5発撃った。男はいったんどこかに行くと、また戻ってきて、僕らをまた2回ずつ撃ったんだ。男は90キロくらいの体重で、顔は大きく、髪は明るい茶色の巻き毛で黒い服を着ていた」
地元警察は、この事件発生から数時間後、ある男から電話で、自身が犯人だと告げられている。
「2つの殺人事件を報告するよ。コロンバス・パークウェイを東に1マイル行くと、公園に着く。そこに茶色の車に乗った子供たちがいる。彼らは9ミリのルガーで撃たれた。僕は去年も子供たちを殺したよ。グッドバイ」
ちなみに、ダーリーンは銃撃犯と前に付き合っていたのではないかという説もある。また、ダーリーンは最初の事件で銃撃されたベティとデイビッドのことを知っていた。彼女はベティの家の近くに住み、ホーガン高校に通っていたからだ。また、ある写真で、ダーリーンはある男性と一緒に写っているが、その男性は事件後、似顔絵が描かれたゾディアックによく似ているとも言われている。
若いカップルが殺害された事件はベイエリアの住民を恐怖に陥れ、警察や地元紙を翻弄した。
地元紙が受け取った「自称犯人」からの手紙
1969年8月1日、地元紙のヴァレホ・タイムズ、サンフランシスコ・クロニクル、サンフランシスコ・エグザミナーは1通の手紙を受け取る。それは「こちらは、昨年のクリスマスにハーマン湖で2人のティーンエイジャーを殺害し、7月4日にヴァレホのゴルフコース付近で少女を殺害した犯人だ。私が彼らを殺害したことを証明するために、私と警察だけが知っているいくつかの事実を述べる」という一文で始まり、殺害に使用した銃の種類や、被害者がどこを撃たれたか、何を身につけていたかなど警察しか知りえない詳細が記されていた。
また、犯人は、手紙には408文字の暗号文(Z408)が封じ込まれており、その暗号の中に自分が何者であるかが隠されていると訴え、手紙を新聞の第一面に掲載するよう要求した。さらに、手紙が掲載されなければ、「週末、殺戮に出かける。夜中に一人でいる者を殺し、週末の間、12人以上になるまで殺し続ける」と警告していた。
「暗号を解けば犯人を逮捕できる」と挑発
同年8月4日には、サンフランシスコ・エグザミナー紙が「編集者様 こちらはゾディアックです」との自己紹介で始まる手紙を受け取る。以降、犯人は“ゾディアック”と呼ばれるようになった。この手紙の中でゾディアックは暗号を解けば犯人を逮捕できると挑発している。
その暗号は、8月5日、暗号解読家ではない、パズル好きなアマチュアのハーデン夫妻によって解読されるが、作家リチャード・コネルの1924年の短編小説『最も危険なゲーム』への言及が含まれていた。解読された暗号文は以下の通りだが、ゾディアックは自身の来世のために殺人を犯したと訴えている。
〈「私は人を殺すのが好きなんだ。とても楽しいから。森で野生動物を殺すよりも楽しい。人間はあらゆる動物の中で最も危険な生き物だからだ。何かを殺すことは私に最もスリリングな体験を与えてくれる。それは女の子とセックスするよりもずっといい。そして最もいいことは、私は死んだら楽園の中で再生し、私が殺した者全員が私の奴隷になるということだ。お前は私の来世のための奴隷集めを遅らせたり止めたりしようとするから、お前には私の名前は教えない。エベオリエテメスピティ」〉
大きなフード付きの黒い衣装でメッタ刺し
ベイエリアが3番目の恐怖に襲われたのは1969年9月27日。
この日、パシフィック・ユニオン・カレッジに通うブライアン・ハートネル(20歳)は前の恋人セシリア・シェパード(22歳)を誘って、サンフランシスコ北部ナパ郡のベリエッサ湖に出かけた。ピクニックを楽しんでいた2人にゾディアックは近づき、銃を振り翳して「警備員を殺害して脱獄したため、メキシコに行く車と金が必要だ」と訴え、2人を縛り上げると、メッタ刺しにした。その数、ブライアンは8回、セシリアは10〜20回。セシリアは2日後死亡したが、亡くなる前、犯人の特徴について言及している。その風貌たるやなんとも不気味なものだった。中世の死刑執行人が身につけるような大きなフード付きの黒い衣装を纏っていたというのだから。その衣装には円と十字というゾディアックのシンボルも記されていた。また、ゾディアックはブライアンの車のドアに、ゾディアックのシンボルと殺害の日にちを以下のように記していた。
〈「ヴァレホ
68年12月20日
69年7月4日
69年9月27日 6時30分
ナイフで」〉
ゾディアックはまた、午後7時40分、公衆電話からナパ郡保安官事務所に電話をかけ、電話通信係に「殺人事件を、いや、2人を殺害したことを通報したい」と犯行を告げている。
ところで、2人が刺されたその日、ベリエッサ湖周辺では不審な男が目撃されており、目撃者の協力でその男の似顔絵も描かれている。
この事件から2週間が経過した1969年10月11日、ゾディアックは4件目の殺人を犯した。
イエローキャブの運転手を襲撃
しかし、この事件はちょっと毛色が違っている。襲撃されたのが、それまでのような男女のカップルではなく、ポール・スタイン(29歳)というイエローキャブの運転手だったからだ。スタインは1969年10月11日、サンフランシスコのダウンタウンのユニオンスクエア近くで乗客(ゾディアック)を約5キロ離れたプレシディオ・ハイツまで乗せ、その乗客に後頭部を撃たれて亡くなった。犯行現場を目撃したティーンエイジャーたちが警察に通報、駆けつけた警官は現場近くを歩いている黒い服を着た白人の男を目撃したが、後に、ゾディアックは「その男が実は自分だったのだ」と手紙の中で明かしている。
もっとも、この殺人事件は当初、強盗殺人と見なされ、ゾディアックによる3件の連続殺人事件とは無関係と見られていた。しかし、サンフランシスコ・クロニクル紙に、ゾディアックから、スタインを殺害したという犯行声明文とスタインの血がついたシャツが入った手紙が送られてきたことから、この殺人もまたゾディアックの犯行と確認されている。
37人の被害者がいると示唆
ゾディアックによる犯行と警察が確認している殺人事件はこの4件だけだが、実は、ゾディアックは他にも数多くの殺人事件を犯している可能性がある。当時、カリフォルニア州では、未解決の殺人事件が何十件も起きており、ゾディアック自身も37人の被害者がいると手紙の中で示唆していたからだ。
その中でも、ゾディアックの関与が最も疑われている殺人事件は、高校生の男女が殺害された最初の事件が起きる2年以上前の1966年10月30日に遡る。この事件では、サンフランシスコから640キロ以上南にあるリバーサイド・コミュニティ・カレッジの女子学生シェリ・ベイツ(18歳)がキャンパスの路地で殴打され、首を絞められ、さらに、何度も刺されて亡くなった。事件の1ヶ月後の11月29日、リバーサイド警察とリバーサイド・プレスが受け取った「告白」と題された手紙には、ベイツを殺害したことや犯行の詳細、ベイツ殺害が「最初ではないし、最後でもないだろう」と殺人予告をする警告文も記されていた。
また、1966年12月には、「生きることにうんざり/死にたくない」と題された不気味な詩が発見された。王立カトリック教会図書館の机の裏に刻み込まれていたその詩は筆跡がゾディアックの手紙の筆跡と似ており、詩はゾディアックが書いた可能性があるとの見解も上がったが、事件を捜査していたリバーサイド警察は、ゾディアックはベイツ殺害事件とは無関係との見方を示している。
赤ちゃんと母親を連れまわした誘拐事件
1970年3月22日夜に起きた、キャスリーン・ジョーンズとその赤ちゃんが誘拐された事件もゾディアックの犯行ではないかとみられている。この日、赤ちゃんを連れて、サンフランシスコ郊外を車で走っていたキャスリーンは、後ろを走っていた車のドライバーから、後輪が緩んでいるので停車するように言われる。停車すると、男は後輪を修理してくれたものの、またすぐに外れてしまったため、男はガソリンスタンドまで母娘を送ると申し出た。しかし、男はガソリンスタンドに寄ることはなく、2時間にわたって車を走らせ、何度も「お前を殺す」と言い放ったという。男が急ブレーキを踏んだ瞬間、キャスリーンは娘を連れて車から飛び降り、灌漑用の水路に身を隠して、男から逃れることができた。その後、燃やされたキャスリーンの車が発見された。
キャスリーンは、警官から、スタイン殺害事件の指名手配犯の似顔絵を見せられた時「彼だ!」と叫んだという。ゾディアックは、同年7月24日、サンフランシスコ・クロニクル紙に送った手紙の中で、「数ヶ月前の夕方、女と赤ん坊を車に2時間ほど乗せ、彼女の車を燃やした」と誘拐事件について告白している。
偽ゾディアック現れる
ゾディアックは、1969年から1974年にかけて、地元紙や警察に、犯行声明文や暗号文などが含まれた手紙を15通送りつけている。解読されたZ408の暗号文は前述したが、事件から52年経った2020年には、1969年11月8日にサンフランシスコ・クロニクル紙に送ったZ340の暗号文がアマチュアの暗号解読グループにより解読されている。以下が、その内容だ。
〈「私についての重要な点を浮き彫りにするテレビ番組に出演していたのは私ではないのに、あなた方が私を探し出すのを大いに楽しんでいるといいな。私はガス室を恐れていない。なぜなら、ガス室は私をすぐに天国に送ってくれるからだ。今は私のために働いてくれる奴隷が十分にいる。他の皆は天国に着いても何も持っていないので、死を恐れているんだ。私は恐れていない。なぜなら、私の新しい人生は天国の死の中で楽なものになると知っているからだ」〉
この暗号文の中で言及されているテレビ番組は「ジム・ダンバー・ショー」というテレビショーのことだが、このショーは、ゾディアックに電話をかけてくるよう呼びかけた。ゾディアックから電話が入り、自身の名前はサムだと名乗った。この暗号文は、サムがこのテレビ番組に電話をかけてきてから2週間後に送られていたが、ゾディアックはこの番組に電話をかけたサムという人物は自分ではないと訴えているのである。実際、サムは精神病院の患者であることが判明した。偽のゾディアックが現れるほど世間を巻き込み、騒がせたゾディアックだった。
〈 《第一容疑者は児童への性的虐待で逮捕》DNA解析技術で明らかになりつつある全米最大のミステリー“連続殺人犯・ゾディアックの正体” 〉へ続く
(飯塚 真紀子)