「とにかく綺麗な人がいる」「隣に座っていられない」と言われて…出会った当時は17歳だった坂東玉三郎が語る、三島由紀夫の自決を知って感じたこと

2025年5月25日(日)12時0分 文春オンライン

三島由紀夫はなぜ命を絶ったのか? ボディビル、結婚、続く災難…自衛隊駐屯地にたてこもり割腹自殺するまでの“最期の10数年”を振り返る 〉から続く


 今年1月14日に生誕100周年を迎えた三島由紀夫が、晩年に書いた歌舞伎の大作「椿説弓張月」のヒロイン・白縫姫として想定したのは、当時19歳の坂東玉三郎さんだった。


 ここでは、様々な角度から三島やその作品を見つめた 『21世紀のための三島由紀夫入門』 (新潮社)より一部を抜粋。様々な三島歌舞伎、三島演劇に出演してきた坂東さんが語る、生前の三島の印象や演出、自決に対して感じた思いとは——。(全3回の3回目/ 最初から読む )


聞き手=井上隆史、芸術新潮編集部


◆◆◆


「今の時代に、このような花は、培おうとしても土壌がない」


——「玉三郎君のこと」(初出は昭和45年8月の国立劇場、青年歌舞伎祭、若草座公演プログラム)は、ごく短い文章ですが、三島由紀夫らしい、素晴らしい内容ですね。当時、お読みになって、どんな感想を持たれましたか?


 そんなに褒められても実感がないというか、困ってしまうという感じでした。ただ、土壌がなければ舞台人が育たないし、出てこないといったお話には、この年になって「ああ、そうだなあ」と思います。



坂東玉三郎さん ©︎文藝春秋


——〈今の時代に、このような花は、培おうとしても土壌がなく、ひたすら奇蹟を待ちこがれるほかはない〉とあります。


 今は、一般の社会に歌舞伎を志す人がいても、修業し、引き上げられる環境が、本当に狭くなってきています。三島先生があの文章をお書きになった時にも、その気配はすでにあったんでしょうね。昭和の初期まではあったような土壌が、戦後になって平らくなったことに危機感を感じていらっしゃった。当時の私にはそういう理屈はわからなかったですけれども、三島先生が歌舞伎というものを俯瞰して見る中で、出てきた者が引き抜かれ、抜擢され、もちろん作家も沢山居た、その流れの中にいることを、奇蹟という言葉で言ってらっしゃるんだと思うのです。


——歌舞伎の将来は危ないけれど、玉三郎さんのような若手も出てきたし大丈夫かもしれない、その両方の思いがあった?


 自分が言葉をかけてやることによって、それならば私も支えてやろうと思う人が現れてくれれば、と思われたんだと思います。どうなるかわからないけども応援してやってくれという応援歌なのでしょうか。


「隣に座っていられない」と言われて…


——三島との最初の出会いは?


 全くの偶然なんですけど、父(=守田勘彌)が出ている「天下茶屋」(「敵討天下茶屋聚」)の初日を母(=藤間勘紫恵)と一緒に観に行ったら、隣の席に三島先生が座っていらした。後で挨拶しようと母とこころづもりしていたんですが、そのうち三島先生はいなくなってしまった。やがて、国立劇場の制作室にいらした中村さん(=中村哲郎、演劇評論家)が顔を出して、「玉三郎さんだったんですか」と言われて。三島さんが、あそこじゃ座っていられない、隣にいたのは誰なのか聞いてこいと言われたみたいです。


——とにかく綺麗な人がいる、と三島は言ったそうですね。


 私は、17歳だったですかね。あんな青年の隣に座っていられないというのをそういう意味で取っていなかったですから、何か失礼があったのかしらって。「桜姫」(「桜姫東文章」)は、その前だったかな。「桜姫」で稚児の白菊丸をやったのは……。


——その舞台は、三島も観ている?


 観ていらっしゃいます、国立劇場の理事でしたから。「椿説弓張月」はその2年後です。


——台本を読んでどう思われましたか?


 白縫姫は具体的に書いてあるからよくわかりましたけど、為朝はどうなったのかなあ……、という感じで読んでいました。為朝はただそこにいるだけで、迎えに来た神馬に乗って去ってゆく。白縫姫の場合と違って結論が抽象的ですよね。


——三島の演出で記憶に残ることは?


 その当時先生は能に傾倒してらして、面を切るということをやりなさいと言っていました。嬲り殺しにしている男(=武藤太)をパッと見て、面をスッスッと切りなさい、見得をしないでと言われました。お琴をスッスッと糸を擦る時だけ見て、その他は、攻め殺してるところを一切見ないでくれと。それから海に入る時も、パッと一瞬だけ為朝を見て、それで思い切って飛び込む。見得を切るのではなくて、能楽的な瞬間的な面を切るようにと、そこは強く言ってらっしゃったです。


「サド侯爵夫人」を贈られた


——人としての三島由紀夫の印象は?


 誤解しないでほしいんですけど、人間っぽくないんですよね。私には肉感というものがない感じがしました。其処に居るんだけど、居ない感じっていうのかなあ。それに、普通は、こう喋ればこう返ってくるみたいなのがありますよね。ところが、三島さんの場合、とんでもないところから言葉がパーンと出てくる。あれは亡くなる少し前、初夏だったと思うんですけど、私が国立劇場の事務所の前で車を待っていると、中に先生がいらして、ガラス越しに目礼したらパッと出てくるなり、「これは蛇皮なんだよ」って。挨拶も何もしないうちに、「君、これなんだと思う? 蛇皮なんだよ」、「あ、はい」。そんな調子でした。


——三島からは「サド侯爵夫人」の限定豪華本を署名入りで贈られてもいます。


 国立劇場の一室に呼ばれて、君は今後どういう芝居をしたいんだと聞かれました。私も馬鹿でしたね。先生の作品を挙げればいいのに、加藤道夫の「なよたけ」です、って言ったんです。そしたら、あんな芝居は思春期の少年が書くようなものだ、君はこういうのをやりなさいって渡されたのが「サド侯爵夫人」でした。うちに帰って一生懸命読んだけど良く分かりませんでした……(笑)。


——その「サド侯爵夫人」を初めて演じられたのは、昭和58年(1983)のサンシャイン劇場でした。いかがでしたか?


 三島先生のお芝居は、もちろん言葉は素晴らしいし、構成も素晴らしい。演劇として面白いのですが、やってる人間は苦しいこともあるのです。閉じ込められてしまう感覚がありますから。


——三島由紀夫の中に?


 そう。サンシャイン劇場ではルネ(=サド侯爵夫人)を私が、モントルイユ夫人(=ルネの母)を南美江さんが演じました。南さんは浪曼劇場(三島と演出家・松浦竹夫が創設した劇団で、三島作品を中心に上演した。昭和43〜47年)にもいらした方ですから、公演中に「どうやったらうまくできるのかしら、毎日やってるのにまともに芝居ができないわね」と言ったら、南さんが「三島先生のお芝居は、役者がうまくやればやるほど役者は死ぬんです。そして、三島由紀夫の像が舞台に立ち上がってくる、それが成功よ」って言ってらっしゃって。確かにそうなんです。


——やはり、ふつうは役者の喜びと舞台の成功は、おおむね一致している?


 それは確かに重なるんです。それが三島先生の芝居では全然一致しないで、操られている感じですね。


——なんだか、わかるような……。


「鰯売」(「鰯売恋曳網」)だけは歌舞伎の様式が前面に出ていて、歌舞伎音楽もあるし、演劇的な余白があるんですよね。三島先生の書いている世界から少し離れるというか。だからやっていて楽なのです。「鰯売」以外では「黒蜥蜴」ですね、楽しいのは。それは、三島先生の本質が、そのまま出ているからでしょうか。他の作品では、三島先生特有の、修飾語の多い文章や構成によって戯曲の中に役者を封じ込めてしまっているのですけれども、「黒蜥蜴」だけは三島さんの無垢な気持ちが出てるんだと思います。


三島の自決を知って感じたこと


——三島歌舞伎では、「地獄変」の露艸(つゆくさ)も演じておられます。


 原作が芥川さん(=芥川龍之介)。あのお二方の合作では、役者として耐え難いところがありますよね……(笑)。私ね、自分でやっていながら、娘が焼け死ぬ姿がなぜ美しいのか、さっぱりわからなかったです。やらなきゃならないからやったけど、ほとんど理解出来ませんでした……(笑)。


——露艸は、かつては中村歌右衛門さんが演じていました。


 歌右衛門さんにはそういった部分が良い意味で根本にあったと思うので、そこで三島作品と融合したのかも知れません。私はそういうことは意外となかったんです。淡泊というか。ただ、三島先生の眼に映った私の中にはそういうものを見られたのでしょうか。でも、私は自覚できなかったです。


——三島の自決を知ってどうお感じに?


 申し訳ないことですけど、大変なことだとか、お可哀そうだとか、もっともだ、とかじゃなくて、「ああ……結局、芝居書いてくれないのね」って思いました。すみません……。


——それはつまり、もっと戯曲を書いてほしかったということですか?


 さんざん文化のことを言い、歌舞伎のことを言い、言葉を大事にって言っていたのに、「死んじゃったの」という感じでした。なにしろ、その時、はたちでしたから。でも、三島先生が亡くなった後、芝居を書けた小説家は有吉佐和子さんくらいではないでしょうか。そう考えると、三島先生がもっと私たちに芝居を残していてくださったら、と思います。おかしな言い方かもしれませんけれど、三島さんご自身が芝居をなさったら、あのような死に方をすることもなかったかもしれない、そう思うこともあります。


(平野 啓一郎,井上 隆史,「芸術新潮」編集部/Webオリジナル(外部転載))

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