「果物ナイフ」に「七五三」、校内暴力のピークに何が起きていたか(1983年)【TBSアーカイブ秘録】
2025年4月16日(水)7時0分 TBS NEWS DIG
夜の校舎で窓ガラスを壊して回るなんて、そんなヤツいるかよ、と思いますよね。いたのです。1980年代、全国に蔓延した「校内暴力」の時代、学校はたしかに荒れていました。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
「つっぱり」や「ヤンキー」たちがヨーラン背負ってリーゼントだった時代
1980年代、日本の学校教育現場では「校内暴力」が深刻な社会問題となりました。
特に中学校で、生徒による教師への暴力、仲間同士の暴力、器物破損などの事件が頻発し、文部省(現在の文部科学省)が「異常事態」と呼ぶほどになったのです。
統計的には、1983年の「校内暴力約2万4,000件」が史上最多とされます。
この時期、校内暴力事件が新聞テレビを賑わすのは日常茶飯事で、中には火を放たれるなどの重大な事件も発生しました。
なぜ校内暴力は蔓延したか
校内暴力の背景には複数の要因があります。
まずはいわゆる「管理教育」でしょう。当時の中学校は厳格な校則や指導方針が主流であり、生徒に対して内申書による評価の圧力や、髪型や持ち物の検査などが日常的に行われていました。こうした統制的な教育に対する反発が、校内暴力の遠因であると言われました。
「七五三」とはなにか?
当時、教師の間では「七五三」という言葉が多く囁かれていました。
小学校卒業時には7割の子が授業を理解しているが、中学卒業時には5割、そして高校卒業時には3割になってしまうという意味です。そして、授業を理解できない、単に座っているだけの子は、やがて学校に嫌気がさし、暴れはじめたというのです。
この話がやがて「学校教育の内容が多すぎるのではないか」という疑問を生み、後のゆとり教育に繋がっていくわけですが、それはまた別の話です。
学校以外の要因も多数
さらに、当時の社会全体にも影響があったのかもしれません。高度経済成長も終わり、若者の将来に対する不安や閉塞感が漂っていたこと。また「猫」や「蠅」など暴走族・不良カルチャーがメディアで取り上げられ「不良であることがかっこいい」といった価値観が一部の若者の間に浸透したこと。こうした文化的影響も、校内暴力の一因となったと考えられています。
「先生が生徒を刺す」衝撃的な事件
最も衝撃的な事件は、ピークの1983年に起きた「先生が生徒を果物ナイフで刺した事件」でしょう。東京都内のとある中学校の教師が、以前から暴力事件を繰り返してきた生徒が殴りかかってきたのに果物ナイフで応戦し、全治数日の怪我を負わせたのです。
教師はその後、警察に出頭、正当防衛は認められましたが、傷害罪で罰金10万円となり、やがて諭旨解雇処分となりました。
しかし、この事件には特殊な事情がありました。教師側が原爆症の患者であり、被害者となった生徒に常日頃からからかわれていた中で発生した、という背景があったのです。
この事件から「校内暴力」は、いよいよ全国的な議論を呼び起こしていきました。
収まったには収まったけれど…
このような事態に対し、学校現場では学校同士で連携をとるようになりました。また硬軟織り交ぜた生活指導への見直し、教師と生徒の信頼関係の構築など、様々な対策が取られました。地域社会や保護者との連携も重視され、1985年頃から校内暴力は徐々に沈静化していったのです。
しかし、その後、校内暴力の低年齢化や、保護者のモンスターペアレンツ化なども起き、学校教育はなかなか難しい隘路に入っています。