「苦しい! 痛い! 助けて!」脱線した電車で乗客が“生き埋め”に…107人死亡の“凄惨な電車事故”生存者の18歳大学生が、奇跡的に助かったワケ

2025年4月25日(金)12時0分 文春オンライン

〈 「ブルーシートが、血まみれの人たちで埋められて…」107人が死亡した“凄惨な電車事故”生存者の女子大生が語った、事故直後の壮絶すぎる状況 〉から続く


 乗員乗客107人の死者を出した、JR史上最悪の惨事・福知山線脱線事故から20年。脱線・転覆の10秒間に、いったい何が起きていたのか。生死を分けたものは何だったのか。重傷を負った生存者にふりかかった様々な苦悩と、再生への歩みとは——。


 ここでは、遺族、重傷を負った被害者たち、医療従事者、企業の対応など、多角的な取材を重ねてきたノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書 『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』 (文藝春秋)より一部を抜粋。1両目に乗っていた大学生(当時18歳)の証言を紹介する。(全4回の3回目/ 4回目 に続く)



福知山線の列車脱線現場 ©時事通信社


◆◆◆


新入生の18歳、元ラグビー部の若者の不運な偶然


 近畿大学法学部に入学したばかりの18歳・山下亮輔は、その日の朝、伊丹市内の自宅を愛犬ゆずに玄関先まで送られて、自転車で出た。前夜は大学の新入生歓迎コンパで未明まで騒いでしまったが、朝になれば、もう気持ちはすっきりしていた。


 黒のストライプの長袖シャツに青いジーパン、そして茶色のブーツ。青春真只中の若者が新緑の並木の下を颯爽と自転車を漕ぐ姿は、晴れて大学生になった解放感と自信満々の気持ちをストレートに表していた。


 JR伊丹駅近くの駐輪場に自転車を置くと、駅に通じる歩道橋を駆け上がった。階段を駆け上がるなどということは、高校時代にラグビー部だった亮輔には日常茶飯事で、まるで気にとめるようなことではなかった。


 そんなことでさえ二度とできなくなるとんでもない出来事が身に振りかかってくる時刻が近づきつつあったと、誰が想像できようか。単に階段を駆け上がることができなくなるというのは象徴的なことであって、実は亮輔のそれまでの人生が切断されてしまうほどの事件に遭遇するのだ。


 近畿大学に行くには、伊丹駅からJR福知山線で大阪駅に出て、近鉄大阪線に乗り換え、大学のある長瀬駅で降りるというコースになる。伊丹駅から約40分だ。


 歩道橋から伊丹駅に飛び込んだ亮輔は、改札口を入ると、いつもはエスカレーターで降りるのだが、この日は、なぜか反対側の階段でホームの前寄りの方へ降りた。ちょっとした偶然が運命のベクトルを不運な方向へ向けてしまう。なぜそちらを選んだのか、亮輔自身にもわからない。


授業に間に合わせるため、快速電車の最前部に乗り込んで


 ホームに出ると、しばらくして快速電車が勢いよく入って来た。ところが、停まるはずの電車が通過するのかと思うほど速いスピードで、先頭がホームの端よりかなり先まで行って、急停止した。《おい、おい、どこへ行くんだ》と、亮輔は電車を追うようにホームの前のほうへ走った。


 ところが、電車は今度は急いでバックしてきて停止した。気がつけば、亮輔は1両目の一番前のドアの前に立っていた。もう1つの偶然が運命のベクトルをさらに悪い方向へ向かわせた。2時限目の授業に間に合うためには、この電車に乗らなければならない。進行方向に向かって左側のドアから入ると、運転席のすぐ後ろの吊り革に右手をかけて立った。亮輔は快速電車の最前部に乗ってしまったのだ。


 MP3プレイヤーのイヤホンを耳に挿し込んで、好きなJポップを聴いていた。目の前の座席には、3人の知らない学生が座っていた。音楽にひたっていたせいか、亮輔は電車が異常なスピードを出していたことにも気づかなかった。


 塚口駅を通過したことは覚えているが、次に気がついた時には電車は右カーブに入り始めていた。


《何だこの揺れは》そう思った時には、立っていられないほど電車は左に傾いていた。座っている学生たちの上に倒れないようにと、必死に両手で吊り革にしがみついた。


目の前の窓の外にガーッと地面が迫り、女性の悲鳴が


《倒れたら、どうやって身を守ろう》


 そう考えても、事態の進行のほうが早かった。目の前の窓の外に、ガーッと地面が迫ってきた。


「キャーッ」


 女性の叫び声が車内に響き渡った。


 ガリガリガリーッと車体が地面の砂利をこすっていく。吊り革にしがみついていても、身体はもう学生たちの上にのしかかっていた。窓の外の地面がグワーッと超接近してくる。吊り革の両手も、もう支え切れないと思った瞬間、窓が地面に触れ、物凄い破壊音が耳をつんざき、真暗になった。


 亮輔はその時、反射的に目をつぶったのだろう。轟音、摩擦音、衝撃音、吊り革からもぎ取られるように放たれ倒れる自分……。何が何だかわからない中で、気を失ったのだろう。


 何分経ったのか、気がつくと、周りは真暗闇で、何がどうなっているのか、まるでわからなかった。自分がどこにいるのかもわからない。


《生きている。自分は生きてここにいる。》


 そのことだけは、確かだと思えた。


 奇妙なことに、身体は動けないのだが、痛みの感覚は全くなかった。眠りから覚めた時のような感覚だった。やがて周囲の音に対する聴覚が戻ってきた。


「苦しい!」「痛い!」「助けて!」


 暗い車内のあちこちから悲痛な叫び声や泣く声、うめく声が聞こえてくる。わんわん響くほどだ。一体何人くらいだろうと、声の違いを数えてみた。少なくとも10人はいる。だが、離れたところや2両目や3両目にも、沢山いるのかもしれない。不思議だったのは、人々の叫び声やうめき声以外には、何の物音も聞こえないことだった。


下半身に乗っていた、何人もの人の身体


 自分がどうして動けないのか、暗い中で確かめようとした。上半身は後ろに少し寄りかかって座っているような姿勢になっている。両手を動かすことができる。手を前へ伸ばすと、何かが壁のように塞いでいる。それが何であるかは、暗いのでわからない。


 頭の上にはやや空間があるが、その上には天井のようなものがある。狭い空間に閉じこめられた感じだ。(天井のようなものは、後で救出される時に、進行方向に向かって右側の窓だとわかった。車両が左へ転覆して駐車場に飛びこんで潰れた時、右側面の窓やドアが上になって潰されたため、内部で生き残った者には天井のように感じられたのだ。)


 一方、下半身は何かが乗っかっていて、両足を引き抜くことも動かすこともできない。何が乗っかっているのか、上半身を前にこごめるようにして両手を伸ばして触ってみた。闇の中では、それが何であるかわからないが、鉄のような硬いものではなかった。柔らかだ。手が届く範囲で慎重に触ってみると、何と人の身体ではないか。亮輔は衝撃を受けた。


 手をさらに動かして調べると、1人や2人ではない。何人もが折り重なるようにして、足の上に積み重なっている。ところが、重みを感じない。下半身が苦しいという感覚はあるのだが、重さも痛みも感じないのだ。


暗闇の中に置き去りにされた孤立感


《なぜだろう。下半身の感覚が麻痺しているのか? 脳がいかれたのか? 幻覚か? それとも、もうあの世に片足を突っ込んでいるのか?》


 亮輔は、自分が事故に巻き込まれ、めちゃめちゃに潰れた車内に閉じ込められていることを、一刻も早く両親や恋人の美咲に知らせなければと思い、ジーンズのポケットに入れていた携帯電話を取り出そうと、手を伸ばしたが、下半身に重いものが乗っていて、ポケットに手を入れることができない。腕時計はどこかに飛んでしまって失くなっていたし、携帯も取り出せないので、一体事故からどれくらい時間が経ったのか、確認することもできない。


 暗闇の中に置き去りにされた孤立感が襲ってくる。このまま見捨てられるのか。


 相変わらず、あちこちから悲痛な叫び声があがっている。だんだん弱っていく声もある。


 悲しみが破壊空間の中に満ち満ちている。


 亮輔は、突然不安にかられ、叫んだ。


「助けて! 誰か、助けて! ……」


 返事はどこからも返ってこなかった。


津波のように押し寄せてくる悲鳴、叫び、うめき


 ずいぶん長い時間が経った頃、問いかける声があった。


「何歳なん?」


 どうやら右下のほうからのようだ。若い声だった。そちらへ顔を向けたが、暗くて声の主がどんな人物で、どこにいるのかもわからない。再び声がした。


「どこの大学やで」


「近畿大学やで」


 それっ切り、相手はしゃべらなかった。その人物が、1歳年上の同志社大学2年の林浩輝であることを知ったのは、亮輔が救助されてからだった。林は事故から22時間近くも経ってから最後の生存者として救出された人物だ。


 林の弟が美咲の同級生だったことから、亮輔は一度だけ会ったことがあった。そんな人物が、すぐ近くで同じように身動きできなくなっているというのも不思議な縁だった。


 悲鳴、叫び、うめきが津波のように押し寄せてくる。このまま“生殺し”にされるのかとさえ思えてくる。


 突然、怒りの声が響き渡った。


「うるさい! 静かにしろや!」


 この忘れられない凄絶な状況を、亮輔はずっと後になって思い起こす度に、《あれがぎりぎりまで追いつめられた人間の限界状況というものなのだろう》と、身が震える思いがするのだった。悲鳴をあげる人もうめく人も、「うるさい!」と叫ぶ人も、誰もが生と死のぎりぎりの境に追いつめられている。


「どうすれば救出してもらえるのか」という話し合い


 誰もが、叫ばずにはいられないし、うめかずにいられないし、「うるさい」と怒りをぶちまけずにはいられない。誰かが正しくて、誰かが間違っているとか、誰かは忍耐強いが、誰かは弱いといった議論などは意味を持たなくなっている。


 一瞬静寂に包まれたが、しばらくすると、再び苦痛やうめきがうねりとなって、残骸の中に充満していった。


 このままでは、まさに“生殺し”にされかねない。お互いに顔も見えない暗い中で、話のできる数人がどうすれば救出してもらえるか、まず何をしたらよいか、相談をした。すぐに結論が出た。


「ここに俺たちが生きているっていうことを、知らせよう。どこへでもいい、外部に知らせないことには、救助隊だってどこから探せばいいかわからんだろう」


「携帯、誰か持ってませんか。携帯なら110番でも119番でも通じるから」


 その発言に、何人かがわれに返ったように、携帯を探し始めた。みんな身体の自由がきかないので、暗い中での手探りだった。亮輔ももう一度、ジーパンのポケットに手を伸ばそうとしたが、下半身の上には何人もの人々が横たわって重なっていて、とても携帯を取り出すことができない。仕方がないので、近くに落ちていた見知らぬ人の鞄を引き寄せて、中を探ってみた。やはりない。


命綱になった携帯電話


「あった!」


 林浩輝の声が聞こえた。携帯がどこにあったのか、どうしてそれまで見つからなかったのかは、亮輔にはわからなかった。林が親にかけているのがわかった。生きていること、自分だけでなく、何人もいること、1両目の車内にいること、早く救助してほしいことなどを、懸命に伝えていた。


 ——命綱。


 亮輔は、《携帯が命綱になった》と思った。そんなことは、それまで考えてもみなかった。何事もなく過ごしている日常生活の中で、まるで空気や水のように、あるのが当たり前になっている携帯。それが、事故や災害で、いくら叫んでも外部に伝わらないような空間に閉じこめられた時、コミュニケーション手段として決定的に役立ってくれるとは。まさに「現代の命綱」だった。


 1両目の最前部に乗っていた生存者たちが携帯でようやく外部と連絡が取れたのは、事故発生から何と7時間も経ってからだった。亮輔は、そのことをかなり後になってから知った。携帯の通信記録から、時刻が正確にわかったのだ。


内部へのアクセスが困難になり、救出が遅れた1両目の前部


 同じ1両目に乗っていながら、木村仁美や福田裕子がかなり早い時期に救出されたのに対し、亮輔らの発見が大幅に遅れたのは、なぜなのか。


 仁美らが閉じこめられた1号車の後部は、マンション駐車場に突入してアコーディオンのように潰れた前部と違って、マンションの外に出ていたので、窓などの開口部を通じて、外部から内部を覗いたり声をかけたりしやすかった。そのことが救助作業を相対的に取り組みやすくしたのだろう。


 これに対し、1両目の前部は、中地階構造の狭い駐車場の中で潰れたため、内部へのアクセスが困難になっていた。しかも破壊された自動車からガソリンが漏れて引火の危険性が極めて高く、火花が出るような工具は一切使えなかった。そうした状況の中で、救助隊は、1号車後部をはじめ、2両目、3両目の乗客たちの救出や死亡者の収容に、ほとんど手を取られ、1両目の前部に目が行かなかったのだ。

〈 「ここにいます!」「早くしてくれ!」107人死亡“史上最悪の電車事故”で18歳大学生が奇跡の生還…事故現場で行われた“救出劇”の一部始終 〉へ続く


(柳田 邦男/ノンフィクション出版)

文春オンライン

「電車」をもっと詳しく

「電車」のニュース

「電車」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ