小室佳代さんが「自伝」で明かした小室圭さん、眞子さん夫妻との“距離感”「圭と私の関係は…」「一卵性親子ではありません」と…

2025年4月27日(日)7時0分 文春オンライン

「私を散々利用してさ。その仕打ちを思い出すと今でも腹が立ってくるんだよ」


 2月6日、米NY州で弁護士として活躍する小室圭さん(33)の母・佳代さん(58)の初めての自伝本が発売された。だが、佳代さんの恩人で80代男性のAさんは、こう怒りを口にする。自伝本で一切触れられなかった、佳代さんの過去とは——。


◆◆◆


圭さんが描いた“佳代さんの似顔絵”も掲載


 自伝本は「ブランニューデイ あたらしい日」(内外出版社)。巻頭には「Kei K」のサインとともに、圭さんの手による佳代さんの似顔絵が掲載されている。


「著書では、佳代さんが亡き夫・敏勝さんともどもサザンオールスターズの大ファンだったこと、一人息子の圭さんの命名案として『佳祐』が検討されていたことが明かされました。敏勝さんの葬儀ではサザンの名曲『ミス・ブランニュー・デイ』が流されたとも綴られており、自伝のタイトルもこの曲から取ったものと見られます。ちなみに圭さんも、学生時代にmixiでサザンのコミュニティに入っていました」(宮内庁担当記者)



「料理をつくることは生きること」と綴った


 プロローグは〈はじめに〜祈り〜〉と題され、そこから〈序章 対等な関係性が居心地いいね〉、〈2章 「自由」それは素敵なハーモニー〉と章が続く。各章の終わりには〈お伝えしたい! 幸せのメニュー〉というコーナーが挟まれ、かつてアルバイトした鎌倉のドイツ料理店で教わったというメニューが、佳代さんのイラスト付きで紹介されている。「ミネストローネスープ(命のスープ)」の頁には「※具だくさんスープは息子の大好物」と注意書きが添えられるなど、母の不変の愛情も滲む。


「ふさわしくない」「人格否定」


 自伝で綴られているのは主に、亡き夫との出会いと別れ、圭さんの成長記録や「心友」に支えられた日々だ。日々貯金が目減りしていく中、精力的にバイトを掛け持ちする圭さんの姿に励まされ、圭さんが大学生の頃には、生活費を切り詰めながら亡き夫の望みだったスペイン旅行を敢行したことも記された。一方で、圭さんとの関係性については、


〈圭と私はそこそこ穏やかな関係ですが、かといって一卵性親子ではありません。それぞれが興味あることを追求し、かつ互いを尊重する、サバサバした関係性です〉


 と言及。圭さんと妻・眞子さん(33)のアメリカ生活についても、


〈ここ数年、圭の後を追って私がアメリカに行ったという噂が度々あるようですが、そんなことはありません。結婚をし、アメリカの司法試験に受かり、幸せな生活を踏み出した彼らに、水を差すようなことをするつもりはありません〉


 と、一定の距離を置いていることを強調した。


「眞子さんについては『彼女』『配偶者』などと表現され、名前は一切出てきません。また、縁戚関係となった秋篠宮家に関する記載もなかった。佳代さんなりに皇室に配慮したのかもしれません」(前出・記者)


自伝では“なかったこと”にされている重大な出来事


 夫との別れを乗り越えて息子を愛情深く育てあげ、幸せな家庭を築く息子夫婦を遠くで見守る——。自伝で描かれたのは、そんな佳代さんの姿だ。


 だが、自伝では“なかったこと”にされている重大な出来事がある。その最たる例が、圭さんと眞子さんの婚約延期の引き金となった、佳代さんと元婚約者X氏の金銭トラブルだ。


「X氏は圭さんが大学に入学した頃から、婚約相手だった佳代さん母子の生活費を支援。その後、婚約破棄となった際に、母子が『貸与ではなく贈与』と主張したため、トラブルになっていました。X氏が支援した額は約400万円。その一部は母子のスペイン旅行にも充てられ、後に圭さんは一部を返済している。しかし自伝には、X氏の存在や援助には一切触れられていません」(前出・記者)


 佳代さんは金銭トラブルについては伏せたまま、息子の婚約延期後にメディアに追われた日々を〈メディアでは相変わらず「ふさわしくない」と私は言われ続け、やがてそれは「人格否定」の域に達し〉たと振り返る。その上で、こう綴るのだ。


〈「真っ直ぐな気持ちで人を愛し、その人を守っていきたい」息子のそのような思いを、私がどうして否定することができるのでしょう〉


佳代さんが触れなかった「親族トラブル」の過去


 佳代さんが触れなかった過去はそれだけではない。冒頭のAさんはこう憤る。


「今回の自伝本には“美談にするな!”という気持ちです」


 このAさんは、かつて佳代さんの親族トラブルの解決に奔走した人物だ。Aさんが語る。


「私は1990年代の終わりごろに夫婦で喫茶店をオープンさせたのですが、そこの常連客になってくれたのが佳代さんと敏勝さん夫妻でした。2002年に敏勝さんが自死した後、敏勝さんの父も後を追うように亡くなったのですが、この父の遺産をめぐって、佳代さんが『親族に、相続に関する話し合いをしてもらえない』と嘆いていた。それで私が菓子折りを持って敏勝さんの実家を訪ねていき、話し合いを仲介したのです」


 Aさんの仲裁の甲斐もあり、無事、敏勝さんの父の遺産の一部を圭さんが相続することになった。これまでもたびたび報じられてきた、佳代さんをめぐる逸話である。


 だが、これは単に“親切な喫茶店マスターがシングルマザーを助けた”だけの話ではなかったのだ。Aさんが重い口を開く。


「私は見た目も“それなり”」


「じつは私は若いころ、暴力団にいました。それから堅気になって、妻がお菓子が好きだったので製菓学校に通い、洋菓子を出す喫茶店をオープンさせたんです」


 つまり佳代さんは、元暴力団員に親族トラブルの仲裁を依頼していたことになるのだ。Aさんは自身の経歴を佳代さんに語っていなかったというが、


「彼女は、私が親族宅に交渉に行く前に『少し脅しても大丈夫ですから』なんて言うんだよ。私は見た目も“それなり”だから、私の過去に薄々気付いた上で利用したのではないか」


 遺産問題が解決した後の佳代さんの口ぶりにも、Aさんへの畏怖が滲んでいたという。


「遺産が手に入った途端、佳代さんは私に『手を引いてくれ』と言ってきた。こちらは好意でやってあげたのに、その言いぶりに開いた口が塞がらず、彼女と縁を切った。今思えば、『手を引いて』と言ったのも、私が怖い人だという認識があったからでは」(同前)


 そしてAさんはこう嘆息するのだった。


「私は誠意を込めて、佳代さんと付き合ってきたつもりです。なのに、私にせよ元婚約者にせよ、散々人を利用して最後には切り捨て、自分だけ“良い子”。そりゃないでしょう。これが皇族の親戚として、あるべき態度なのですか」


 佳代さんにとってこうした過去は、振り返る必要のない「ふるい日」に過ぎないのだろうか。


(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年2月20日号)

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