緊迫するインド対パキスタン…「核戦争」に発展するのか。あえて「美しいリゾート地」でテロが行われたワケ
2025年5月1日(木)20時25分 All About
インドとパキスタンの関係が、4月22日にカシミールで起きたテロをきっかけに再び緊張。背景には複雑な領土問題と長年続く紛争がある。核保有国同士の対立の行方に注目が集まっている。(写真は筆者撮影)
「4月22日、インド領カシミールのリゾート地で、武装勢力が少なくとも26人の観光客を射殺した」
「警察は、紛争地域のリゾート地・パハルガムから約5km離れたバイサラン・メドウドで発生したこの襲撃について、インド統治に抵抗する武装勢力によるものと断定した。2人の上級警察官によると、少なくとも30人が負傷し、その多くが重傷だという」
核戦争に発展するのか
筆者はインド領カシミールには何度も訪問し、これまでも現地でインドとパキスタンの領土をめぐる紛争やテロ活動を取材してきた。今回の事件はカシミールに暮らす人たちにしてみれば特に驚くようなものではない。ただ今回はどちらも核保有国であるインドとパキスタンの両政府の関係に緊張感が高まってきており、その動向からは目が離せない。そこで日本人にはなじみの薄いインドとパキスタンのカシミールの領土問題に起因する「カシミール紛争」について紐解いていきたい。
そもそも、カシミール地域とは?
カシミール紛争といっても、報道でテロや暴動、抗議デモなどが発生したと聞く程度で、実際に何が争われているのかはあまり知られていない。カシミールには、インド側、パキスタン側の2つがある。インド側のカシミールは「ジャム・カシミール州」を指し、国境を挟んだパキスタン側のカシミールは「アザド・カシミール」と呼ばれる。アザドとはウルドゥ語で「自由」という意味だ。つまり“インドに支配されていないカシミール”ということになる。
ちなみにアザド・カシミールは自治権を与えられており、パキスタン政府がテロ組織を活動禁止にしてもその効力は届かない。政府の活動禁止命令はこうした地域には及ばないため、テロ組織は堂々と活動を続けているのだ。
カシミール紛争の経緯。どのように“印パ停戦ライン”ができたのか
カシミール紛争の始まりは、インドとパキスタンがイギリスから独立した1947年にまで遡る。独立に際し、イギリス領インド帝国で自治権を認められていた565の藩主国は、それぞれヒンドゥー教徒が多数派のインドと、イスラム教国パキスタンのどちらに加わるのかを選択するよう迫られた。カシミールのマハラジャ(藩主)だったハリ・シングはどちらに帰属するのかを決められなかった。なぜなら、ハリ・シング自身はヒンドゥー教徒だったが、住民の大半はイスラム教徒だったからだ。インドの初代首相で先祖がカシミール出身であったジャワハルラール・ネルーは、カシミールに特別な愛着を持ち、是が非でもインドに取り込もうとマハラジャに繰り返し働きかけた。
ネルーはカシミールが「自分にとって何よりも大事だ」と説明しながら、閣僚との協議の際に、泣き崩れることもあったという。
独立したパキスタンの総監であるムハンマド・アリー・ジンナーは、イスラム教徒の民意を汲む意味でもパキスタンへの帰属を望んだ。結局は、パキスタンの北西に暮らすイスラム教徒の部族たちがパキスタン新政府の支援を得て蜂起(ほうき)し、カシミールのプーンチ丘陵地区への侵略を行った。もともと武装していた彼らは、武力でカシミールを確保しようとしたのである。
カシミールのハリ・シングは、武装した部族の攻勢に対してなす術がなかった。1947年10月22日、ハリ・シングはインドに対して公式に助けを要請した。結局、部族地域の勢力はインド側のカシミールを確保することはできなかった。こうしてカシミールの3分の2はインドに組み込まれ、ジャム・カシミール州となった。
そして、その際に「印パ(インド・パキスタン)」を分けたラインは「停戦ライン」として実質的な国境になったが、第3次印パ戦争の後に実行支配線と呼ばれるようになり、カシミールの分断が「固定」された。これが今も続くカシミール紛争である。
インドによる“占領”のイメージを植え付けたいパキスタン
印パによるカシミールの帰属をめぐる争いは、現在まで「失われたパラダイス」の「忘れられた紛争」と呼ばれるほど長く継続し、解決の糸口すら見つかっていない。カシミールはインドとパキスタン、ヒンドゥーとイスラムの火種が集約された主戦場だと言える。
インド同様に核保有国である隣国のパキスタンは、カシミールの領有権問題を「利用」しながらイスラム系の過激派組織を支援し、インドに送り込むなどして混乱を引き起こそうと活動を続けてきた。
インド領カシミールでも、パキスタンが支援するイスラム系テロが長年頻発している。パキスタンの思惑は、とにかくインドがカシミールを“占領”しているというイメージを世界中に植え付け、カシミール全域を支配したいのだ。
美しいリゾート地でテロが行われたワケ
今回のテロ事件は、カシミールのリゾート地・パハルガムで起きた。筆者はパハルガムを訪れたこともあるが、自然に囲まれた美しいリゾート地であり、そこでインド人を狙ったテロが起きたことは衝撃である。イスラム系テロ組織「ラシュカレ・タイバ(LeT)」が関与しているとされ、リゾート地でテロを起こして世界に衝撃を与えることが、こうしたテロ組織の目的の1つでもある。ラシュカレ・タイバは、1990年頃に設立され、パキスタン軍の諜報機関「軍統合情報局(ISI)」から支援を受けているテロ組織と分析されている。パキスタンはラシュカレ・タイバを、カシミール紛争で戦う武装勢力のコントロールや、カシミールのインド統治を混乱させるための「戦闘部隊」として使ってきたとされる。
ラシュカレ・タイバは、2008年にインドのムンバイでも大規模なムンバイ同時多発テロ
を実施し、日本人1人を含む166人を殺害している。映画『ホテル・ムンバイ』で扱われた事件だ。
「政府の言われるまま動くだけでなく……」
筆者が以前取材したインドのインテリジェンス機関である「インド情報局(IB)」のマロイ・ダール元局長は、パキスタン政府とラシュカレ・タイバについてこう述べていた。「ラシュカレ・タイバはパキスタン政府が最も信頼する外部の武装組織だ。だがそれだけではない。彼らは政府の言われるまま動くだけでなく、インドによるカシミールの統治に対して戦うという自分たちの強い信念も持っている」
この事件が、これから核戦争につながる可能性を指摘する物騒な声もあるが、筆者はこれまでの数々のテロ事件などを鑑みると、そこまでの事態には悪化しないのではないかと見ている。ただそれでも、両政府がけん制し合っている今はまだ楽観視はできない。今後の動きに注目だ。
この記事の筆者:山田 敏弘
ジャーナリスト、研究者。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版に勤務後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)でフェローを経てフリーに。 国際情勢や社会問題、サイバー安全保障を中心に国内外で取材・執筆を行い、訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)、『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)、『サイバー戦争の今』(KKベストセラーズ)、『世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス』(講談社+α新書)。近著に『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』(文春新書)がある。
X(旧Twitter): @yamadajour、公式YouTube「スパイチャンネル」
(文:山田 敏弘)