石坂浩二さん、封印していた空襲体験語る…「幼すぎたのでこれまで遠慮してきましたが」

2025年5月26日(月)14時0分 読売新聞

空襲体験を語る石坂さん(3月19日、横浜市で)=和田康司撮影

 1945年3月10日に下町が焼け野原となった東京大空襲の後、山の手空襲を含めて東京は繰り返し空襲に見舞われた。現在の田園調布(東京都大田区)で育った俳優の石坂浩二さん(83)は、空襲を体験した一人だ。当時3歳。「幼すぎて記憶が鮮明でないところがあり、これまでは語るのは遠慮していた」という。それでも最近は体験を話すようにしている。その思いを聞いた。(聞き手・江原桂都)

 41年に、銀座で生まれ、まもなく家族で引っ越したのが田園調布でした。祖母と叔母、両親、二つ下の妹と暮らしていました。

 物心ついて最初の記憶は、やはり戦争の怖さです。44年末頃から、大きな地響きとともに近所に爆弾が落ち、警報が鳴って防空ごうに避難する回数が増えました。

 鮮明に覚えているのは、空襲のことです。確か45年4月でした。日が沈んでから、「ヒュー」と外で音が聞こえてきて。焼夷しょうい弾が落ちるのが見えました。

 私と妹は、祖母に連れられて、自宅横の小川を渡った先にある広めの畑に逃げました。すると、周りに火の手がブワッと広がって。オレンジ色の火の粉がたくさん降りかかってきました。家が次々に燃えると赤い大きな炎になって。段々透けて柱だけ見えてくるんです。すごく怖かったですね。空襲前によく遊んでいた友達も亡くなりました。

 怖い記憶ははっきり覚えていますが、私は幼かったので、明確ではないところも多く、これまで語るのは遠慮してきました。

 ただ、我々世代も含めて、戦争や空襲を知る世代が減って、いずれ知る人がいなくなってしまう。それがとても心配です。予期できない天災と違って戦争は防ぐことができます。戦争をしないようにする努力をしましょうと、少しでも空襲を体験した者として伝えたいです。

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