「私より30倍も高いんだ…」ニュース番組に出演した森永卓郎が衝撃を受けた"超高額ギャラ"の共演者の名前
2025年3月6日(木)16時15分 プレジデント社
マイケル・ムーア監督の最新作「キャピタリズム」(CAPITALISM: A Love Story)の来日会見前にあいさつする経済アナリストの森永卓郎さん。字幕監修を担当した(2009年11月30日、東京都中央区の東証) - 写真=時事通信フォト
写真=時事通信フォト
マイケル・ムーア監督の最新作「キャピタリズム」(CAPITALISM: A Love Story)の来日会見前にあいさつする経済アナリストの森永卓郎さん。字幕監修を担当した(2009年11月30日、東京都中央区の東証) - 写真=時事通信フォト
■新聞記者だった父との思い出
私の父は、毎日新聞の新聞記者だった。だから、私は子供のころから父に資料を届けるといった雑用を通じて、毎日新聞本社に出入りをしていた。そのときの経験から、私のなかには、こんなジャーナリストのイメージが焼き付いている。
マスメディアは、1年365日年中無休の24時間操業で、夜討ち朝駆けの取材活動を続ける。その目的は、利権や癒着や腐敗といった権力の暴走を監視するためだ。そのため、ジャーナリストはプライベートを捨て、マスメディアには正義を守るための空気が満ち溢れている。
実際、私が訪れたときの毎日新聞社は、休日でも、どんな時間帯でも記者たちが忙しく動き回っていて、記事を書く記者たちが吐き出すタバコの煙が充満していた。
ところが、最近の新聞社は、ガラリとその姿を変えてしまった。土休日には正面玄関が閉じられ、なかで働く人もとても少ない。喧噪も、タバコの煙もなくなり、まるで一流企業のオフィスのような感じになっているのだ。それは、新聞社だけでなく、テレビ局でもまったく同じだ。
■ジャーナリストの「小市民化」
一体何が起きているのか。私は、財務省や首相官邸の圧力に屈したジャーナリストたちが、それまで抱えてきたジャーナリスト魂を捨て、自らのプライベートを優先するという「小市民化」が起きているのだと考えている。
実は、いつの間にか大手メディアの社員は、世間と比べて大変な高給取りになってしまった。新聞なんて儲からないと思われるかもしれない。確かに購読料だけをみればそうだが、新聞には広告が掲載される。景気がよかった時期には、全面広告一つで1000万円を超える大きな広告収入が得られた。テレビの場合はもっと極端で、キー局で15秒のCMを1回流すだけで、100万円を超える放映収入が得られた。しかも、地上波の民間放送局は5局しかないから、価格競争が働きにくい。その結果、地上波各局には潤沢な資金が流入し、制作費も豊かだった。私がニュースステーションのコメンテータをしていた2000年代前半、ニュースステーションの一日当たりの制作費は6000万円とも言われた。本当かどうかは分からないが、現場が巨額の予算を持っていたことは事実だ。
■「このクレーンのギャラはいくらですか」
例えば、ニュースステーションの名物コーナーに「桜中継」があった。全国各地の桜を様々な演出でテレビ鑑賞するコーナーなのだが、上空からの映像を撮影するために40メートルクレーンが持ち込まれた。当時は、ドローンがなかったので、それしか方法がなかったのだ。私は、「このクレーンのギャラはいくらですか」とディレクターに尋ねた。ギャラは100万円だった。なぜ、その金額が記憶に残っているのかというと、当時の私のギャラが3万円だったからだ。クレーンのほうが、コメンテータより30倍も高いんだと思ったのだ。もちろん、いまから振り返ると、私のギャラが法外に安かったのだ。いわゆる文化人価格というものだ。
■「フジテレビの内定を取ったら生涯年収8億円確定」
もう一つ、事例を挙げると、ある日、突然、夜から福島でロケがあるから、来てくれないかという連絡がディレクターからきた。当日、私は新潟で講演の仕事をしていた。新潟と福島は東北地域同士で近いように感じるかもしれないが、片や上越新幹線、片や東北新幹線で、直通の新幹線がない。大宮まで戻って、乗り換えないといけないのだ。時刻表を調べると、残念ながら福島への終電が間に合わないことが分かった。そのことをディレクターに告げると、「新幹線がないなら、タクシーで来てくれ」と言われた。私は磐越自動車道をタクシーで走り続けて、ロケに間に合った。ただ、とてつもないタクシー代がかかったことは、間違いない。
そうしたテレビ局の持つ潤沢な資金は、当然のこととして、テレビ局の局員の処遇にも反映される。バブル期には「フジテレビの内定を取ったら生涯年収8億円確定」と言われた。一般サラリーマンの3倍だ。そうした高処遇は、テレビ業界が冬の時代に入って、現在は少しずつ修正されつつあるが、テレビ局の局員が、いまでもかなりの高処遇を受けていることは事実だ。統計があるわけではないので、正確ではないのだが、私が数人の40歳台後半のテレビ局社員に年収を聞いたら、1500万円程度という答えだった。世間の給与水準を大きく上回っているのだ。
フジテレビ本社ビル(写真=Kakidai/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
■テレビ局員にとって「コスパのよい」決断
一方で、テレビ局員の仕事は、つぶしが利かない。転職したら、そうした高処遇を放棄しなければならないのだ。実際、ニュースステーションの終了後、仕事を失ったディレクターには、厳しい末路が待っていた。例えば、講演会で出かけた地方都市で、ニュースステーションの制作をしていたディレクターにばったり出会った。地方自治体や中小企業のPR動画を作っていると彼は言った。その手には、小さなデジタルカメラと華奢な三脚が携えられていた。
そうした現実を前提に、テレビ局の社員の立場にたって、どのような判断をするのかを考えて欲しい。一番、コストパフォーマンスのよい決断は、「保身」を図ることだ。財務省や政権やスポンサーに盾突くようなコメンテータは使わない。番組も財務省や政権やスポンサーの意向に沿ったものにする。少なくとも意向に反する番組は、作らない。そうすれば財務省や政府からの圧力を避けることができるし、視聴者や世間からのバッシングも避けられる。
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32
■制作費削減で余裕がない現場の「本音」
韓流ブームのとき、来日した韓流スターの歯が真っ白できれいに並んでいることが、情報番組で話題になった。そのとき、コメンテータとして出演していた私はこうコメントした。「そうは言いますが、○○さんは、差し歯なんじゃないんですか」。隣にいたコメンテータが即座に「そんなことはないわよ」と全否定してくれたのだが、直後からテレビ局には抗議の電話が殺到して回線がパンクした。私は、かなり信頼できる筋からの情報に基づいて発言をしたのだが、それが正しいかどうかは問題ではなかった。私の不規則発言を収拾するために、多くのスタッフがかかりきりになってしまったからだ。ただでさえ、制作費の削減で現場に余裕がないなかで、余計な仕事を増やしてほしくないというのが、現場の「本音」なのだ。
そうした本音は、番組に形式主義をもたらす。例えば、最近は、情報番組で自殺の話題を採り上げた後、必ず「一人で悩まず、いのちの電話などの相談窓口に電話してください」といったコメントが入り、連絡先が表示される。私は自殺の連鎖を防ぐためのカウンセリングは重要だと思う。問題なのは、テレビ局が形式的に「相談窓口に連絡してください」という定型文を付加しておけば、自分たちが免責されると考えていることだ。そうでなければ、いつも同じコメントが繰り返されることはない。自殺は、それぞれの背景が一つずつ異なり、連鎖を招かないようにする手法も、それぞれ違うからだ。
■コメンテータに求められるのは「触れない」こと
森永卓郎『発言禁止 誰も書かなかったメディアの闇』(実業之日本社)
それは、差別の問題を避けるという報道姿勢にも通じている。日本には、アイヌの差別とか、部落差別の問題がいまだに残されている。本来なら、そうした差別がどのような背景から生まれ、どのような被害をもたらし、その被害を解決するためにはどうしたらよいのかをきちんと検証、報道することがメディアの役割のはずだ。ところが、現在行われているのは、そうした繊細な問題を徹底的に避けるという番組作りなのだ。当然、コメンテータに求められることは、「触れない」ということに尽きる。
大手メディアがセーフティー・ファースト、つまり事なかれ主義に陥ることの最大の問題は、番組がつまらなくなるということだ。若者のテレビ離れがしばしば話題になる。その原因は、インターネットに市場を奪われたためだと言われる。確かにその影響は大きいだろう。しかし、もう一つの原因は、テレビが本当のことを言わなくなったために、番組自体がつまらなくなってしまったことだろう。どの番組をみても、企業とタイアップした食品をタレントたちが「これすごくおいしい〜」と歓声をあげる。どこからも文句を言われない、何の棘もない番組を一日中垂れ流していたら、視聴者に見捨てられてしまって、当然なのだ。
----------
森永 卓郎(もりなが・たくろう)
経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
----------
(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)