「うまくいかない時間が人生を変える」元ピクサーエンジニアと大学教授が語る“失敗のすすめ”
2025年5月27日(火)6時5分 ダイヤモンドオンライン
「うまくいかない時間が人生を変える」元ピクサーエンジニアと大学教授が語る“失敗のすすめ”
なぜ若者たちは「落とし所」を探すのか——。2025年2月に刊行された『ファイナンス学者の思考法』で話題の著者、大阪公立大学大学院経営学研究科・商学部教授、昭和女子大学グローバルビジネス学部客員教授の宮川壽夫氏が、プログラマーとして日本人で初めてのピクサー・アニメーション・スタジオ(アメリカ)での勤務経験を持つ株式会社ポリフォニー・デジタルのシニアマネージャーの手島孝人さんと対談しました。お二人は、筑波大学社会人大学院時代の同級生。ファイナンスとクリエイティブ、それぞれの分野で活躍してきたからこそ見えてきた、仕事の進め方や組織のあり方について語り合います。第2回では、失敗を恐れる際に陥りがちな思考の罠と、新しいおもしろさを生み出す「探索」について意見を交わします。(第2回/全4回)(進行/ダイヤモンド社・横田大樹、森遥香 構成/水沢環)
Photo: Adobe Stock
「落とし所」を探す若者たち
手島孝人(てじま・たかひと)京都大学工学部卒・筑波大学ビジネス科学研究科修了。1996年より(株)ナムコCG開発部、(株)ポリフォニー・デジタル、ピクサー・アニメーションスタジオ(カリフォルニア)にてゲームや映画のCG制作パイプライン、ツール開発などに従事する、コンピュータグラフィックス専門のソフトウェアエンジニア。
手島孝人(以下、手島):今日、宮川先生にひとつ聞きたかったことがあるんですよ。最近、多くの日本の会社でインターンの学生を受け入れていて、ゲーム会社にもかなり優秀な大学の学生たちが来てくれています。良い成果を出して満足してもらえたり、実際に入社してくれる人もいて、上手く機能していると思うんですが……。
僕は、インターン本人も、指導する側も、なんだか「落とし所」を過剰に考えがちな雰囲気が気になっているんですよね。
——「落とし所」というのは?
手島:自分がこれからやろうとしていることに対して、「どのあたりまで行けたらこれは合格ラインなんだろうか」と考えているというか。何かタスクに取り組む際、事前に着地点が見えないと不安なんでしょうね。
宮川先生はまさに対面で学生と向き合っていらっしゃるじゃないですか。学生たちから、そんな傾向を感じませんか? たとえば、「このテーマで卒論になるのか」みたいな落とし所の不安を口にしたり……。
宮川壽夫(みやがわ・ひさお)大阪公立大学大学院経営学研究科・商学部教授 昭和女子大学グローバルビジネス学部客員教授
宮川壽夫(以下、宮川):手島くんがおっしゃりたいこと非常によくわかります。本書でも似たようなことを書いたけど、原野に立たされて「どこへでも好きな場所に行っていいんだよ」と言われるのは苦手。目の前に誰かが敷いたレールがあって、駅が見えていると安心する。
手島:そう、それです。間違った方向に進んだらまずいと最初に思い過ぎるのかな。
宮川:多かれ少なかれ若いころはだれでもある程度そうだとは思うんですが、今の学生はとくに失敗や無駄足を恐れる傾向があるように思います。最初から「卒論はこういうふうに書かなきゃいけない」という勝手な思い込みにとらわれ過ぎて、そのゴールに向かって無駄や失敗を犯さず、できる限り最短距離で効率的に到達しなきゃいけないと強く思っている気がします。そういう強迫観念で研究なんてしたら苦しいばかりで楽しくない。僕は毎年学生にこう言うんです。「さすがに書き上げた卒論の出来が悪かったからといって落とす(不合格)なんて勇気は私にはないよ(笑)。だから安心してほしい。もっとも大切なことは楽しんで卒論を書くこと、研究って楽しいなあって感じること。それに気づいて卒業していってほしい」と。
手島:うん、うん。
宮川:僕はとにかく行きつく場所じゃなくてそこに至るまでにどんなプロセスを経験したかを大事にしたいんです。うちのゼミは、グループ研究やディベートなどの学生コンテストにも出ているんだけど、それだって優勝するとか、賞をもらうとか、結果はどうでもいい。卒論でもコンテストでも、そのプロセスで何を学んだかが大事なんですよね。学生にはいつもそんな話をしています。
トライアンドエラーを繰り返しランダムに探索する
手島:まさにそう。その「プロセスを楽しむマインド」が今かなり失われてきてるのかなという心配がすこしあって。僕は大学生の頃から、コンピュータクラブに入って、CG制作をしていたんです。熱心なメンバーが集まっていて、それこそ「ピクサーと同じようなCGをつくるぞ」と意気込んで勉強していました。学生ですから、技術は未熟だったけど、とにかく「何でも良いからやってみようよ!」みたいなチャレンジを楽しむ空気があったんです。
だからこそ、僕は専攻していた化学の世界ではなく、まったく畑違いのゲーム業界へ就職しようと思えた。当時、日本のアーケードゲームのCGは世界一でしたから、ナムコに入れば最高の仕事ができると考えたんです。実際にゲーム業界・エンタメ業界で働く間も、ずっとチャレンジの連続でした。
一方、今は「ゲーム業界は人気だから」「儲かるらしいから」と落とし所を探すようにして入ってくる人も多いらしいんですよ。でも、そんな意気込みで良いゲームがつくれるのかな、って思う。
——その姿勢でゲームをつくるのは難しいのでしょうか?
手島:はい。だって、ゲームをつくるプロセスって根本的にトライアンドエラーでしかないんです。ゲームって、いつも「新しいおもしろさ」をつくっているから、「これまでのおもしろさを理詰めで発展させていっただけじゃ届かないところ」に到達する必要がある。言い換えれば、新しいおもしろさは、ドンッとジャンプした先にしかないんですよ。
それを見つけるためには、何らかの理屈を元に「ここを探索してみよう」と考えるんじゃなくて、もっと無数のランダムな探索が必要なんですよね。つまり落とし所を探して、結果の見えた作業をしていてもゲームはつくれません。
宮川:勇気がいるよね、そのジャンプって。
手島:勇気がいる。しかも、ランダムな探索なんて、だいたいは死ぬ(失敗する)んですよ。一般的には「動かないと(チャレンジしないと)死ぬ」と言うこともありますけど、動くとまあ死ぬ(笑)。でも、無限にジャンプをくり返していたら、ごく稀に死なないことがある。
もちろん、さっき(第1回)先生が言っていた「ひらめき」みたいに、早い段階でセンスの良い探索をピックアップできる人もいると思いますが、基本的に大事なのはとにかくたくさんトライすること。それが結果的に“センス”のベースラインにもなるんじゃないかと思うんです。
宮川:さっき話していたような「経験」の部分ができていくわけですよね。
手島:はい。先生の本の中では進化論の「自然選択」にも触れられていましたけど、きっと人類や自然界もそんなランダムの探索が無数にあって、生き残ったものが事後的に「自然選択」されたんだと僕は解釈しています。
つまり、自然界でもゲーム制作でも、発展するためには一定の幅で無茶をしていかないといけないんじゃないか、我々はそういう宿命なんじゃないか。そんな世界観が僕の中にあるんです。
だから、少なくとも僕が一緒に働くチームのメンバーには「ランダムな探索」を薦めたいと思っています。「死んでも骨は拾ってやるから、自分の思い通り挑戦してみろよ」と背中を押せる先輩になりたいんですよね。
宮川:なるほどね。一見無駄に見える探索を歓迎して最後はしっかり責任をとってくれる上司とか、ミスを許容する仕組みはすごく大事ですよね。こう言うと年寄くさいけど、昔はそういうのが結構あったような気がする。