「マディソン郡の橋」から村田沙耶香「世界99」へ……人気作品に映る30年の恋愛観観の変化
2025年5月2日(金)14時31分 読売新聞
映画も人気だった「マディソン郡の橋」(c)1995 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.(U-NEXTで配信中)
1995年を読む<下>…大人の純愛人気 世代超え
40代半ばの農家の主婦と、50代を迎えた写真家の男性。アイオワ州の片田舎で出会った2人は恋に落ち、永遠の4日間を送る。1995年、R・J・ウォラーの大人の恋愛小説『マディソン郡の橋』(文芸春秋)の人気が続いていた。
刊行は、その2年前だ。「あれほど売れるとは自分でも驚いた」と、訳者の村松潔さん(78)は振り返る。
「文芸春秋の八十五年」によると、当初は題名などが地味だとの声もあった。営業部員らが内容に感動して発売前からPRに努め、初版8000部から1万3000部に積み増された。
「究極の純愛」。多くのメディアで取り上げられ、話題を呼んだ。1日に200部売った書店や、ゆかりの地を行くツアーを企画する旅行会社も現れた。95年、ついにクリント・イーストウッド監督の映画が公開された。部数は現在、計271万8000部に達する。
この年のトーハンのベストセラー単行本・文芸部門で、同作は8位に入った。
9位は、北川悦吏子『愛していると言ってくれ』だった。聴覚障害者の画家と女性との
当時、戦後すぐ誕生した団塊世代(1947〜49年生まれ)は『マディソン郡の橋』の登場人物と年が近く、40代後半だった。子どもにあたる団塊ジュニア世代(71〜74年生まれ)は20代に差し掛かっていた。男女が愛で結ばれること。家や障害などの壁を乗り越えて愛を貫くこと。それらについて親も子の世代も、今より関心が高かったように映る。
一方で、同作には意外なセリフがある。主人公の男性は、コンピューターやロボットが増えて生き物らしさを失う人間の未来を悲観するように女性に語った。
<要するに、人間はもう必要ではないんです。人類が生き延びるためには、ただ精子銀行さえあれば済む(略)セックスなどやめてしまって、子孫は科学でつくることにしても、ほとんど失うものはないはずです>
あれから30年。フィクションの世界で紡ぎ出されているのは、恋愛どころか、性も愛も人間界から遠く、排除された世界だ。今月5日、作家の村田沙耶香さん(45)は長編『世界99』(上下巻、集英社)を刊行した。
周囲の環境に応じてキャラクターを変えながら生きる<空子>の物語だ。彼女が大人になった世界では、妊娠や出産、家事も、生身の女性に代わり、「ピョコルン」が担ってくれる。
著者は、既存の家族制度や性愛の形とは異なる人間の生のあり方を繰り返し書いてきた。14日の読者イベントに登場し、「ハッピーな『繁殖』を小説の中で構築できる気がしない。多分自分の中によほど
次々と波紋を描くように空子の言葉は若い世代に広がっている。(待田晋哉)
恋愛 描きにくさ実感
カメラマンの男性と染織家の女性を主人公にした『野生の風』などの作品を1995年に執筆した村山由佳さん(60)=写真=は、「当時から恋愛小説は書きにくくなり始めていた」と語る。
恋愛は、会いたいのに会えないから盛り上がります。様々な秘密を抱えた関係もあるでしょう。でもこの頃、携帯電話をはじめ文明の利器が少しずつ広まり、それらが描きにくくなることを感じていました。
一方で、この年は地下鉄サリン事件が起きた。少し前の89年に、ベルリンの壁が崩壊しました。目の前にあるものは、いつでも壊れてしまうといった感覚が体の中にあった。何を信じるのか突き詰めると、結局自分の中にしかない。そんな気持ちが、一層恋愛を書くことに向かわせました。
現代は他人と関わることを面倒に思う人が増えています。でも、それで生の実感が得られるでしょうか。古い価値観であっても、私は死ぬときに、「ありがとう」と「ごめんなさい」を言いたい人が、たくさんいるといいなと思っています。