挑戦者は辛抱に辛抱を重ねていたが…藤井聡太名人の“絶妙手”に控室の棋士たちは「これはしびれた」という顔になった
2025年5月17日(土)8時0分 文春オンライン
藤井聡太名人に永瀬拓矢九段が挑戦する第83期名人戦(主催:毎日新聞社・朝日新聞社・日本将棋連盟、協賛:大和証券グループ)七番勝負は、藤井が連勝して第3局を迎えた。舞台は大阪府泉佐野市「ホテル日航関西空港」ジェットストリーム特設会場。2局続けて空港での対局だ。

クラシカルな戦型に令和の思想も取り入れる藤井
後手の藤井は2手目で角道を開ける。おっ、今年3月の王将戦第5局に続いて藤井にとって棋士人生2度目の△3四歩だ。そして細かな工夫をする。
王将戦ではすぐに△4三銀と上がって雁木を表明したが、本局では4三のマス目を空けたまま手を進める。先手側は雁木に対しては▲4六銀の早繰り銀が、矢倉には5六銀型からの右四間飛車が有力策とされている。そこで後出しで良い形をつくるといういわば「後出しジャンケン」だ。
永瀬が3七に銀を上がったのを見て、藤井は矢倉を選び、永瀬も矢倉に組んで、相矢倉に。クラシカルな戦型となったが、藤井は令和の思想も取り入れる。居玉のまま9筋の歩を突いたのがアクセント。もし端を突き越せば、玉を中住まいか右玉にするつもりだ。永瀬が端を受けたので藤井は玉を左に移動させた。
永瀬が3筋の歩を交換させれば藤井は4筋の位を取り、角を上がって対抗する。部分的には古くからある定跡だ。そうだ中原誠十六世名人ー谷川浩司十七世名人の名人戦で似たような手順があったなと調べてみると、なんと40年前(1985年第43期名人戦第5局)だった。
永瀬が4筋に飛車を回って、戦端が開かれたところで封じ手に。
「セリフも多いうえ、わざと噛んで読まなくてはいけないので…」
2日目、私は朝9時前のフライトで羽田空港から関西空港に向かった。機内ではネットが使えないので、着陸してすぐに携帯中継を見ると、「えっ、千日手?」「えっ、永瀬が打開した!?」。いったい何が起きたんだ、と思わず声を上げそうになる。会場のホテルは、空港から直結だ。
控室では、立会人の福崎文吾九段、副立会人の豊島将之九段(朝日新聞)と稲葉陽八段(毎日新聞)、毎日新聞の観戦記担当の藤原直哉七段ら関係者にあいさつした。
豊島には、ネットで話題になった佐藤紳哉七段と出演した日清のどん兵衛CMについて聞く。
「私はすぐに収録を終えて先に帰ったのですが、佐藤さんはセリフも多いうえ、わざと噛んで読まなくてはいけないので、とても大変だったそうです。撮影が一日がかりだったとか……。
それにしても、もう(NHK杯の豊島—佐藤戦は)13年前なんですね」
私が豊島とC級1組順位戦で対戦したのは、東日本大震災の日で14年前だ。時が経つのは早い。
現地解説会にも力が入る泉佐野市
現地解説会は朝10時に始まっている。会場をのぞくと定員500名で朝から満員だった。解説の大橋貴洸七段、出口若武六段、聞き手の加藤桃子女流四段と意見を交わす。中央を押さえた藤井が指しやすそうで皆の意見は一致した。そして永瀬がなぜ千日手を打開したかという話題になり、皆で推理し合う。
西川和宏六段と和田あき女流二段も控室に。サテライト会場の解説と聞き手だという。せっかくなので2人に同行し、車でサテライト会場になっている「エブノ泉の森ホール」に。空港から本州までの橋だけで3750メートルもあり、20分ほどかかるという。車中で泉佐野市の職員に色々と話をうかがった。
今回の泉佐野市の力の入れ方はすごく、名人戦の宣伝のために、両対局者の等身大のパネルを7セット!も作ったそうだ。ホテルだけでなく、関西空港駅などあちこちに設置して名人戦をアピールしている。「パネルはこの後、第4局の(大分県)宇佐市に貸し出すんですよ」とのこと。
西川和宏六段による永瀬との「千日手」エピソード
午後1時に解説会が始まる。会場は大きくて素晴らしいホールで、巨大スクリーンに盤面と対局者の様子も映し出していて、とても見やすい。泉佐野市民はなんと無料だという。泉佐野市がどれだけ力を入れているかわかるだろう。
西川の解説はゆっくり丁寧でわかりやすい。そして、永瀬とのエピソードを披露してくれた。
「永瀬さんとは10年以上前に順位戦で対戦しまして(2014年C級2組)、2回続けて千日手になりました。2度目の指し直しが午前0時過ぎに始まったんですが、開始のときの挨拶が朝10時とまったく変わらないんです。終わったのは午前4時40分で、私が負けたんですが。感想戦でも永瀬さんは元気で、5時半までやったんです。永瀬さんの体力はすごいです」
豊島の兄弟子、矢倉規広七段も会場に現れた。泉佐野市出身かつ在住で、会場までは自転車で来たそうだ。この後、矢倉は現地控室にも顔を出し、両方の解説会場でもゲスト解説をした。
観覧していたお客さんによると、「名字は『矢倉』ですが、振り飛車党なので矢倉はわかりません」と笑いをとっていたそうで、名字だけでウケるのはずるいなあ。
辛抱を重ねていた永瀬がようやく反撃
私も少し出演してから控室に戻って形勢を聞くと、差が広がり始めているという。序盤の9筋の突き合いを活かし、藤井が9筋の端攻めをしたのがうまかったとのこと。藤井は金銀3枚の矢倉を完成させて玉が入城しているのに対し、永瀬玉が9筋も5筋も凹まされていて不安定だ。藤井が5五銀・6四角の2枚で中央を制圧しているので、反撃もしにくい。
加藤が深刻そうな顔で盤面を見つめている。加藤は永瀬と同じ安恵照剛門下の妹弟子だ。「第1局も第2局も兄弟子は良い将棋を指していました。あれだけ努力しているのだから報われてほしい」と、祈るような顔をしていた。
藤井が5筋に飛車を回ったところで、永瀬は4筋に歩を打った。ここまで辛抱に辛抱を重ねていたが、73手目にしてようやく反撃だ。だが、これが裏目に出る。
藤井が敵陣深くに歩を垂らしたのが絶妙のタイミング。次の歩成りが受からない。刀を振り下ろそうとした瞬間に小手を打たれてしまった。棋士全員が「これはしびれた」という顔になる。大橋が「勝負手だから仕方ないですよね」と言えば、稲葉が「ずっと辛抱していたのですが、こらえきれなくなったんでしょう」と永瀬の心境を慮った。
夕休憩、おにぎり3個の藤井にボリュームあるカレーを頼んだ永瀬
稲葉が「希望を見ましょう、希望を」と言って、永瀬側の手段を考える。粘り強さでは将棋界随一の稲葉だけあって、あの手この手をひねり出す。豊島も「こういう勝負術があるんですか」とにこやかに笑いながら稲葉の手に感心する。仲がいい2人だ。
永瀬は7三の桂を狙って7筋の歩を突き、藤井が歩を成った局面で夕休憩に。藤井がおにぎり3個に対し、永瀬が「泉州産の野菜とミルキークイーン犬鳴ポーク炙りの鶏キーマカレー」と、今回もボリュームのあるメニューを頼んだ。副立会人の豊島と稲葉も名人戦の経験がある。2人に2日目夕休憩の夜食について聞くと、そろって「サンドイッチかおにぎりの軽食で大丈夫でした」との答え。
写真=勝又清和
〈 それでも永瀬拓矢の心は折れない。先輩棋士が「よっぽど2人は認め合っているんですねえ…」としみじみ漏らした理由とは 〉へ続く
(勝又 清和)
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