デジタル化の恩恵を受ける裁判官。しかし肝心なところはAIに頼れそうになく…元判事が警告<裁判におけるデジタル化の危険性>
2025年4月10日(木)6時30分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
2009年に裁判員制度が始まり、以前よりは裁判が身近になったとはいえ「自分には関係ない」と思っている方も多いのではないでしょうか。そのようななか、令和6年に再審無罪が確定した袴田巌さんの事件を例にあげ、「日本国民であるあなたは、捜査官が捏造した証拠に基づき死刑を執行される危険性を日々抱えたまま生きている現実を知らなければなりません」と語るのは、元判事で弁護士の井上薫さん。そこで今回は井上さんの著書『裁判官の正体-最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』から一部引用、再編集してお届けします。
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デジタル化の功罪
最近、デジタル化が進行してパソコンで処理することが増えました。仕事の種類にかかわらず、実際やっていることはパソコンをいじっているだけということが多くなりましたが、裁判もそうです。
法廷でされることを全部デジタル化するということは今のところできていませんが、ここまでデジタル化が進展してくるとどうなるか分かりません。
法廷外の仕事のうち法律や判例を調べるという分野が、最もデジタル化が進んでいるかと思います。条件を入れて判例を見たいとパソコンに聞けば、こういうのがありますとたくさん出てきます。条件を絞って数件くらい実際の判決を読んでみるかというようなことが行われています。デジタル化によって非常に作業が早くなりました。
それがない場合は、判例集という紙でできている本を読んでそれで判例の中身を理解したわけです。ただ、判例というのも膨大な量になっていますので、肝心の要点が載っているところに到達するのにかなり時間がかかります。特にあまり有名でない判例を調べる場合などはそれを手に入れるだけでもかなり時間がかかっていました。そういうことを考えると、デジタル化はプラスの面があります。
デジタル化の危険性
ただ、デジタル化の危険性というのもあるんですね。
判例というのも、具体的な事件の結果なのです。だから、具体的事件のいろいろな要素を取り込んだ結果、その判決が出たのです。いろいろな要素を知るためには判決理由に出ている細かな事実を読んでみないとわかりません。
たとえば同じ殺人罪といっても千差万別。刑も一番重ければ死刑だし、軽い場合には懲役刑の執行猶予になったりという例もありました。なぜ同じ殺人罪でそんなに刑に違いがあるんだろうかと疑い、具体的な細かな事情を確認しながら判決理由を読まなければ、コトの本質はわからないのです。単に殺人罪でこういう刑が出たというだけではダメ。となると結構細かな事情が必要なのです。
ところがデジタル化が進んでしまうと、細かな事情は省略されてしまい、骨というか肝心と思われる部分だけをキーワードとして使い検索が終わっちゃったというふうになってしまうと、大きな危険があるんです。特殊な事情があったからこそその判決が出たという、そういう具体的な事情が読まれなくなるという危険があります。
肝心なところはAIなどには頼れない
端的にいうと判例の不当な一般化の危険です。
その判決が出たその事件限りの具体的事情をインプットしないで結論だけ覚えるみたいな受験生気分で裁判をすることはとても危険なのです。
(写真提供:Photo AC)
ですから、デジタル化が進行したから楽でいいわとばかりはいっていられないところです。裁判というのも結局デジタル化できないで、人間の手作業というか、人間の頭で考えて工夫するという部分がかなり残ってしまうんだろうと思います。
弁護士の仕事も裁判官の仕事もそうですが、デジタル化の恩恵は受けているものの、一番肝心なところはAIなどには頼れない。やや時代遅れ的な人手に頼るみたいな部分がかなり残されているように思います。
判決内容まで統制される危険
世の中全体がデジタル化して右から左へ流れ作業でいくような世の中になりつつありますが、その中で、裁判という仕事はデジタル化がしにくい分野だろうと思っています。
最近よく耳にする人工知能を使って細かな条件までインプットすると判決の結論と理由まで考えてくれる時代が到来するのでしょうか?
ただ、人工知能が集積した過去のデータの範囲内で結論を出すのならば、画期的判決は無理かなとも思えます。保守的思考の人は、画期的判決が出ないようにデジタル化に邁進するのでしょうか?
デジタル化という社会の趨勢に流されるふりをして、判決内容まで統制される危険は常に把握する必要がありますね。
※本稿は、『裁判官の正体-最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
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