博多っ子たちの心の拠り所・櫛田神社、「博多どんたく」「博多おくんち」…いくつもの華やかな祭の中心地

2025年5月4日(日)6時0分 JBpress

(吉田さらさ・ライター)


通称「お櫛田さま」

 福岡市を中心とする九州北部には古くから信仰を集めてきた由緒ある神社が多い。今回はその中のひとつ、博多総鎮守の櫛田神社をご紹介しよう。

 ここでまず知っておきたいのは、博多は福岡市の別名ではなく、福岡市の中の一地域であるということだ。歴史的に見れば、福岡は黒田長政によって開かれた城下町であり、博多はそれとは別に商人の町として古くから発展してきた地域であった。明治初頭にこの福岡と博多が合併して福岡市になったという経緯なので博多=福岡市ではないし、かと言って博多と福岡市は別の街というわけでもない。

 そしてさらにややこしいことに新幹線が停まるJRの駅は「博多駅」だ。福岡市の玄関口なのになぜ福岡駅ではないのか。実は二つの地域が合併して市の名称を福岡市と決める際に博多地域の住民が大反対し、それをなだめるために駅名を「博多」にしたと言われている。

 それは一説であり真偽のほどはわからないのだが、博多の住民たちが、長年守り伝えて来た自分たちの文化に強い誇りを抱く人々であることは確かである。そしてそんな彼らの心の拠り所となるのがこの櫛田神社、通称「お櫛田さま」だ。JR博多駅から徒歩15分ほど。古くから現在に至るまで「博多」と呼ばれてきた市街地にあり、風格ある楼門が存在感を放っている。

 この神社には珍しい見どころが数々ある。まず楼門をくぐる際に上を見ると、天井から珍しい干支恵方盤が吊るされている。内側には東西南北の方位が示され、外側には十二支の彫刻が施されており、真ん中にある矢印がその年の恵方を指している。毎年大晦日にこの矢印を回して、新しい年の恵方を指すようにするのだとか。

 楼門をくぐった左手には、櫛田の銀杏(ぎなん)と呼ばれるご神木の大イチョウがあり、その下に「蒙古軍の碇石」が二つある。これは博多湾に襲来した蒙古軍が碇として使った石とされている。

 拝殿の右側にある霊泉鶴の井戸も見逃せない。本殿の真下から湧き出す水で、自分、家族、親類縁者の不老長寿を念じながら飲むとご利益があるとされている。しかし残念ながら、現在は飲用が禁止されている。この水には塩分が含まれており、以前飲んだ人によれば、かなり塩辛かったそうだ。

 そしていよいよ拝殿の前に立つ。立派な唐破風の左右には、貴重な風神、雷神の彫刻がある。向かって左が雷神、右が風神。風神はなぜか雷神にあっかんべーをしながら逃げて行くユニークなポーズだ。


京都の祇園祭と深くかかわる「祇園山笠」

 拝殿の奥の本殿は三つに分かれ、正殿には大幡主命、左殿には天照大御神、右殿には須佐之男命が祀られている。大幡主命(別名大若子命)はあまり聞きなれない名だが、天照大御神の御杖代として各地を巡った倭姫命に仕えた神で、博多湾を外敵から守るために伊勢国の櫛田神社から勧進されたと言われる。この神を祀る正殿を櫛田宮、天照大御神を祀る左殿を大神宮、須佐之男命を祀る右殿を祇園宮とも呼ぶ。これが京都の祇園とどんな関係があるのかはあとで説明しよう。

 境内をぐるりと見てまわるだけでも十分楽しい神社だが、さらに魅力的なのは季節ごとに行われる大きな祭である。まずは毎年2月3日に行われる節分大祭。1月中旬から楼門、北神門、南神門の三の門に高さ5メートルもの巨大なお多福のお面が設置され、その口が境内への入り口となる。大祭当日には年男、年女、著名人などが盛大に豆まき神事を行い、境内に放たれた青鬼、赤鬼に抱きつかれると厄落としになると言われる。

 次は5月3日、4日に行われる博多どんたくだ。正式名称は「福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり」、市内各所でさまざまなパフォーマンスが行われ、毎年200万人もの人を動員する有名なイベントである。これは厳密には櫛田神社の祭礼ではないものの、その起源であり現在もこの行事の中核となっている「博多松囃子」は櫛田神社にゆかりが深い。福神、恵比須、大黒の三福神がまず櫛田神社でお祓いを受け、福岡や博多のあちこちの場所を表敬訪問して祝賀するというおめでたいもので、国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。

 7月1日〜15日には櫛田神社の夏の大祭である祇園山笠が開催される。山笠とは他の祭でいうところの神輿や山車にあたり、博多人形師による作品などを華々しく飾り、高く豪壮な形に作り上げられる。ただし高さには限界があるので、現在は市内を渡御する比較的低い舁き山笠、鑑賞用の高い飾り山笠の2種類に区別されている。飾り山笠は、期間中、街の各所に展示される。

 この祭の起源は、京都の祇園祭と深くかかわっている。前回の今宮神社の記事(2025年3月)にも書いたように、京都の祇園祭は疫病を流行らす神である須佐之男命をもてなして鎮めるのが目的だ。そして祭としての山笠もこれと同様に疫病退散を祈る神事から発展したものである。

 須佐之男命はもともと疫神であった牛頭天王と習合してこのような性質を持つに至ったのだが、実はこの牛頭天王は、インドの釈迦の生誕地、祇園精舎の守護神なのである。そのため須佐之男命=牛頭天王への信仰を祇園信仰と呼び、京都では八坂神社付近の地名が祇園となっている。櫛田神社でも須佐之男命を祀るのは祇園社で、付近に祇園町という地名も見られる。

 10月23日、24日には、櫛田神社の秋の大祭である博多おくんちも行われる。これは、もともと11月に行われていた新嘗祭が一か月繰り上げで行われるようになったものだ。長崎のおくんちほど大々的ではないものの、牛車に引かれた神輿や獅子頭、稚児行列などが華々しく街を渡御する。

 こうして見ると、博多には本当に大規模な祭が多い。これは、目立ちたがり屋でおおらかで賑やかなことが大好きと言われる博多っ子の性格によるものだろう。ぜひ祭の時に訪れてみたいものだが、それ以外の時でも、櫛田神社には必ず立ち寄りたい。境内に、博多っ子たちの祭にかける情熱が込められた飾り山笠が展示されているからだ。

 高さ約10m、表と裏があり、表には雄々しい武者の物語が表現されることが多く、「見送り」と呼ばれる裏側には、日本昔話やアニメを題材とした装飾が施されることが多い。通年展示されており、毎年博多山笠が始まる7月1日に違うデザインのものに替えられるとのことだ。

筆者:吉田 さらさ

JBpress

「神社」をもっと詳しく

「神社」のニュース

「神社」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ