「自爆」営業に手を染めるしかなかった…保険会社の20代社員を適応障害に追い込んだ40代上司の"口癖"
2024年4月3日(水)10時15分 プレジデント社
※本稿は、片田珠美『職場を腐らせる人たち』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
写真=iStock.com/AH86
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■過大なノルマをこなすために「自爆」営業
保険会社の40代の男性上司は、部下を別室に呼びつけて「君の将来を思って言うんだが……」という枕詞を吐いた後、過大なノルマを押しつける。この上司は、現状を見れば達成できるとは到底思えない数字を示し、「これだけの契約を取ってくれば、上からの君の評価はうなぎ登りで、賞与にも反映されるし、今後も安泰。昇進できるし、給料も上がる。本当に君のためになるんだぞ」と熱っぽく言うそうだ。
この上司が示すノルマは、まっとうな営業活動だけでは達成が無理そうな数字なので、部下の多くは家族や親戚、友人や知人などに保険への加入を懇願するらしい。とはいえ、どうしても限界がある。周囲の人に一通り保険に入ってもらったら、それ以上は頼みにくい。それでも、ノルマがあるからと、保険への加入をさらに懇願していたら、関係悪化につながりかねない。実際、周囲との関係が気まずくなったり、疎遠になったりした部下もいるようだ。
そういう事態を避けるためか、なかには保険料を肩代わりしている部下もいるらしく、経済的な自己犠牲を伴う営業、いわゆる「自爆」営業によって取れた契約がかなりの割合を占めているのが実態だという。
■毎日、進捗状況をメールで報告させられる
20代の女性社員もその一人で、家族や友人などに頼み込んで保険に入ってもらったものの、後が続かず、結局「自爆」営業に手を染めなければならなくなった。そのせいで、毎月かなりの額の保険料を自分で負担しなければならず、保険料を払うために働いているような感じさえして、この先やっていけるのかと不安を覚えずにはいられなかった。
そこまでやっても、ノルマ未達の状態が何カ月か続いた後、上司から「毎日午後5時に翌日やることをメールで報告し、それがどこまでできたかという進捗状況を当日退社する前にメールで報告しろ」と命じられた。
この女性は、自分が一挙手一投足を監視されているみたいに感じた。しかも、進捗状況を見た上司から「あれもできてない。これもできてない」と責めるメールが毎日のように送りつけられてきて、出勤して上司と顔を合わせるたびに激しい動悸がするようになった。
■上司が手渡した「候補リスト」の内容
それだけではない。あるとき、毎週月曜日の朝出勤したら、前の週の実績報告書を上司のデスクまで持ってくるよう指示された。最初の実績報告書を提出したところ、別室に呼び出され、「契約をなかなか取れない理由について話し合おう」と言われた。もっとも、実際には話し合いとはほど遠く、「なんでできないんだ」「毎日何をしているんだ」と1時間以上膝詰めで詰問された。
あげくの果てに、上司は「これまで契約が取れた顧客に別の保険への加入を勧めてはどうか。それくらいしか君がノルマを達成できる方法はないだろう。君のためにその候補リストを作っておいたから」と言って、保険の積み増しを依頼する顧客のリストを手渡した。
それを見て、この女性は愕然(がくぜん)としたという。これ以上保険への加入を懇願しても、断られそうな相手ばかりだったからだ。それでも、実績をあげるために頼み込んで形だけでも保険に入ってもらうことができないわけではなかったが、この手段は必然的に彼女の経済的な自己犠牲を伴う。
■頭は真っ白、吐き気でトイレに駆け込んだ
月々の保険料の負担がさらに増えるのかと思うと、暗澹(あんたん)たる気持ちになり、頭が痛くなった。そのせいで思考力も集中力も低下し、まともに営業活動をすることができず、実績報告書に記入できるような成果を一切あげられなかった。
翌週の月曜日の朝、この女性は一応出勤したものの、頭が真っ白になり、吐き気を覚えてトイレに駆け込んだ。とても勤務できる状態ではなかったので、実績報告書を提出できないまま早退した。
吐き気の原因を調べるために内科と産婦人科で検査を受けたものの、異常はとくに認められず、妊娠もしていなかった。そのため、紹介されて私の外来を受診し、「適応障害」の診断書を提出して休職することになった。
■限界を迎えた社員が辞めていくことは想定内
この女性としては退職することも考えているという。実際、この会社の離職率はかなり高く、その背景には、ノルマを達成するために「自爆」営業に手を染めても、結局いつまでも続かないことがあるらしい。上司も「自爆」の実態を薄々知りつつ容認しているのか、やがて限界がきて辞めていく部下が一定の割合で存在することは、想定内のようだ。
こんなことが可能なのは、見せかけの給与が割と高いためか、求人広告を出せば、いくらでも入社希望者が集まってくるからだという。もっとも、給与が高そうに見えるとはいっても、基本給は低く、歩合給が高いので、契約を取れない人は稼げない仕組みになっている。だから、稼ぎたいと思えばノルマを達成するしかないのだが、そのために「自爆」営業をしていたら、手元にはそれほど残らないことになる。
こうした仕組みは正当なのか、少なくとも雇われている自分たちにとっては損なのではないかという疑問を、この女性は休職してしばらく職場を離れてから初めて抱いたそうだ。
それまでは、「ノルマを達成するためにはどんなことでもする覚悟が必要だぞ」と上司から言われ続けていたうえ、ノルマを達成した同僚がほめられ持ち上げられる雰囲気にのまれて、彼女自身もがむしゃらに頑張ってきたからだろう。
写真=iStock.com/kuppa_rock
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■「あの上司は部下を使い捨てにするだけ」
会社の仕組みも上司のノルマ至上主義も何となくおかしいと感じ始めてから、退職者の一人の女性に連絡を取って話を聞いた。すると、彼女も「自爆」営業が限界にきて辞めていたことがわかった。
「あの上司は部下を使い捨てにするだけ。周りの人に一通り保険に入ってもらったら、辞めてもらって構わないと思っているんだから。以前は女性社員に枕営業をほのめかすようなことを平気で言っていたそうだから、あれでもマシになったのよ」と聞かされ、恐怖すら覚えたという。
ただ、退職後も、他人の保険料を払い続けるのは嫌だった。だから、どうすればいいのか尋ねると、「解約すればいいだけの話」という答えが返ってきた。解約の際に多少損することになるかもしれないが、現在の会社に勤めている限り心身の不調が続きそうなので、辞める決心がつき、転職サイトに登録した。
■自分の承認欲求のために部下を犠牲にする
過大なノルマを押しつけられた部下が「自爆」営業に手を染めざるを得なくなり、それに限界がきて退職することが続いたら、退職に伴う保険の解約件数も相当な数にのぼるに違いない。
上司にとってはそれも想定内なのだろうかという疑問が湧くが、ある程度は想定しているのではないか。たとえ、後で解約される事態になっても、とにかく自分の部署が保険の契約をたくさん取り、稼いでいるように見せかけることができれば、それでよかったのだと思う。
その根底には、上司の強い承認欲求が潜んでいるように見える。何としても実績をあげて、上層部から認められ、昇進したいという執念のようなものさえ感じる。そのためには、それこそどんなことでもするという姿勢であり、部下に過大なノルマを押しつけ、それを達成できるようにあの手この手で誘導する。
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■パワハラリスクを回避する「口癖」
巧妙なのは、決して暴言を吐くわけではなく、「君の将来を思って」「君のため」といった言葉を頻用し、あくまでも部下のためを思っているかのようなふりをすることだ。これは、万一部下からパワハラで告発されるような事態になれば、昇進どころか、降格さらには解雇の憂き目に遭いかねないので、用心しているからだろう。
常に自己保身のための計算が働いているわけで、部下がノルマを達成できるように保険の積み増しを依頼する顧客のリストまで上司が自分で作成する“親切ぶり”を示すのも、同じ理由に違いない。
この上司のような自己保身の塊は、部下が「自爆」営業に手を染めようが、心身に不調をきたそうが、知ったことじゃないという姿勢になりがちである。これは、現在の地位から転がり落ちるのではないかという転落への恐怖、そして肩書や収入など、自分にとって大切なものを失うことへの不安、つまり喪失不安が強いせいかもしれない。
■上司自身も厳しいノルマに追いつめられている
その裏に、上司自身が上層部から課せられている厳しいノルマがあることも少なくない。ノルマ未達だと降格や左遷、場合によっては失職という事態に直面するのではないかと不安にさいなまれているからこそ、駆り立てられるように部下に過大なノルマを押しつけるとも考えられる。
片田珠美『職場を腐らせる人たち』(講談社現代新書)
しかも、こういう不安をかき立てるようなことが実際に行われている会社もある。ノルマ未達だと、出世コースから外されたり給与を下げられたりすることがあり、そのうえ上層部から「そうならないように頑張れよ」と“脅し”まがいの励ましの言葉をかけられたと打ち明けた元管理職もいる。このような会社にいると、上司が部下に過大なノルマを押しつけたくなる気持ちもわからなくはない。
上司が過大なノルマを押しつけた結果、不祥事で揺らいだ事例は、東芝の粉飾決算、日本郵政グループによる「かんぽの不正販売」、JAの共済事業における「自爆」営業など、枚挙にいとまがない(『農協の闇』)。
メディアで盛んに取り上げられ、散々叩かれた他社を見ても、過大なノルマの押しつけをなかなかやめられないのは、上司自身が転落への恐怖と喪失不安にさいなまれているからだろう。しかも、そうした不安をかき立てるような構造に組織全体がなっているのではないだろうか。
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片田 珠美(かただ・たまみ)
精神科医
精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生として、パリ第8大学精神分析学部で精神分析を学ぶ。著書に『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)など。
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(精神科医 片田 珠美)
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