父親は聴取に「性教育」と開き直り…性被害を受け続けた姉が語る「助けてくれなかった警察への思い」〈弟は自ら命を絶った〉

2025年5月3日(土)18時0分 文春オンライン


父親による悪魔のような性虐待と精神支配の末、弟は自ら命を絶った。亡くなった弟・和寛さんのため、そして自分のために立ち上がった塚原たえさんは実名告発を決心した。



性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏のレポートから、幼い日から父に虐待を受け続けたたえさんの、高校退学後の道のりを中心に紹介する。



◆◆◆


 和寛は、埼玉にある教護院に入所することになった。


 教護院とは、現在の児童自立支援施設にあたる。不良行為をなした、または、なす恐れのある児童を入所させる施設だった。基本的に非行少年を対象としているが、少年院と比較すると、年齢や非行度合いが低い傾向にある。



塚原たえさん ©文藝春秋


 和寛の場合は、家出の際に服を盗んだ窃盗と、無賃乗車が理由だった。


 たえは和寛が非行少年と扱われたことに対し、今でもこみ上げるものがあるという。


「取材を受けた理由の一つは、弟の汚名をそそぎたいからです。私は弟のされてきたことを見ています。非行少年とされた弟が悪いんじゃなく、父親がそうさせたんだと言いたいです」


「逮捕できるけど、3年で出てくるよ」


 一方、たえは、依然として父親と暮らさざるを得なかった。加えて、それまで祖母の家に預けられていた4歳下の妹も同居することになった。妹はたえや和寛と比べて、山口で同居していた時期も父親に暴行されることが少なかった。しかし年齢を重ねると、父親から性的な対象として扱われるようになってしまう。


 たえは危機感を募らせ、妹を連れて警察に駆け込んだ。たえは事情聴取を受け、父親が呼び出された。


 父親はたえにしてきた行為を認め、「性教育のため」だと述べたという。


 しかし、父親は逮捕されなかった。警察官はたえにこう言った。


「お父さんを逮捕することはできるけど、3年で出てくるよ。仕返しとか大丈夫?」


 たえが「怖いです」と答えると、父親は帰された。


「あの時、有無を言わさず逮捕してくれればよかったのにと思います。16歳の私にああいう聞き方をされたら、散々やられてきたんだから、仕返しは怖いに決まっているじゃないですか。脅しをかけられ口を封じられていたのをやっとの思いで言ったのに、助けてくれそうで大事なところは助けてくれない。警察も教師も、周りの大人が厄介事に巻き込まれたくなくて手を差し伸べなかったのは、ジャニー氏の問題と一緒ですよね」


父親に唯一啖呵を切ってくれた義母


 たえと妹は、児童相談所を経て、別々の自立援助ホームへ移された。


 結果として、これがたえの人生を変えることとなった。


 ホームにいた先輩の友人として出会ったのが、8歳上の男性だった。交流を重ねる中で互いに好意を抱き、交際することになった。わずか数日で同棲を始めた。


 それは決して甘い理由によるものではなかった。


「父親が逮捕されなかったせいで、ストーカー行為が始まったんです。私は警察の事情聴取でも、私と妹の居場所は父親に教えないでほしいという答申書を出しています。でも児相の担当者が言ってしまったらしく、父親が車中泊しながらホームの前で見張っているので、ホームに帰れなくなってしまったんです」


 しばらくするとその家も突き止められ、彼の母親の家へ移った。たえは、彼とその母親にすべての事実を打ち明けた。その居場所も、父親に特定される日が来た。


「たえを返せ」と乗り込んできた父親を、彼の母親は人目のある駅前の喫茶店へ連れていった。その様子を見ていた人によると、彼の母親は毅然とした態度で言い切ったという。


「たえはもう、うちの娘なんだ。あんたなんかに渡さないよ!」


 たえが声を詰まらせながら回想する。


「父親に対して唯一啖呵を切ってくれた人です。その後結婚して、義母になりましたが、すごくかっこいいお母さんで。義母に何かあれば私が面倒を見ると誓い、亡くなる前の3年ほど介護させてもらいましたが、近所で実の親子だと勘違いされるくらい仲が良かったです」


 夫も今日に至るまで、たえの良き理解者として常に寄り添ってきた。


「主人と義母に出会っていなかったら、私も弟と同じように耐えきれずに死んでいたはずです。弟には助けてくれる人がいなかった。ここが弟と私の運命の分かれ道でした」


 和寛は児童自立支援施設を出ると、自立し、働き始めた。


 18歳の頃には、たえの家庭へ彼女を連れてやってきて、数日滞在したことがある。たえは和寛の様子を見ていて、違和感を覚えた。


「彼女から弟の腕を触るなどのボディタッチがあっても、弟はまったく反応しない。気持ちは大事に思っていたかもしれないけど、体関係になると遠慮するところがあるような印象でした。よく言えばシャイなんですが、裏には父親から性虐待を受けた影響があるかなと感じました」


 和寛は子どもの頃のまま、感情を、特に苦しさを表に出さなかった。


 25歳で結婚し子どもが生まれたが、その時期にも笑顔はなく、たえの目には幸せなようには見えなかった。



本記事の全文 、および秋山千佳氏の連載「 ルポ男児の性被害 」は「文藝春秋PLUS」に掲載されています。



(秋山 千佳/文藝春秋 電子版オリジナル)

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