「ママって呼んで」と血だらけのわが子を抱きしめた…監察医が検死現場で目の当たりにした「母の凄絶な愛」
2025年4月9日(水)9時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32
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■脳が飛び出し、顔が潰れた子ども
私は30年にわたり2万体の死体と対面してきた。検死には切ない体験をさせられることが多いが、本当に検死に行くのが辛いのは、子どものケースである。嘆き悲しみ、号泣する家族の側で行うことがほとんどなので、こちらも穏やかな気分ではいられない。
ある交通事故の現場に行った。
道路に車が横転し、窓が割れてガラスの破片が散乱する中、歩道の片隅にしゃがみ込む母親と抱きかかえられた子どもの姿が目に入った。子どもは、脳が飛び出して顔がつぶれてしまっている。
母親はかくも無惨に顔から血を流す子どもを抱きしめている。
「ママって呼んで、お願い、起きて、起きて!」と泣き叫ぶ声が響いている。やじうまも多数集まっている現場に、その悲痛の叫びがこだまする。
母親の姿と叫びを聞いて、本当に胸が張り裂けそうな思いだった。
■涙があふれ、運転できなかった
数多くの検死で慣れというのもあり、ほとんどの場合冷静でいられるが、子どもの検死は例外である。子どもに先立たれた母親の嘆きには、凄絶な母性を感じる。見るに耐え難いものがある。つい、私も胸がいっぱいになってしまった。
母親は、死んだ子どもをずっと抱きしめて離さない。検死をするからと言って、子どもを引き離すわけにもいかない。あきらめて引き揚げることにした。
子どもの場合、検死できずに、翌日出直すことにして現場を引き揚げたことは一度や二度ではない。
検死を終え帰りの車中は、いつにも増して重い空気だった。監察医は、補佐と、運転手と一緒に3名で現場に赴く。
突然、運転手が道路の脇に車を寄せて停めた。一日に4、5件の事件・事故現場に行き検死をするのが普通で、現場から現場へと分刻みで動いているので、寄り道をすることはめったになかった。
車の調子が悪くなったのかと思い、「どうしたんだ?」と運転席を覗き込むようにして聞いた。
「すみません、涙があふれてきてよく前が見えなくて」と言ってメガネをはずし、目頭を押さえているのである。
「あの母親の気持ちを思うと……」と言って大きなため息をつき、涙を手でぬぐった。
■自分の子どもと重ねるといたたまれない
やはり、私だけではない。子どもを目の前で亡くした母親の嘆き悲しむ姿を見ると、どんな人間でも思わず涙が出てしまうほど辛い。
特に、同じ歳くらいの子どもがいる親は、自分の子どもと重ねてしまい、さらにいたたまれなくなるのだろう。
しばらく車中には運転手の鼻をすする音が聞こえていた。
やがてエンジンの音が響いた。
また、次の検死現場へ向かったのである。
■命がけで炎の中に飛び込む母親
母親は子どもを本能的に守る。何度もこのように感じる事件に遭い、その思いを確信し、私の著作の中でも何度か述べていることである。
特に火災現場で見る、母親の子どもへの愛というのは壮絶なものがあった。
火事で燃えさかる家の中に、母親が取り残された子どもを助けに行く。行ったらあなたも死ぬからと言って消防士が必死で止めているのにもかかわらず、消防士の手を振り切って子どもの名前を叫びながら、家の中に飛び込んでいく。
写真=iStock.com/DarthArt
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そうやって助けに行ったが戻ってこれず、子どもと一緒に折り重なった状態の焼死体で見つかることも多かった。何度かそういう検死に遭遇した。
焼死体というのは、その人の原形をとどめていない。当然のことながら、表面は焼けこげている。激しく焼かれて、炭化して真っ黒こげの状態になっていることもある。性別が判断できないほどである。歯の形は残るので、少しは見分けがつくが、ほぼ難しい状態である。そして、焼死体は焼かれているため普通の死体より小さくなってしまう。実物よりも小さく、黒こげなので、さらに身元が分かりづらい。
検死に行った火災現場で、玄関で倒れている母と子どもの焼死体を見た。あと、ほんの数十センチで外に出られるというところで、2人は重なるようにして死んでいた。助けようと飛び込んだ母親が、寝ている子どもを抱いて必死で外に出ようとしたが、あと一歩のところで息絶えて焼死体になってしまった。そんな死体を見て、胸が詰まった。
■他人のために線路に飛び降りられるか
2001年、JR新大久保駅でホームから線路に転落した男性と、その男性を助けようとして飛び降りた留学生の韓国人男性と日本人カメラマンの男性が、進入してきた電車にはねられて死亡するという事故があった。助けようとした2人は、電車とホームの間に挟まれ亡くなった。
電車とホームに挟まれた体はどこも切れたりしていないが、擦過傷が挟まれた場所に帯状につく。その場合は内臓破裂か脊髄損傷で即死する。
当時は多くの報道がなされ、目の前で起きた転落事故から見知らぬ人を救おうとして巻き添えになった若い命に哀悼の渦が広がり、2人の男性の勇気は多くの人々の心を揺さぶった。
韓国人留学生は、大学院進学を目指して日本へ勉強しに来ていたという。普通、異国の地で暮らすとき、文化の違いから言葉の不自由や孤独で心の壁を作りがちだが、彼は異国の地で、見も知らぬ人が線路に落ちたところを救おうと、カメラマンの男性と一緒にためらうことなく飛び降りている。
自分が同じような状況になったとき、飛び降りて救うことができるだろうか? ややもすれば、自分も巻き添えになって死に至るかもしれない。そんなことを考えると、二の足を踏んでしまうのではないか。
悲惨な事件の多い中、新大久保の事故の2人の男性は、命の尊さを知っている人たちだった。自分も死の危険があるのに、子どもを助けようと自ら炎の中に飛び込んでいく母親の愛に通ずるものがある。
自分の命を犠牲にしてまで他人の命を助ける必要はないだろうが、現代の日本人が忘れかけている命の尊さを教えてくれたという点で、多くの人の印象に残っている事故であると思う。
■まだあどけない男の子の検死現場へ
今回の検死は小学校低学年くらいのまだあどけない男の子だった。子どもの検死はどの監察医も嫌がる。やはり幼い子どもの死体を見るのはいくら仕事とはいえ辛いからだ。
東京23区内に変死が発生すると、まず警察に届けられる。警察ではその事件の内容を把握した上、我々がいる東京都監察医務院に検死の依頼が来る。監察医と補佐と運転手が日ごとにチームを組み、刑事や立会官などと共に死体のある現場へ急ぐ。そうして検死がはじまる。
死因が検死だけで分からない場合は、遺体を東京都監察医務院に送り、解剖当番の監察医が解剖する。検死と解剖は交代制で行う。
■痩せ衰えた体に残された無数の傷
警察から、検死する遺体は「6歳の男子」などという情報が入ると、現場に向かう足取りが重くなるのは事実である。
男の子の死体と対面したとき、まずその男の子があまりにも痩せ衰えていることに驚いた。真一文字に口を結んでいる。その表情を見て、どのように死んでいったかきちんと真相を解明しなければならない、という気持ちになる。
私は検死をはじめるとき、いつも必ず両手を合わせ、遺体に黙とうをしている。まず彼に向かって、気持ちを込めて祈った。
明らかに児童虐待であった。体のあちこちに痣と傷があった。煙草の火を押し付けられたような火傷の跡もいくつもあった。古い傷もいくつかあったから、かなり長い間虐待を受けていたことが分かる。
■「お母さん、お母さん、入れてよ」
この男の子は母親が17歳のときの子どもで、生まれたばかりのときは子どもと2人で生活していたが、最近になって母親に年上の恋人ができたらしい。母子はその男と一緒に暮らしはじめた。その頃から母親の様子が変わった。
近所の人が挨拶をしても彼女は目を合わさず、うつむくようにして去っていくことが多くなった。いつも手をつないで出かけ、人当たりのいい母親で、近所でも評判の仲のよい母子であったのに、その男と同棲しはじめるようになってから母子で出かける姿は見られなくなった。
そのかわり、男が声を荒らげて叱る声がしょっちゅう聞こえるようになった。
「ふざけるな」という声や、「ごめんなさい」という子どもの泣き声、「やめて」という声、ドスンという大きな音も近隣の住民が聞いている。ベランダに出され「お母さん、お母さん、入れてよ」と言って、窓ガラスを叩きながら泣いている男の子も目撃されている。
元気な人懐っこい子どもだったが、通っていた小学校でも口数が少なくなり、一人でいることが多くなった。
写真=iStock.com/Jatuporn Tansirimas
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jatuporn Tansirimas
あるとき、近所の中年男性が、ポツンと道端に座っている男の子を見つけた。声をかけようと男の子を見ると、頰がはれて傷付いているのに気付いた。
■父親はもちろん、止めなかった母親も同罪
「その傷どうしたの。誰かにいじめられていない?」と尋ねると、「僕が悪いことをしたからお父さんに叩かれたの。でも僕が悪いことしたからなんだよ。お父さんもお母さんも悪くないよ」と笑顔で答えたという。
実の父親を知らない男の子にとって、彼が初めての父親だった。叱られ、叩かれ、厳しく冷たい父親を、気丈にもかばったのだ。
しかし、男の子への虐待は繰り返されていた。
数日後、彼は頭に強い衝撃を受けて起こる急性硬膜下血腫で亡くなった。「ご飯を残した」という理由で正座をさせられ、父親に頰を殴られていた。それも何十発も、1時間以上にわたって行われたという。お腹を蹴られたりもしていた。それが日常茶飯事に行われていた。
それを母親は怯えるような目で見ているだけだった。
逮捕された父親は、しつけの一環だと言って悪びれる様子すらなかった。
もしかすると母親も男から暴力を受けていたのかもしれない。それは分からない。なんの罪もない子どもに暴力を振るうことは言語道断だが、それを止めずにそのままにして死なせた彼女も同罪である。
■虐待されても親しか頼れない
児童虐待の疑いがあっても、学校や行政は踏み込んだ対応をせず、その結果子どもたちのSOSのサインを見逃すことがある。
上野正彦『死体はこう言った ある監察医の涙と記憶』(ポプラ社)
親から暴力を受けている疑いがあるという近所の人の通報を受け、行政がその家庭を訪れる。しかし、父親から「そんなことはやっていない、この傷はしつけのためにやっただけだ。もう二度としない」と言われると、「そうですか」とそれを鵜吞みにし、それ以上追及することをしない。
学校も行政も毅然とした対応で、もっと踏み込んで追及しなければならないと思うのだが、行政上は難しい問題なのであろう。
いかなる虐待を受けても、子にとって頼れるのは親しかいない。どれほど痛かったか。辛かったか。耐えるしかないそのような子を見ると、涙をぬぐわずにはいられない。
もう子どもの検死はしたくない。深々と黙とうする以外になすすべのない自分を情けなく思うのである。
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上野 正彦(うえの・まさひこ)
元東京都監察医務院長
1929年、茨城県生まれ。法医学者。1954年、東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。1959年、東京都監察医務院に入り監察医となり、1984年に同医務院長となる。1989年に退官。退官後に執筆した、初めての著書『死体は語る』は65万部を超えるベストセラーとなる。その後も数多くの著作を重ね、鋭い観察眼と洞察力で読者を強く惹きつける。また、法医学評論家としてテレビや新聞・雑誌などでも幅広く活躍し、犯罪に関するコメンテーターの第一人者として広く知られている。これまで解剖した死体は5千体、検死数は2万体を超える。主な著書に、『死体は語る』(文藝春秋)、『死体鑑定医の告白』(東京書籍)、『人は、こんなことで死んでしまうのか!』(三笠書房)など多数。
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(元東京都監察医務院長 上野 正彦)