元阪神・小山正明さん死去 歴代3位320勝の「精密機械」 球団90周年、吉田義男さんに続き悲報

2025年4月25日(金)5時15分 スポーツニッポン

 阪神、ロッテなどで歴代3位の通算320勝を挙げた小山正明さんが18日、急性心不全のため、東京都内の病院で死去した。阪神球団が24日、発表した。90歳だった。兵庫県明石市出身。葬儀は家族葬で執り行われた。球団創設90周年の阪神にあって、吉田義男さんに続き、偉大な先人を相次いで亡くした。

 近年、公の場に姿を見せていなかった小山さんだが、昨年7月の巨人—阪神OB戦(東京ドーム)では控室まで訪れていた。

 阪神が歴史保存のために行ったインタビューでは「僕はトレードで出された身だがレジェンドと言ってもらえる。先人を大切にする姿勢を大切にしてほしい」と語っていた。

 現役時代は「精密機械」と呼ばれた正確無比の制球力で金田正一、米田哲也に次ぐ通算320勝をあげた。

 1934(昭9)年、兵庫県二見町(現明石市)生まれ。高砂高時代、甲子園出場経験はない。高校3年秋、父・英一さんが遠縁にあたる阪神・野田誠三オーナー(本社社長)に手紙を書き、テストを受験。53年に入団した。練習生から8月に選手登録され1年目に5勝をあげた。

 2年目54年、チーム最多の11勝。58年から3年連続20勝。59年、プロ野球初の天覧試合・巨人戦(後楽園)では先発投手を務めた。

 62年には村山実との両輪で阪神のセ・リーグ初優勝に貢献。優勝を決めたシーズン最終戦(甲子園)で無四球完封、胴上げ投手となった。チーム最多27勝、5試合連続を含むリーグ新記録の13完封、球団記録の47イニング連続無失点(2006年、藤川球児が更新)を記録した。最高殊勲選手賞(現最優秀選手賞=MVP)は村山に譲ったがセ・リーグから優秀功労賞を贈られた。

 苦手だった王貞治対策にパームボールを習得。62年に7本浴びた本塁打が63年には1本も打たせなかった。

 63年12月、山内一弘との「世紀のトレード」で東京(現ロッテ)に移籍した。阪神時代の成績は実働11年、486試合176勝136敗、防御率2・24。

 70年、16勝をあげ優勝に貢献。史上初のセ・パ両リーグ100勝を達成。71年、史上4人目の通算300勝。72年に引退。73年、大洋(現DeNA)コーチとなるが、シーズン中、青田昇監督の要請で現役復帰。オフに再び引退を表明した。

 引退後は阪神、西武、ダイエー(現ソフトバンク)でコーチを務めた。野球解説者・評論家として活動していた。2001年、野球殿堂入りを果たした。(内田 雅也)

 小山 正明(こやま・まさあき)1934年(昭9)7月28日生まれ、兵庫県出身。53年、高砂高からテスト生として阪神に入団。62年にはセ記録の5試合連続完封を含む27勝でリーグVに貢献し、沢村賞も受賞。63年オフに山内一弘との“世紀のトレード”で東京(現ロッテ)へ移籍。64年に30勝で最多勝。73年に大洋へ移籍し、同年限りで引退。通算320勝はプロ野球歴代3位。2001年に野球殿堂入り。現役時は1メートル83、73キロ。右投げ右打ち。

スポーツニッポン

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