【内田雅也の追球】「やはり」と感じた一戦

2025年4月25日(金)8時0分 スポーツニッポン

 ◇セ・リーグ 阪神4—2DeNA(2025年4月24日 横浜)

 9回裏、桐敷拓馬が阪神クローザーとして登板したとき「やっぱりなあ」と心の中でつぶやいていた。このまま逃げ切れば、桐敷にプロ初セーブがつき、岩貞祐太に2年ぶりの白星がつく。

 桐敷「47」、岩貞「14」は、この日訃報が伝わったOBの大投手、小山正明が現役時代に背負った背番号だった。

 一昨年7月25日の巨人戦(甲子園)。横田慎太郎追悼試合に勝利した時のスコアは4—2。横田の背番号「24」を写しだしていた。当時監督の岡田彰布(現オーナー付顧問)が「野球ではこうした不思議なことが起きるんよ」と話していた。

 この夜は偉大な先人に贈る白星だったわけだ。歴代3位の通算320勝をあげた小山は同5位の290完投も記録している。1軍に定着したころは先発完投が当たり前だった。救援陣が次々出てくる今の野球を「時代も変わった」と話していたが、天国で5投手継投の勝利を喜んでいよう。

 先発・富田蓮が5回2失点で踏ん張った。漆原大晟は5試合、及川雅貴は12試合に投げ、いまだ防御率0・00である。

 この夜4回無失点だった救援陣の防御率は1点台(1・97)にまでなった。むろん12球団トップだ。監督・藤川球児は「(救援陣を)作りながら、その日のゲームも取る」と手応えを得ていた。

 打線は大貫晋一にてこずり、6回を終えて1—2。それでも藤川は「流れと言いますか、あのままゲームが終わるとは思っていませんでした」とみていた。救援陣への信頼感が背景にある。

 選手たちも感じていたのではないか。イチローが今の大リーグを嘆いたように、試合中、タブレットばかりを見ていては流れも空気も感じ取れない。誰もがベンチ内で前のめりでいた。7回表2死、2番手・森原康平から1〜3番の3連打は初球、3球目、初球と、わずか5球で逆転してみせた。「ここぞ」と感じて襲いかかったのだ。

 ビジターで10勝1敗と無類の強さはどこからきているのだろう。開幕前日、藤川は「先に攻撃が始まりますからアグレッシブにいきたい」と先攻の姿勢を語っていた。そんな攻撃性もあろうか。

 小山の座右の銘は「忍耐」で「我慢していれば道は開ける」と語っていた。投手が辛抱し打線がこたえる。やはり小山の試合だった。 =敬称略=

 (編集委員)

スポーツニッポン

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