【内田雅也の追球】満足の「攻めた」試合

2025年4月28日(月)8時0分 スポーツニッポン

 ◇セ・リーグ 阪神1—2巨人(2025年4月27日 甲子園)

 吉田義男は監督時代、試合に敗れた後はいつも「攻めていたか」と自問自答したそうだ。自身の采配や打者の攻撃だけでなく、投球も守備も走塁も「攻めていたか」をチェックした。コーチ陣にも問うていた。

 著書『海を渡った牛若丸』(ベースボール・マガジン社)では、もっと激しい言葉で「攻めまくる気持ちを失っていないか」と記している。

 ユニホームのポケットに小さな帳面を入れ、弱気や消極的な姿勢が見えた時は書き留めた。

 今年2月3日に91歳で他界した吉田の追悼試合だった。センターポールには半旗が掲げられ、阪神は全員が喪章をつけ、背番号も吉田現役時代のもので永久欠番の「23」で臨んだ。

 天国にいる偉大な先人に勝利を届けたいのは当然。ただ、勝敗は結果でしかない。それは幾多の勝負を経験した吉田が一番わかっていた。

 試合前、遺族と面会した球団社長・粟井一夫は「タイガースらしい試合をしたい。それが弔いになるかと思う」と約束した。余談だが、粟井の父・賢文(たかふみ)は神戸大捕手で1年下の立命大・吉田と大学リーグ戦で戦ったことがある。

 試合は接戦の末、1—2で敗れた。問題は「タイガースらしさ」と「攻めていたか」である。

 近本光司の背走好捕(2回表)や事前に三塁線を締めていた佐藤輝明の併殺守備(8回表)は攻撃的な守備だった。

 リプレー検証となった近本の本塁突入生還(1回裏)はもちろんだが、植田海の同点を狙った「当たりゴー」の本塁突入憤死(9回裏)も攻撃的な走塁だった。

 新人・伊原陵人は持ち前の強心臓で巨人打線に向かっていった。決勝点を奪われた岩崎優も攻撃的な投球だった。

 ロースコア接戦は広く打球が飛ばない甲子園を本拠地とする「タイガースらしい試合」だった。

 そして投攻守走と「攻めまくる」姿勢があったではないか。これはタイガースの、そして吉田義男の試合だった。吉田が満足できる敗戦だった。

 一つ記せば、吉田が現役時代「牛若丸」と呼ばれた華麗な守備を見せた遊ゴロが1本もなかった。巨人遊撃手は4本のゴロをさばいたが、阪神遊撃手・小幡竜平には打球が飛ばなかった。不思議だった。「えへへ」と笑う天国の吉田の顔が目に浮かんだ。 =敬称略= (編集委員)

スポーツニッポン

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