永久欠番「14」を最後につけた坂本茂はもう一つの偉大な番号も背負う…背番号物語

2025年5月23日(金)6時0分 スポーツ報知

 永久欠番の「14」は4人しかつけていない。「16」の2人、「4」の3人に次いで、「3」の4人と並んで少ない人数だ。

 まずは草創期の35年に内野手の江口行雄がつけた。この年だけ沢村栄治は「17(ユニホームの表記は漢字の十七)」だった。

 沢村が44年に戦死。プロ野球が再開された46年、まず「14」をつけたのは内野手の今泉勝義。44年に日大三中から入団したが、44年は戦争のため背番号使用が禁止された1年で、46年当初は今泉が背負う。この年、今泉の1軍実績はなく、44年に2試合に出場し3打数0安打(2三振)という数字しか残っていない。

 46年のシーズン途中、坂本茂が戦争から復帰し、「14」が変わる。坂本は41年にやはり日大三中から入った内野手。入団当初は「6」をつけ、3年間背負っていた。

 坂本は47年も「14」をつけるが、やはり復帰した千葉茂の存在もあり巨人を退団し、プロ野球とは別組織の国民野球連盟でプレーした後、近鉄に復帰。巨人では4年で221試合に出場、140安打の成績を残している。いまや「6」といえば坂本勇人だが、この坂本茂は「6」と「14」という偉大な番号を両方背負う不思議な歴史を持つ選手だった。

スポーツ報知

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