【日本ダービー】鞍上騒動乗り越えた加藤和宏騎手、昭和60年シリウスシンボリV導いた

2025年5月27日(火)6時30分 スポーツ報知

シリウスシンボリ(右)の馬上で加藤はガッツポーズ

◆第92回日本ダービー・G1(6月1日、東京競馬場・芝2400メートル)

 阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグを制覇。その勢いで初の日本一に輝いた昭和60年(1985年)は、8月に日航機が群馬・御巣鷹山に墜落する大惨事にも見舞われた。

 騎手の乗り替わり。現在では、珍しいことではなくなったが、40年前、クラシック候補生の鞍上問題で揺れに揺れた。二本柳俊夫厩舎のシリウスシンボリは激しい気性でスタッフの手をやかせていた。付きっきりで調教していたのが厩舎所属の加藤和宏。すでにホウヨウボーイ、アンバーシャダイ、シャダイアイバーで、数々のビッグレースを手にして関東の腕達者だった。

 それでも気性が災いし、2歳時の芙蓉特別で1位入線後に失格など不完全燃焼が続いた。それに対してシンボリ軍団の総帥・和田共弘氏が、前年にシンボリルドルフを無敗の3冠馬に導いた岡部幸雄への乗り替わりを要望。全国リーディングを争う名トレーナーとの間に、あつれきが生まれた。

 二本柳調教師、和田オーナーが鬼籍に入っている今、二人の本心を知るよしもないが、事実を並べると、3月20日に畠山重則厩舎へ転厩したが、厩務員組合、調教師会まで巻き込んだ騒動へ発展。しかし同28日には二本柳厩舎に戻り和解した。同30日の若葉賞を岡部で勝ったあと、鞍上も加藤に戻った。

 シリウスシンボリは脚部不安で皐月賞を回避したが、同レースを圧勝したミホシンザンがレース直後に骨折判明。ダービーは戦国の様相を呈していた。想像を絶するプレッシャーのなか、加藤は1番人気に応えた。

 「心を白紙の状態にして臨む。これまで積み重ねてきた経験を生かすことだけを考えていました。(二本柳)先生の奥さまに成田山のお守りをもらい、和宏頑張れと言われた時には、なんとしても勝たなければと思いました」レース後、晴れ晴れとした表情で加藤は語った。2着スダホークに3馬身差の完勝。師弟の絆が競馬の祭典で花開いた瞬間だった。(吉田 哲也)

スポーツ報知

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