《自分の死》に関連する情報が出てくると、途端に脳はあるシステムを停止させてしまい…統計のプロ・サトマイ「たくさんの人に囲まれいろいろな人と関わっても、私たちは根本的に《孤独》である」
2025年5月7日(水)12時30分 婦人公論.jp
時間の流れが早く感じる(写真提供:Poto AC)
「なぜ大人になると時間の流れが早くなるのか?」「1年たつのが早くなった」そう感じている全ての大人へ、統計のプロが教える「時間の正体」。仕事や家事に忙殺されて「満足したフリ」をしていませんか?データ分析・活用コンサルタントであり、登録者38万超『謎解き統計学サトマイ』YouTubeチャンネル運営している、佐藤舞(サトマイ)さんが、充実した時間の取り戻し方を提案する著書『あっという間に人は死ぬから「時間を食べつくすモンスター」の正体と倒し方』より一部を抜粋して紹介します。
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時間の浪費の正体
「自分にとって有意義なことややるべきことが一体なんなのか分かっていない」ことと、「人生において本当に大切なことに向き合おうとする時に現れる邪魔者の正体が分かっていない」ことで、漠然とした不安やなんとなく満たされない感覚を抱えたまま、刻一刻と時間だけが過ぎていきます。
有意義なことが光、邪魔者が闇だとしたら、闇を避け、光に向かって生きたいと思うでしょう。しかし、人間にはなかなかそれが難しいのです。
17世紀のフランスの文学者、フランソワ・ド・ラ・ロシュフコーは「死と太陽は直視できない」といいました。
これほどまでに人間の本質を的確に表している言葉はないでしょう。この一文が、ここでの最重要キーワードです。
死とは、受け入れがたい現実です。私たちは生まれた瞬間から、老いて死ぬことが約束されています。いずれ自分が死にゆくと知りながら前向きに生きていくのは難しいものです。
どんなことが起きようと時は流れ、毎日太陽が昇り、私たちを明るく照らします。太陽は活力を与えてくれたり、待ち遠しい存在であり、時には残酷なほどに眩しい存在でもあります。
私たちは、死や老い、病といった受け入れがたい現実を直視することができません。
そんな心の闇の中で、必死に希望の光を探そうとしますが、希望、すなわち太陽もまた直視できない、といった葛藤を抱えながら、どのように生きるのかを模索しています。
多くの人は、死と太陽という本質を見ることを避け、代替案として選んだ選択肢を正当化することに時間を使っているのではないでしょうか?
私たちが直視できない3つのもの
私たちが直視できないものとはなんでしょうか。私はそれを、「人生の3つの理」だと考えました。
人生の3つの理:(1)死 (2)孤独 (3)責任
この3つの理を避けるために無意識に自分にウソをついて行っている行動が、間違った時間の使い方を生み出しているのです。
(1) 死:人は必ず死にます。
しかし、いつ死ぬかが分かっていたら、その恐怖や絶望感で何もできなくなってしまいます。そこで、普段の生活では死を忘れていた方が都合がいいのです。
死や老い、病の恐怖から目をそらし、死なないことを前提に生きています。
「死はいずれ来る」と誰もが知っていますが、「それはまだ先のこと」あるいは、どこか他人事のようにしか思っていません。
イスラエルのバル=イラン大学の研究チームの調査によると、自分の死は他人事として見がちであるという興味深い結果が示されています。
自分の死に関連する情報が出てくると、脳は自分の死について考えるのを防ぐために、本来備わっている予測システムを停止させます。
そして、「この死は他人の問題だ」と考えるような防御システムが作動します。このプロセスは無意識に行われます。
「人間の死亡率は100%」「自分もいつか死ぬ」と口では言いますが、本音ではそんなことを認めたくないのが人間なのです。
孤独死するのが怖い
(2) 孤独:人の命は1つの身体に宿り、2つとして同じものはありません。
一卵性双生児として生まれて来ても、別の命で、別の経験をして生きています。同じように見ていると思っている世界でも、人の数だけ見え方があり、別々の世界に住んでいるのです。
これを仏教では「業界(ごうかい)」といいます。
したがって、生まれてから死ぬまでの体験は、他者には100%理解はされず、「自分のことを分かってもらえない」という寂しさに耐えなくてはなりません。
『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』というお経では「独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい/人間は、生まれてくるのも独り、死ぬのも独り)」と唱えられています。
たくさんの人に囲まれいろいろな人と関わっても、根本的には孤独であり、生まれてくる時も死ぬ時も、誰もあなたに代わることができないという教えです。
「孤独死するのが怖い」というのは分かります。しかし、たとえ看取ってくれる人がいても、最後はみんな1人で死ななければいけません。そういう意味では、全員平等に孤独だともいえます。
死の恐怖や絶望感(写真提供:Photo AC)
人間は自由に人生や運命を切り開いていける
(3) 責任:フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言いました。
私たちは、自由に人生や運命を切り開いていけますが、それには責任が伴います。
自由に生きられるにもかかわらず、自分で選択した人生の責任を負いたくないので、自由と責任から逃れようとします。
サルトルの思想は「実存主義哲学」といわれるもので、人間は意味(目的)があって存在しているのではなく、存在(器)がまず先にあって、生きる意味は、世界との関係の中で、自分で見出さなければいけないという考えです。
そして、サルトルと同時期に、ドイツで社会心理学、精神分析学の研究をしていたエーリッヒ・フロムは、主著『自由からの逃走』の中で、「人間は生きている意味を見出せなくなると他人からの承認がほしくなる」と述べています。
自分で生きる意味を見出すことができないと、存在価値を証明するために、財産や名誉や地位を得ることを目標とし、それができないと無価値感につながるというわけです。
自由に生き方を決められるということは、その結果がダイレクトに自分に返ってくるので誰の責任にもできません。
※本稿は『あっという間に人は死ぬから「時間を食べつくすモンスター」の正体と倒し方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
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