「えっ、出た!」「これ大丈夫なの」控室では3度のどよめきが…藤井聡太名人の“恐るべき終盤力”を目撃した棋士たちの反応とは

2025年5月9日(金)12時10分 文春オンライン

〈 「これは遅くなるなあ」羽田空港での藤井聡太名人vs永瀬拓矢九段の名人戦第2局は“神経戦”に…中継に映らない舞台裏では何が起きていたのか 〉から続く


 藤井聡太名人に永瀬拓矢九段が挑戦する第83期名人戦七番勝負(主催:毎日新聞社・朝日新聞社・日本将棋連盟、協賛:大和証券グループ)は、第2局が4月29日から30日にかけて、東京都大田区「羽田空港第1ターミナル」で行われた。



藤井聡太名人


さあ決戦だと控室が活気づく


 夕休憩からの再開後、永瀬は敵陣深くに角を打ち込んだ。ここまで藤井が嫌がる展開になっている。


 藤井は大駒の働きと玉の広さを重視している。だから動くマス目が多い4六の角や、下段飛車を好むのだ。ところが飛車は2六に吊り出されて働きが悪くなり、玉の逃げ場も1ヶ所しかない。モニターに映る対局姿からも藤井が苦しんでいるのがわかる。


 控室では永瀬が大技をかける手を深く調べており、回避するために千日手に逃げるか、という話になった。ただし、その手順は超難解だ。「一手一手が難しすぎる」と阿久津が言えば、佐藤もうなずきながら「見えづらい手を拾っていかなくてはいけないですね」とつぶやく。


 永瀬が7筋の歩を取り込めば、藤井は46分と終盤にしては長考で歩を打つ。そして打った歩を成り捨てて、形を乱してから桂を銀で取る。控室の予想とは違う進行にはなったが、さあ決戦だと控室が活気づく。


永瀬の「負けない将棋」に皆が感嘆した


 だが、まったく予想しない手を永瀬が指した。8筋に歩を打ち、玉頭に手をつける。ええっとどよめく控室。「すべてが外れますね」と広瀬が頭をかく。


 藤井は取られそうな銀で7六の歩を取りながら逃げた。さらにその銀が玉頭を守っている。永瀬は銀を取り損ねて、さらに桂と垂れ歩の2つも食い逃げされていいのか?


 ここで中村がぼそっと「もしかして手を戻すつもりかな?」と言った瞬間に永瀬が垂れ歩を払った。「粘る手は当たります」と中村が笑う。桂得して手番が来ては、さすがに藤井が良くなっただろう。ところが、局面を眺めているうちに容易でないことに皆が気付いた。朝日新聞のYouTube中継に出演していた阿久津が戻り、「8六歩が輝きすぎてキツイんですけど。(藤井側を持って)まとめる自信がないなあ」。


 桂を渡しても、手番を渡しても、形勢は渡さない。永瀬の「負けない将棋」に皆が感嘆した。


「藤井さんの1分は、他の人の10分と同じですよ」


 両者とも残り時間が1時間を切った。マラソンのような長い長い戦いの中、想定外のコースを走らされ、藤井がきつそうな表情になる。やがて16分の考慮で桂を打ち下ろした。銀取りだが銀を引いたらどうするのか? 永瀬だから当然引くだろうな。ところが銀を前に出て、桂にぶつけた。


「えっ、出た!」と広瀬が叫び、「これ大丈夫なの」と阿久津も驚く。再びどよめく控室。永瀬は銀を取らせ、その代償に金を取ったが、その貴重な手番を失った。やがて広瀬が藤井良しの手順を盤上に並べる。


 藤井が打った桂を跳ねて王手、銀を打ち込み金と換え、その金を打ち込み飛車と交換し、そして飛車を打つ。王手と同時に9二の香取りだ。46手目に手待ちで上がった永瀬の香が121手目に飛車打ちでとがめられるとは! すべての駒の配置が藤井を勝たせるように吸い寄せられている。


 藤井の桂馬が、永瀬を惑わせたのだ。


 藤井の残り時間が6分から一向に減らない。


 中村が「まだ6分もあるの?」と驚けば、広瀬が「藤井さんの1分は、他の人の10分と同じですよ」と返す。


 中村は「2日間ずっと神経戦が続いて、永瀬さんは潰されないように慎重に指しましたからねえ。疲労も溜まっていたでしょう」と永瀬の心境を慮った。永瀬は自陣に金を打ってまで粘るが、藤井の指し手は冷静で、やがて取った香を金取りに打ち下ろす。これで決まりだ。永瀬は一分将棋の秒読みとなり、詰めろに飛車を打った。自陣にも利かしていて金を取られても詰まない。だが、しばらくして広瀬が「あれっ、詰みがありますね」と気付いた。


40キロ付近まで並走を続けた。それなのに…


 玉のナナメ下から角を打って桂を取り、竜を回って王手する。金を使ってしまったので合い駒に金を打てない。さほど難しくない13手詰めだ。だが藤井は底歩で受けるという確実な手を選んだ。


 第1局では「将棋は数学ではない。すべてを証明する必要はなく、1つ勝ち筋を見つければ他を調べる必要はない。それが手順が長かろうと危険な順だろうと緩手だろうとかまわない。藤井は読み抜けていたのではなく、むしろ効率的に読んでいたのだ」とつづったが、この言葉を2度も使うとは思わなかった。


 この底歩を飛車で取ると永瀬玉が詰む。しかし、銀で取ると詰めろが消える。投げるかなと皆が思っていたが、永瀬は銀で取った。3度目の軽いどよめきが。銀の裏に根性と書いてある。これぞ永瀬だ。


 とはいえ1手違いにもならない局面を見て、私は切なくなった。マラソンのような長期戦で、永瀬は力の限り走り続けた。初日は藤井の息遣いをずっと感じながら、離されないように慎重に指した。並の棋士ならば藤井のプレッシャーに押し潰されていただろう。飛車の反復運動をすること実に5回、さらには玉の上下運動もして、ぎりぎりのところで均衡を保った。


 2日目は先に仕掛けた。40キロ付近まで並走を続けた。それなのに、たった1手のミスでひっくり返った。なんて将棋は残酷なのか。


恐るべき、恐るべき終盤力だ


 最後は角打ちの王手で永瀬が投了。


 終局時刻は21時27分で、藤井の名人戦12局の中で、一番遅かった。


 投了以下は△3二玉に▲5二香成△同飛成▲5三角成で鮮やかな必至がかかる。藤井はまたもや持ち時間を3分残した。102手目に逆転のチャンスを迎えたところから最後の141手まで、わずか15分の考慮かつノーミスで乗り切ったということになる。恐るべき、恐るべき終盤力だ。


 インタビューを終えて21時45分に感想戦が始まる。両者とも疲れ切った表情をしているから軽めかな。いや、いつも通りの2人だった。


 藤井も永瀬も膨大な読みをアウトプットしていく。なるほど予想とは違う手順を指したのにはこういうわけがあったのか。これはAIに聞いてもわからない。102手目の銀を前に出た手が敗着なのはわかっているため、暗黙の了解でその局面にはしない。


 変化で藤井玉が敵陣に突進し、藤井が「けっこう泳げないですね(逃げ切れないの意味)」と言えば、永瀬も「ここが(藤井玉の)ゴールですか」と独特の表現をしながら、にこやかに感想戦を進める。あんな激闘の後なのに、2人ともなんてタフなんだ。


立会人の中村も魅入っているではないか


 棋力だけでなく、気力も体力も化け物だ。そういえば高見泰地七段が、永瀬と対局前日に研究会をすると言っていたなあ。


 感想戦が進み、遠慮がちに見守っていた阿久津と広瀬も会話に加わった。そりゃそうだ、こんな面白い終盤戦はめったに見られない。口を挟まずにはいられない。


 ふと外を見た。窓に対局室が映っている。文明を象徴する飛行機と、日本文化を象徴する将棋、なんともいえない風景で、思わず写真を撮った。


 振り返ると藤井、永瀬、広瀬、阿久津が楽しそうに話している。現実ではないようだ。だけど時間が時間だ。もうそろそろ中村の出番だ。と見ると、中村も魅入っているではないか。おいおい立会人の仕事をしないと、空港職員の方がソワソワしているよ。


 ようやく中村が「もうそろそろ」と声をかけ、長い長い一日が終了した。時計を見ると22時57分! やばい、本当に終電だ。次は関西空港だ。タフな戦いを見届けねば。


写真=勝又清和


(勝又 清和)

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