米遠征で漢数字を背負った巨人の初代背番号「4」堀尾文人 34年日米野球大会では16戦全敗も貴重な一発…背番号物語

2025年4月19日(土)6時0分 スポーツ報知

 「4」は永久欠番となったため、黒沢俊夫を含めて3人しかつけていない。「16」の2人に次いで少ない人数だ。

 最初は堀尾文人。1934年11〜12月に開催された日米野球大会では、巨人の前身となる「大日本東京野球倶楽部」を母体に全日本軍が結成され、全米チームと戦った。結果は全米の16戦全勝。全米はベーブ・ルースの13本を含め47本塁打を打ったが、全日本は2本だけ。そのうちの1本が堀尾だった。

 堀尾はハワイ出身の外野手で、35年のサンフランシスコ遠征で「四」(この年だけは漢数字)をつけた。

 36年からは永沢富士雄。7月1日から公式戦が始まる。第1戦は戸塚球場での名古屋戦。沢村栄治が先発したものの、試合は8—9で敗れた。この試合、「4番・一塁」で先発出場したのが永沢だった。永沢のスタメン4番はこの1試合だけだったが、「初代の4番打者」ということになる。

 2日後の7月3日。同じく戸塚での大東京戦を10—1で勝ち、巨人は公式戦初勝利を飾る。この試合で、永沢は「5番・一塁」でスタメン。記念すべき1勝目の一塁手である。引退する43年まで8年間、もちろん最も長く「4」を背負った。

スポーツ報知

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