大八木淳史氏のラグビーレジェンド対談第5弾の3回 ラグビー日本代表の歴史「南アフリカ撃破まで」

2025年4月25日(金)18時0分 スポーツニッポン

 元ラグビー日本代表の大八木淳史氏(63)がゲストを招いてトークする「レジェンド対談」。第5弾は日本代表歴代最多の98キャップを持つ、東芝ブレイブルーパス東京アンバサダーの大野均さん(46)です。第3回はラグビー日本代表の歴史「初遠征から南アフリカ撃破まで」(対談映像はYouTube「スポニチチャンネル」で配信中です)

 レジェンド2人が日本代表のリーチ・マイケル(BL東京)を称えた。

 大野氏は2015年9月19日(ブライトン)、南アフリカから歴史的勝利(34—32)を挙げ『ブライトンの奇跡』と呼ばれる勝利へのラストシーンを振り返りながらリーチのすごさを語った。

 左中間ゴール前の相手反則から、同点のPGを狙わず、逆転を狙ってスクラムを選択したシーンを大野氏が振り返った。

 「2015年のワールドカップに向け、自分たちは4年間、スクラムを日本代表の武器として強化してきた。あの試合も1試合を通して押される気はしなかった。最後の瞬間、南アフリカはPRがシンビンで向こうは7人だった。こっちは8人なんでゴール前でスクラムトライを取る自信があった。自分はベンチに下がっていたんですけど、スクラム組んだら5点取って勝てるんじゃないのと思った。そうしたら、リーチ・マイケルキャプテンが、同点じゃなく、勝つか負けるかのスクラムを選択してくれた」

 エディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)は同点PGを指示したが、選手たちの選択はスクラムだった。

 南アフリカも意地を見せスクラムトライは奪えず、ボールは展開された。

 「スクラムからトライまでの一連の流れを見ると、リーチが3回ぐらいボールを持って突進しているんです。南アフリカ相手に80分間、体を張り続けて、ロスタイムに入っているのに、それだけ動けるリーチってすごいなと思った」

 大野氏が試合後、リーチに「最後のプレーすごかったね」とねぎらうと、「キンちゃん(大野氏)実はスクラムトライを取れると思ったけど、ボールが出ちゃった。これで勝てなかったら、エディーさんに殺されると思って必死でした」と真相を明かしたという。

 リーチ主将が奮闘した歴史的勝利。ジャパンにとってジンバブエを52—8で破った1991年以来の勝利だった。

 その試合に出場していた大八木氏は、ワールドカップ後にリーチを特集していたテレビ番組を見て感動したという。

 「ぼくたちはとんでもないサクリファイス(sacrifice)と言いよったんよ。犠牲を払ったと言いよったんよ。例えば365日の3分の1、120日ぐらいはエディー・ジョーンズに拘束されていた。それを優先したと。彼女に会うこととか、家族に会うこととか、全部犠牲にして今の日本代表があると話していた。そのシーンを見て、こいつほどラグビーも愛しているし、日本の文化とか、日本のラグビーの成り行きとか全部分かっていると。だから彼だけは絶対に批判できない」

 レジェンドたちにとっても、リーチは偉大な桜の戦士だった。

 

 ◇大野 均(おおの・ひとし)1978年(昭和53)5月6日、福島県郡山市生まれの46歳。福島県立清陵情報高時代は野球部。日大工学部からラグビーを始め、東芝府中では、入社2年目の2002年の東日本社会人リーグから公式戦出場。トップリーグが始まった2003年シーズン後半からレギュラーに定着。現役時代のポジションはロック。ワールドカップは07年、11年、15年に出場。15年・南アフリカ戦の勝利に貢献。日本代表キャップは史上最多の98。現役時代は身長1メートル92、体重105キロ。

 ◇大八木 淳史(おおやぎ・あつし)1961年(昭36)8月15日、京都市生まれの63歳。伏見工からラグビーを始め、同志社大—神戸製鋼。同志社大時代は大学選手権3連覇、神戸製鋼時代は日本選手権7連覇に貢献。現役時代のポジションはロック。W杯は87年、91年に出場。91年・ジンバブエ戦でのW杯初勝利に貢献。日本代表キャップ30。現役時代は身長1メートル90、112キロ。

スポーツニッポン

「ラグビー」をもっと詳しく

「ラグビー」のニュース

「ラグビー」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ