【阪神】ドラ1・伊原陵人、初先発初勝利 12球団の新人で一番乗りの白星「気持ちよく投げることができました」
2025年4月21日(月)5時0分 スポーツ報知
プロ初勝利を挙げ、藤川監督(右)に祝福される伊原(カメラ・義村 治子)
◆JERA セ・リーグ 阪神8—1広島(20日・甲子園)
阪神のドラフト1位・伊原陵人(たかと)投手(24)=NTT西日本=が、広島戦でプロ初先発初勝利を挙げた。5回を無失点に抑え、救援での6登板を経て、12球団の新人で一番乗りの白星をつかんだ。佐藤輝明内野手(26)が、今季2度目の1試合2発、両リーグトップの7号3ランを含む4安打6打点で援護した。8回には、坂本誠志郎捕手(31)への頭部死球で藤川球児監督(44)が激高する場面もあったが、チームは連敗を2で止めて貯金1。2位に浮上した。
最後の最後まで丁寧だった。阪神・伊原は甲子園のお立ち台で4万超えの虎党に律義にお礼した。「たくさんのファンの方に応援していただいて、気持ちよく投げることができました」。5回4安打無失点。プロ初先発初勝利で12球団新人最速星のおまけ付き。開幕からの連続無失点を13回1/3に伸ばした。
4回2死一、二塁。この日64球目が左腕の真骨頂だ。カウント2—2から菊池を142キロ内角直球で見逃し三振。「自然に出た」と、豪快な雄たけびも飛び出した。最速146キロと派手さはなくても、卓越した制球力で丁寧にアウトを重ねた。
12年前、少年野球で踏ん切りをつけ、橿原市立八木中入学後に柔道部へ入部した。心変わりしたのは1年時の2月。直前に少年野球チームのOB試合に参加した。「やっぱり、すごく楽しくて」。ロン毛だった頭を丸め「野球がしたいです」と当時の野球部監督で現校長・河内剛さん(58)に直訴した。
一度突き返されたが、2度目で条件を付けられた。「一生、野球やめたらあかん」。入部後初の打撃練習で約90メートル先の校舎にぶち当てた。走力も抜群。河内さんは「プロに行くなら外野手」と思い描いたが、投手にこだわった。中学1年の冬。自分で生きる道を決めた。
球界の現役左腕では4番目に低い身長170センチ。学校で整列すれば、常に前から5番以内だった。中学時代は牛乳をがぶ飲みしたが「小さく感じさせないように…」と模索した。テイクバックが小さく、出どころの見えづらい投球フォームが努力の結晶。コンプレックスも強みに変えて、今がある。
大商大時代にドラフトで指名漏れし、涙にくれた。記念球を贈る相手を問われ「大学の(富山陽一)監督さんに」と思いをはせた。藤川監督は、黄金ルーキーの門出に「さすが」と絶賛し「背番号(18)くらい勝てる投手に」と期待を寄せた。「とにかく負けない投手に」と伊原。幼少期、プロ野球の熱量に初めて触れた甲子園で、笑顔が映えた。(直川 響)
“小さな巨人”伊原の素顔はビッグだ。ドラフト指名直後の昨年10月。兄・拓人さん(28)に、自身が愛用していた5人乗りの国産車を譲った。何度も受け取りを渋られたが、「今までお世話になってきたから」とプレゼントした。
奈良・五條高まで野球を続けた兄は、常に目標で練習パートナーだった。原点は奈良・橿原市の実家にある約5メートルの廊下。幼少期はスーパーのチラシでホームベースをつくった。スポンジボールを手に捕手役は兄。12球団の打線と仮想対戦した。コースに決まるまで連日、勝負。「おかげで制球に自信がついた」。さらに絆が深まったのは高校時代。人生初の寮生活に戸惑うなか、拓人さんが車で日用品を届けてくれた。「最近どう? 元気にやってる?」。何げない会話が活力になった。
この日は贈った車で名古屋から甲子園に駆けつけてくれた。「この車で全国へ試合観戦に行くことが夢なんです」と拓人さん。兄の願いをかなえるため、1軍ローテに定着する。(阪神担当・直川 響)
〇…伊原の父・伸さん(57)と母・優子さん(56)ら家族はスタンドからプロ初勝利を見届けた。母は「あんなに大きな声で応援してくれるなんて! 感激しました」と喜んだ。巨人ファンの父だが、阪神の得点が入る度にガッツポーズ。「点が入って興奮していました」と笑顔を見せ「ゼロで抑えてくれと思っていた。これからも冷静に投げられる投手になってほしい」と、エールを送った。