【阪神】元監督・安藤統男氏がコーチで支えた小山正明さんを悼む「新聞記者やファンから守ってもらった」
2025年4月25日(金)5時0分 スポーツ報知
小山正明さん
阪神は24日、NPB歴代3位の通算320勝を挙げた小山正明さんが18日午前11時20分に、心不全のため死去したと発表した。90歳だった。葬儀は家族葬で執り行われた。テスト生として入団しながら「精密機械」と呼ばれたコントロールを武器に沢村賞、最多勝などを獲得。東京(現ロッテ)、大洋(現DeNA)でもプレーした。現役時代のチームメートで、コーチと監督の間柄だった安藤統男さん(86)=スポーツ報知評論家=が故人を悼んだ。
私がルーキーだった1962年当時、小山さんはバリバリのエースだった。三宅秀史さんのけがで私が三塁を守ることになった時、エラーをしてしまった。ボールを持って行って「すいません」と謝ると、「心配すんな。後は俺がちゃんと抑えてやるから」と。それで本当にピシャッと抑えてしまう。エラーにも文句ひとつ言わない。見た目は怖そうな先輩だったけど、すごく優しい人だった。
練習の最後をキャッチボールで締めることがあった。私が捕手役で座り、内角低めや外角低めに構えると、確実にそこにボールが来る。グラブを動かすことはほとんどなかった。まさに「投げる精密機械」。試合で、少し外角に外れたかなと思ったボールが「ストライク」と判定されると、そこばっかり投げていた。打者からしたら、振ったら届かないし、見逃したらストライク。たまったもんじゃない。
パームボールは阪神から東京へ移籍してからの武器。一度だけオープン戦で対戦したことがあった。直球かと思ったら途中から本当にボールが来ない。スーッと来て、途中でブレーキがくくくっとかかって、少し落ちたり、スライドしたり。本当に止まってしまうような感覚。泳いでしまうので、当たっても三塁ゴロだった。これが魔球かと思った。
監督時代には投手コーチとして支えてもらった。負けが続いた時など、新聞記者やファンからよく守ってもらった。「つまらんこと言うなよ」って。吉田義男さんに続いて小山さんまで…。寂しくなりますね。(スポーツ報知評論家)