【悼む】小山正明さんの座右の銘は「忍耐」 打撃投手時代のつらい日々が「精密機械」につながった

2025年4月25日(金)5時15分 スポーツニッポン

 阪神、ロッテなどで歴代3位の通算320勝を挙げた小山正明さんが18日、急性心不全のため、東京都内の病院で死去した。阪神球団が24日、発表した。90歳だった。兵庫県明石市出身。葬儀は家族葬で執り行われた。

 【悼む】小山さんの座右の銘は「忍耐」で、揮毫(きごう)した石碑が母校の明石・二見中に建っている。半生を振り返り「生存競争を生き抜くには情けないことも我慢しなくてはいけない」と話していた。

 若いころの苦労話が印象深い。入団時は練習生で月給5千円。大卒初任給が1万円前後の時代、合宿費4千円は払えず、明石の実家から電車で通った。

 連日、打撃投手で投げた。ボール球を投げると金田正泰に怒鳴られ、藤村富美男は黙ってケージを出た。「つらかった」という苦労の日々が後の「精密機械」につながった。

 プロ2勝目をあげた53年9月6日の夜、名古屋駅前の定宿・香取旅館の部屋にいると松木謙治郎監督に呼ばれ「これで飯でも食うてこい」と財布から3千円を渡してくれた。「うれしかった。お金は使わずにしまいました」。東京・本郷の定宿・清水旅館では夜中に炊事場でうどんを作って食べた。「うまかったよ。薄給でいつも腹を空かせていたからね」と聞いた。松木も著書『タイガースの生いたち』で同じ話を書き残している。

 独身寮・若竹荘にいた当時、ペットを飼おうと週刊新潮の告知板に「サル求む」と投書。提供者の女性と東京で会い、交際が始まった。後に結婚する女性は慶大卒、阪急軍初代主将・宮武三郎(殿堂入り)の次女だったという逸話もある。

 風の便りに元気だと聞いていた。まさかの訃報だった。90周年の阪神は吉田義男さんに続き、偉大な先人を失った。(編集委員・内田 雅也)

スポーツニッポン

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