クラーク博士の名言「大志を抱け」、誕生の地は北広島市です…市民が知名度向上へ馬上像の制作計画
2025年5月28日(水)7時25分 読売新聞
札幌農学校(現・北海道大)の初代教頭・クラーク博士が「ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ、大志を抱け)」と叫んだのは、札幌市ではなく北広島市だった——。そんな歴史を知ってほしいと考える地元有志が博士の馬上像の制作を計画している。完成の目標時期は、札幌農学校の開校150周年と博士の生誕200年が重なる2026年8月。総工費3300万円のうち、すでに2000万円を超える寄付が集まっており、残る1000万円をクラウドファンディング(CF)で賄いたい考えだ。
1877年4月16日、約8か月の札幌勤務を終えて母国アメリカに戻る旅路についたクラーク博士は、北広島市島松の地にあった「島松駅逓所」で教え子たちと別れたと伝わる。「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の言葉が生まれたのは、博士が馬を乗り換えた際のことだったという。
クラーク博士の銅像といえば、さっぽろ羊ヶ丘展望台(札幌市豊平区)の立像や北大の札幌キャンパス(同市北区)にある胸像が有名だ。一方、旧島松駅逓所も国史跡に指定されてはいるのだが、名言の「誕生の地」としての知名度は今ひとつ。そこで、地元住民や企業などが2016年にNPO法人「クラーク博士別れの地・久蔵の里普及促進会」(クラーク会)を結成し、旧島松駅逓所のPR活動を続けてきた。
クラーク会によると、馬上像は台座を含めて高さ4メートル、幅2メートルになる見通し。馬にまたがった博士が右手で帽子を掲げるという躍動感のあるデザインとし、設置場所は旧島松駅逓所の前の土地を用意した。CFは6月1日から8月24日まで実施する予定で、寄付額に応じて記念品を贈呈したり、銅像の銘板に寄付者の氏名を刻んだりするという。
北大農学部出身でクラーク会の理事長を務める藤田久雄さん(86)は「クラーク博士は北海道の近代化に貢献し、その壮大で力強い精神は今も学生に強い影響を与えている。博士の思いをこの先も感じられる銅像にしたい」と話している。
問い合わせはクラーク会(011・377・1630)へ。